学界展望 日本語の歴史的研究 2019年1月〜6月
(森 勇太)
日本語研究者が「歴史的研究」2019年前期の動向を振り返ります。
【学界展望】
日本語の歴史的研究 2019年1月〜2019年6月
森 勇太(関西大学准教授)
筆者に与えられた展望の期間は2019年前期(1~6月)である。今期は改元があり、時代の境目を自然と意識する時期であった。この期間の日本語の歴史的研究について振り返ってみたい。
1. 学問の社会的貢献と教育・研究の交流
一時期、高校の国語教員を志望していた筆者にとって、今期(2019年1月~6月)もっとも刺激的な企画だったのは、1月14日に行われたシンポジウム「古典は本当に必要なのか」(猿倉信彦・前田賢一・渡部泰明・福田安典・飯倉洋一・勝又基、明星大学)であった。「高校教育において古典は必修であるべきか」をめぐって否定派・肯定派の討論が交わされた。後に、このシンポジウムは勝又基編『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』(文学通信、2019年9月)として書籍化された(シンポジウム当日にYouTubeでライブ配信された動画も公開されている https://www.youtube.com/watch?v=_P6Yx5rp9IU)。
このシンポは前後でTwitterやFacebookなど、SNSでも白熱した議論が行われていた。近藤泰弘氏など精力的に意見を発信していた方もいたが、企画者が日本近世文学の研究者の方々だったこともあってか、日本語の歴史的研究の立場からの意見はあまり目立たなかったように思われた。以前から、日本語の歴史的研究と教育との関係について、危機感を継続的に発信している研究者はいるが、組織的な発信には繋がっていない。人文学の意義が問われる昨今であるが、過去の日本語、日本語の歴史を学ぶことの意義を、言語を学ぶという観点から、日本語史の研究者がさらに発信していく必要があるだろう。個人的な体験が主張を大きく左右し、かみ合った議論にはなりにくいが、それでも諦観せず、意義を説明していくことが、今後、重要な社会的な役割のひとつになるのではないかと感じた。
なお、今期、高校での教育に関わる書籍としては、河内昭浩編『新しい古典・言語文化の授業―コーパスを活用した実践と研究―』(朝倉書店、1月)が刊行されている。コーパスは、日本語学研究の新しい成果の発信として重要であろう。また、大学生・大学院生の教育に関わるものとして、衣畑智秀編『基礎日本語学』(ひつじ書房、2月)や、大木一夫編『ガイドブック日本語史調査法』(ひつじ書房、5月)があった。前者はハイレベルな教科書、後者は基礎からの調査法指南であるが、ともに筆者自身にとって、自らの研究・教育の手法を振り返り、不足していたところを認識する良い機会となった。また、辻本桜介「中古語の文法研究における訓点資料の活用」(『米子工業高等専門学校研究報告』54、3月)でも、訓点資料を利用するための手順が丁寧に示されている。これまで、大学の研究室で学ぶものだった研究手法は、近年の大学院生数の伸び悩みにより継承が難しくなっているところがある。このような書籍・論文は、広い意味での、教育・研究の交流を導くものとしても意義がある。
2. コーパス研究
国立国語研究所『日本語歴史コーパス』は、毎年大幅な更新・増補が行われている。すでに各時代で多くのデータが扱えるようになり、たいへんありがたい。田中牧郎「明治前期の音訳外来語―『明六雑誌』『国民之友』の外来語調査―」(『国語語彙史の研究』38、和泉書院、4月、以下『語彙史』)、近藤明日子「語種率・品詞率からみる近代文語文の通時的変化」(『日本語学論集』15、3月)、髙橋雄太「近代における和語の用字法の変化―カワル・カエルとアラワレル・アラワスを中心に―」(『明治大学人文科学研究所紀要』85、3月)などを読むと、近代の『日本語歴史コーパス』を用いるうえで、さまざまな観点からの分析が可能であることがわかる。
コーパスを利用した研究は今後も増加するだろうが、単に索引代わりで使うのではもったいない。コーパスの強みが生かされる分野としては、量的研究やコロケーションの研究が挙げられる。コーパス研究にはそれに合った研究手法が選択される必要がある。例えば、統計に関する基礎的な考え方は、今後書き手も読み手も共有する必要があるだろう。菊池そのみ・菅野倫匡「勅撰和歌集の語彙の量的構造をめぐって―品詞の構成比率の観点から―」(『語彙史』)では、統計学の手法と日本語史研究の伝統的な手法の違いを意識しながら、それらを統合していこうとする姿勢が窺えた。大川孔明「平安鎌倉時代の文学作品の文体類型―多変量解析を用いて―」(『計量国語学』31-8、3月)は『日本語歴史コーパス』所収作品から、平安・鎌倉時代文学作品の文体的特徴を類型化しようとする。「文体」研究は古くから行われている研究だが、『日本語歴史コーパス』の完成により新しいアプローチが可能になっている。中俣尚己「コーパスとクラスター分析を用いた副詞の文体調査」(日本語学会2019年度春季大会口頭発表、5月)などとも通じ、今後、文体研究のさらなる発展が期待できる。同様の、古い問題への新しいアプローチという問題意識は、岡部嘉幸「洒落本の江戸語と人情本の江戸語─指定表現の否定形態を例として─」(『国語と国文学』96-5、5月)、後藤睦「『宇治拾遺物語』のノ・ガ尊卑の実態について―「ノ・ガ尊卑説」再考のための端緒として―」(『語文』112、6月)にも見られた。先行研究を実証的に再検証し、過去の研究と「対話」していくことも、今後の研究にはあってよいと思う。
3. 扱う現象の体系性を捉える
さて、『日本語歴史コーパス』が充実したことにより、誰でも、上代から近代まで、調査結果の数値を「並べる」ことができるようになった。他分野からの日本語史研究への参入も多くなるだろう。もちろん、研究の学際化が進むことは望ましいことである。そのような中で「日本語史の専門家」がどのような力を発揮することが求められるのだろうか。
日本語史研究者に求められることのひとつとして、扱う現象の体系性・相互の関連性を捉えるということが挙げられるだろう。複数の現象を同じ方向軸で扱って、現象の体系性を見ていくことは、単純な現象を並べただけにとどまらないおもしろさがある。
吉田永弘『転換する日本語文法』(和泉書院、2月)は推量の助動詞「む」、条件表現、可能表現、尊敬表現、断定表現といった文法の変遷が、相互に関連しながら起こっている様相を述べる。肥爪周二『日本語音節構造史の研究』(汲古書院、1月)では、拗音・撥音・促音など、日本語の音韻史に関する現象が広く取り扱われ、幅広い現象が体系的に説明されている。
また、資料の大枠を定めてその範囲をつぶさに見ていく、という体系性の取り方もある。佐藤貴裕『近世節用集史の研究』(武蔵野書院、2月)では、多様な異本が存在する節用集史が記述される。節用集のありかたが時代ごとに大きく変わっていく様相が通読でき、節用集の歴史が捉えやすくなる。その他にも今期には近世後期から明治・大正期にかけての当為表現の成立を考察した湯浅彩央『近代日本語の当為表現』(武蔵野書院、3月)、古代語のカ・ヤの用法を詳細に整理する近藤要司『古代語の疑問表現と感動表現の研究』(和泉書院、3月)があった。
上記の著作はそれぞれの研究の蓄積が表れているものであるが、個々の論でも、扱われている現象の体系性が見えるとおもしろい。深津周太「「大した/大して」の成立と展開」(『国語と国文学』96-2、2月)は、連体詞「大した」副詞「大して」が「ちょっとした/ちょっと」との形態的対応から成立したと述べる。背景に様々な語が想定され、「大した/大して」が成立する経緯が周到に示される。山際彰「類義語との関係から見たコノゴロの変遷」(『語彙史』)も、「この頃」の意味の変遷を「このほど」「このぢゅう」との関係から説く。北﨑勇帆「「~(よ)うと」の一群の成立と展開」(『日本語文法』19-1、3月)は「意志推量形式+逆接仮定条件」の複合形式の成立・展開を広く扱い、それらを意味変化の「主観化」に対する反証例として挙げる。ある一つの語の歴史であっても、その背景がどれほど意識されるかによって、問題の見え方が変わってくる。その時代・その現象にどのような背景があるかをより深く把握することこそが、日本語史研究者に求められているものだと考える。
4. 複数の日本語の層から歴史を捉える
言語生活において、人々はいつでも単一の言語使用をするのではなく、複数の層・スタイルを使い分ける。言語の歴史を考えるときに、文献に表れた現象を単線的につなげることは難しく、複数の層を把握することで言語の歴史がつながっていく。
田中草大『平安時代における変体漢文の研究』(勉誠出版、2月)は変体漢文の文章について、和文・漢文との共通語彙や表記を比較し、その特徴を明らかにしている。一例として、変体漢文における接尾辞ラの用法は、和文とは共通せず、中世の和漢混淆文と連続するという指摘がある。歴史を「つなげる」ときに文体の観点が必要になることを改めて認識させる。漢文訓読に関するところでは、福島直恭『訓読と漢語の歴史[ものがたり]』(花鳥社、2月)があり、集団規範としての訓読文が歴史的にどのように展開してきたのかが追究されている。『語彙史』の特集「外来語・語彙交流」でも、外国語との交流・対照が視野に入れられている論考が多く見られた。日本語諸方言もまた日本語の層である。矢島正浩「近現代話し言葉資料における原因理由系の接続詞的用法について」(『国語国文学報』77、3月)は、「~から」「だから」など、原因理由系の接続詞的用法の地域差を観察し、東京方言と大阪方言の「談話展開の方法」の差異を見いだす。窪薗晴夫・木部暢子・高木千恵編『鹿児島県甑島方言からみる文法の諸相』(くろしお出版、2月)にも、甑島(こしきしま)方言と日本語史の対照が企図されている論がある。
また、様々な資料を見ていくうえで、それぞれの資料の性格を正確に把握しようとする姿勢は欠かせない。『国語と国文学』96-5(5月)では特集「日本語史料と日本語学史の研究」が組まれ、犬飼隆「木簡を日本語資料として利用する」、木田章義「抄物研究の視点」など、各資料の専門家から学ぶことが多かった。山田健三「上杉本『伊呂波盡』をめぐって」(『語彙史』)では、上杉本『伊呂波盡』の執筆時期・動機が、装丁や筆跡はもちろん、中世武士の学習プログラムなども含め詳細に検討されている。電子テキストや検索技術がどんなに発達しても、実際に資料を見たり、時間をかけて本文を解釈したりすることによって得られた感覚によって、日本語史研究者ならではの貢献が可能になるのではないかと考える。
新元号「令和」が2019年5月1日から施行された。典拠が『万葉集』とされ、日本語の文献がクローズアップされる機会となった。上代語研究でも、尾山慎『二合仮名の研究』(和泉書院、2月)、内田賢德・乾善彦編『万葉仮名と平仮名―その連続・不連続―』(三省堂、3月)、毛利正守監修『上代学論叢』(和泉書院、5月)など、新しい論が次々と生み出されており、日本語史研究には、まだ明らかにすべきことが多く残っているように思われた。後の時代に、「令和時代」の日本語史研究はどのように見えるだろうか。個別の研究の深化はもちろん、研究者の力が有機的に結合した新しい研究が行われる時代になることを望みたい。
森 勇太(もり・ゆうた)……著書に『発話行為から見た日本語授受表現の歴史的研究』(ひつじ書房)、『ワークブック日本語の歴史』(共著、くろしお出版)、論文に「中世後期における依頼談話の構造―大蔵虎明本狂言における依頼」(『歴史語用論の方法』、ひつじ書房)ほか。
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