学界展望 日本語の歴史的研究 2020年1月〜6月
(岩田美穂)
日本語研究者が「歴史的研究」2020年前期の動向を振り返ります。
【学界展望】
日本語の歴史的研究 2020年1月〜2020年6月
岩田美穂(就実大学准教授)
今期、新型コロナウイルスCOVID-19の猛威に社会が大きく揺れた。学界でもその影響は凄まじく、特に3月以降に予定されていた日本語学会春季大会をはじめとする多くの学会や研究会が軒並み中止、またはオンラインに切り替えられた。この社会変動による影響が、研究そのものにあらわれてくるのは今後のことであり、今期の現状としては全体的にこれまでの流れを引きついだ動向が続いた。一方で、「外出できない」という状況下で研究を見渡した時、特に「どのような資料を使っているか」という点がいつにもまして強く意識された。
1.デジタル資料
日本語史研究において比較的影響が少なかったと思える最大の要因は、コーパスをはじめとしたデジタル資料がかなりのレベルで整備されていたことにある。今期ほど、これらのデジタル資料のありがたみを感じた時期はない。
特にコーパスにフォーカスしたものとして、まず田窪行則・野田尚史編『データに基づく日本語のモダリティ研究』(くろしお出版、3月)があった。本書は、国立国語研究所の共同プロジェクト「多様な言語資源に基づく総合的日本語研究の開拓」におけるシンポジウムが元となったものである。このプロジェクトは現在進んでいるコーパス事業の中心部である。日本語史に関するものとしては、小木曽智信「通時コーパスに見るモダリティ形式の変遷」(同書)が掲載されている。モダリティ形式は一貫して頻度が減少していくこと、文語文においては鎌倉期以降ム・ベシに著しく形式が偏っていくことなどがコーパスの特性を生かした俯瞰的な通史として描かれている。これまでの日本語史研究者が、ある種感覚的に了解している大きな流れを、他分野の研究者にも理解可能な形で実証的に示すことができることもコーパスの強みであろう。また、『日本語学』39-2(明治書院、6月)では特集として「コーパスによる語史と現代語誌」が組まれた。
コーパスだけでなく、柳原恵津子「平安初期訓点資料における不読字の再検討―コーパス・電子化テキストを用いた訓点語研究の試みとして―」(『国立国語研究所論集』19、7月)、池田証壽・劉冠偉・鄭門鎬・張馨方・李媛「観智院本『類聚名義抄』全文テキストデータベース―その構築方法と掲出項目数等の計量―」(『訓点語と訓点資料』144、3月)などに見られるように、古辞書、古記録、古文書などの電子化、データベースの開発・利用も活発である。大槻信「『新撰字鏡』の編纂過程」(『国語国文』89-3、3月)をはじめとしてこれらのDBを用いた研究は今期も豊富で、語彙、文法、文体、資料論など多岐にわたる。
このようにコーパス・DBを利用した研究はもはや主流であり、今期見られた研究の8割以上が何らかの形でコーパスやDBなどのデジタル資料を用いている。そのような中で、注目されたのが、平塚雄亮「複数接尾辞ドモの時空間変異研究」(方言文法研究会2020年度第1回研究発表会、7月)や林淳子『現代日本語疑問文の研究』(くろしお出版、2月)などである。これらはいずれも方言研究、現代日本語研究を基盤としつつ、コーパスを用いた史的観点からのデータ分析を合わせた複合的観点からの考察が実践されている。コーパスの登場よるこのような他分野からの超領域的研究によって、日本語史研究がさらに研磨されていくことだろう。
2.日本語史としての新たな資料
コーパスが日本語史の全てではないことは言うまでもない。コーパスを骨としつつ、コーパス化されないような、あるいは、これまで言語資料として全く注意を払われなかったような資料によって、より多様な日本語史の姿を描き出していくことは、今日の日本語史研究の責務の一つであると思われる。そのような意図があってか、今期の『国語語彙史の研究』39(和泉書院、3月。以下『語彙史』)では、「新資料・新領域」という特集テーマが立てられている。川野絵梨「中世東国文書の語法に関する一考察―日本語史研究資料としての可能性―」(同書)では、南北朝時代の東国文書に見られる副助詞バシの特徴は鎌倉期と室町期の中間に位置づけられること、ベシ・マジの接続形の混乱例が中央文書より豊富にみられ、両者の文法的な規範性に相違があること、が論じられている。北﨑勇帆「近代に口語訳された狂言記」(同書)、新野直哉「昭和前期の言語生活・言語意識研究のための一資料―『文藝春秋』「目・耳・口」―」(同書)などに見られるように特に近代資料はまだまだこれから拡充されていくだろうし、コーパス・DBとしても整備が進むだろう。
これまで言語資料として扱われなかったものに挑戦的に取り組んだ塚本泰造「『日本九峯修行日記』に見られる近世末期農民のことば―無心に答える表現の諸相から―」(『坂口至教授退職記念日本語論集』、創想社、3月。以下『日本語論集』)や馬静雯「近世の白話小説訓訳本に見られる終助詞「ヨ」について」(『名古屋大学人文学フォーラム』3、3月)などは、日本語史資料の幅の広さを改めて思い直すことができた。
また、近世から近代にかけての方言資料の発掘とそれを用いた研究もでてきている。岡島昭浩「大正時代の菊池方言資料『言葉の栞』」(『日本語論集』)では方言の矯正を目的に作られた近代の方言資料が紹介されている。この時期の方言資料は今後の「発掘」が期待される。前田桂子「近世長崎史料における方言意識~日葡辞書および現代方言と比較して~」(『日本語論集』)は多様な方言資料を用い、約400年に渡る長崎方言の側面を切り出す。近世以前の方言資料は、現代方言との隔たりが大きい場合も多く、両者をどうつなげるか、その間の変化をどう想定するかが重要である。久保薗愛による駒走昭二『ゴンザ資料の日本語学的研究』(和泉書院、2018)の書評論文(『日本語の研究』16-1、4月)の「る・らる」「ゆる・らゆる」についての指摘もそのような問題意識に基づくものだろう。
3.方言文献資料
近年、方言研究において「変化」を論じる際の資料・手法が変わりつつあると感じる。それは、「異なる時代に(文字として)記録された方言資料に基づいた研究」が可能となってきた、つまり、経年変化を実際に追うことができる資料の蓄積(とその価値の見直し)ができてきたことによる。今期注目されるものとして、まず、竹田晃子『東北方言における述部文法形式』(ひつじ書房、2月)がある。本書は、広域かつ詳細な記述と体系整理を行った後、近代~昭和の方言調査資料を用いて、形式の分布と約100年の経年変化を論じる。自発表現を広く担うサル形の存在、能力・状況と肯・否を軸とする可能形式の使い分けとその変化は、日本語史における可能表現の変化から見ても非常に示唆的である。なお、彦坂佳宣「一・二段活用のラ行五段化における使役形の動向」(『語彙史』)は九州・東北日本海側に見られるラ行五段化使役形についてその進行が可能・禁止表現ラレル類に誘引されたとする論であり、合わせて読むことをお勧めしたい。次に、三井はるみ「条件表現の全国分布に見られる経年変化―認識的条件文の場合―」(『國學院雑誌』121-2、2月)は、認識的条件文(手紙を書くなら、字をきれいに書いてくれ)について、『方言文法全国地図』(GAJ)と「全国方言分布調査」(FPJD)を比較し、約30~40年の変化として、断定辞を含み、時制の対立を持つ形式が残り、そうでない形式は衰退していることを明らかにしている。認識的条件文の中で「時制の対立」が大きなファクターとなることが日本語の中では「通方言」的であることが伺え、興味深い。
コロナ禍の中で、臨地調査を基本とする方言研究分野が日本語研究の中では最も深刻な影響を受けたと言える。『日本語諸方言コーパス』の整備もあり、今期以降、文献資料を用いた方言研究は、一層拡大していくことが予想される。文献に基づいた「変化」の追求であり、日本語史研究としても新たな知見をもたらしてくれる重要な資料・分野となるだろう。
4. 日本語史研究のこれから
さて、「資料」を視点に今期を振り返ってきたが、デジタル資料の普及と分野間交流が進む中で、これからの日本語史研究に求められることは何だろうか。これには、近年の流れから二つの方向性がある。
一つめは、より多くの資料・事象を視野に入れた体系的な把握とその背後にある要因の解明(一般化・抽象化)である。要因へのアプローチとしては様々あるが、近年特に目立つのは歴史語用論と構造変化の観点である。今期は両者とも読み応えのある論が多かった。
語用論的観点からのアプローチとして澤田淳「日本語の直示授与動詞「やる/くれる」の歴史」(『国立国語研究所論集』18、1月)がある。授与動詞の歴史では、非求心的授与領域におけるヤルの新規参入とその拡大、クレルの減少(求心化)という現象があることが共通認識となっているが、本論文ではその要因をヤルが待遇的に中立(クレルとの対比において相対的に丁寧)であったことがヤルの選択意識を高めたことによると考える。また、矢島正浩「近現代共通語における逆接確定節―運用法の変化を促すもの―」(『国語国文学報』78、3月)は、話し言葉におけるガの衰退とケレドの拡張という変化について従来のような単純な文体差という観点だけでなく新たに対人・非対人といった語用論的観点を加えることで、新たな姿を浮き彫りにすることに成功している。川村祐斗「接続表現サラバの“別れの挨拶語”化―「指示性の不明瞭化」と「場面展開機能の発達」―」(『名古屋大学人文学フォーラム』3、3月)はサラバが挨拶語化しているかを判断する条件を細かく設定しその過程を考察している。ともすれば主観的分類に陥りやすい事象に対して慎重で誠実なアプローチを取っている。
構造変化を扱ったものとしては、名詞節に関する論が目立つ。通時的変化と共時的拡張を区別する観点を提案する川島拓馬「文末形式「名詞+だ」の成立について―通時的側面と共時的側面の関係性―」(『筑波日本語研究』24、1月)、上代のモノナリ文について「連体形+名詞+ナリ」との共通点と相違点について明らかにする勝又隆「上代におけるモノナリ文の用法と構造」(『日本語論集』)、ゲナの成立について、上接要素の形容動詞語幹、名詞への拡大とそれに伴う活用語の連用形から連体形への移行という変化の過程で、前接要素が名詞節へ拡大する構造変化があったことを論じた山本佐和子「中世室町期における「ゲナ」の意味・用法―モダリティ形式「ゲナ」の成立再考―」(『同志社国文学』92、3月)があった。構造変化という観点ではないが、述語名詞節に関わる論としては〈非関係づけ〉のノダの由来を近世後期に見られる「~ノサ」文に求める幸松英恵「事情を表わさないノダはどこから来たのか―近世後期資料に見るノダ系表現の様相―」(『東京外国語大学国際日本学研究』プレ創刊号、3月)もあった。
二つめは、個々の資料や用例についての詳細な分析と検討である。ここには、先に述べた新たな資料の開拓も含まれる。他にも、『今昔物語集』にわずかに2例だけ見られる「すがる」の存在の蓋然性を詳細に検討した山本真吾「『今昔物語集』の動詞「すがる」―欠字・仮名書自立語・漢字表記のゆれをめぐる―」(『国語と国文学』97-3、3月)や、山田潔「『玉塵抄』における「らう・つらう・うずらう」の用法」(『國學院雑誌』121-5、5月)では堅実な実証的記述的研究があってこそ、一般化や体系的把握の議論が支えられるのだと改めて強く実感させられた。百留康晴「万葉集における類歌と複合動詞形成―動詞「過ぐ」を中心に―」(『国語教育論叢』27、2月)は、言語の実態をその当時における文化活動全般の中で捉えることの重要性を教えてくれる。田野村忠温「日本語の呼称の歴史」(『大阪大学大学院文学研究科紀要』60、3月)「「日本語学」とその関連語―意味と構造の変容―」(『語彙史』)、西田隆政「日本語の「文体」研究の「用語」を見直す―「口語体」「文語体」と「話しことば」「書きことば」と「位相」―」(『甲南国文』67、3月)などからは、自身がいかに日本語史研究の足元を疎かにしていたのかを実感した。
この二つの方向性は特に新しい視点ではなく、今までも繰り返し唱えられてきたことである。そして両立しない方向性ではない。前者として挙げた論の中にも詳細な用例検討をふまえている論は多いし、後者の中にも体系性や一般化を視野にいれたものがあり、諸氏がこれからの日本語史研究を見据えている。激変する社会の中であっても、一つ一つの論の持つエネルギーがこれからも日本語史研究を形作っていくであろう。
筆者の力不足から扱いきれなかった論も少なくない。ご寛恕を願うばかりである。
岩田美穂(いわた・みほ)……著書に『ココが面白い! 日本語学』(共編著、ココ出版)、論文に「愛媛県東予方言における限定の副助詞ギリの記述」(『西日本国語国文学』6)、「例示並列形式としてのトカの史的変遷」(『日本語複文構文の研究』ひつじ書房)ほか。
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