学界展望 日本語の歴史的研究 2021年7月〜12月 
(宮内佐夜香)

日本語研究者が「歴史的研究」2021年後期の動向を振り返ります。


【学界展望】
日本語の歴史的研究 2021年7月〜2021年12月
宮内佐夜香
(中京大学教授)

 

 コロナ禍における研究活動については、というような書き出しも展望の定番のようになってしまった感があるが、日本語の歴史的研究について言えば滞ることなく進められているように思われ、今期においても実に多くの論考が発表された。元来インドアの研究手法がメインであることも幸いしただろうし、コーパスの充実や各種アーカイブの恩恵もあったということかと思う。とはいえその研究活動の傍らにはコロナ禍の影響で増大する大学教員の業務複雑化・多忙化も確実に存在する。また、気付けば当然かのように受け入れてしまっているが各種行動制限による精神的負荷は確実に我々を蝕んでいるだろう。今期の研究動向を概観し、そのような中であっても衰えぬ各位の意欲に脱帽する次第である。長引く非常事態に漫然と思考停止することなく、今できることを着実に遂行し、次の段階を見据えて事を進めることを肝に銘じたい。

1.  各種論文集の刊行

 史的研究を含む論文集が複数刊行された。定期刊行の『国語語彙史の研究』(和泉書院、8月、以下『語彙史』*は40集を記念するもので、第1集から第40集までの総目次が付されている。語彙史関連の成果に広くランダムに当たることのできるリストは、データベース検索にはないメリットがある。単発の論文集としては『早稲田大学日本語学会設立60周年記念論文集 第1冊 言葉のしくみ』(ひつじ書房、12月、以下『早稲田1』*『同 第2冊 言葉のはたらき』(同、以下『早稲田2』*がある。当学会の歴史の長さと分野の幅広さが伺える計44編もの論考が収められており、史的研究も文法史、語彙史、音韻史、表記史、待遇表現史、学史、研究資料とあらゆる分野にわたる。また、テーマ論文集として田中牧郎・橋本行洋・小木曽智信編『コーパスによる日本語史研究 近代編』(ひつじ書房、11月)*が刊行され、国立国語研究所『日本語歴史コーパス』(以下CHJ)所収の「明治・大正編」を活用した11編の論考が収められる。「明治・大正編」の特徴の解説や、所収論文を広く近代語研究の中に位置付ける解説、コーパスを活用した近代語研究の展望もあり、コーパスにもとづく近代語研究のガイドとしても重要な書である。

2. 通時的観察から体系性を捉える

 用例数の多い形式について広い時代に渡って観察し、体系的に現象を捉える研究を取り上げる。このような研究は近年継続的に進展著しいが、これはコーパス利用の浸透によるところも大きい。もちろん、コーパス開発以前からそのような研究は隆盛を極めていたし、以下取り上げる各論も広く必要な資料を見渡す中でその一環としてコーパスを用いているのであるが、コーパスによって作業効率が格段に向上したのは明らかであり、勢いが継続する追い風となっていると思われる。今後もますますの発展が続くことと思う。
 北﨑勇帆「中世・近世における従属節末の意志形式の生起」(『日本語の研究』17-2、8月)*は従属節末に現れる意志形式「ウ」の消長について明らかにする。各時代の資料調査から実証的に「ウ」の従属節末用法の衰退と動詞基本形への交替を描き出すが、近世資料と近代新訳資料を対照する手法はとくに興味深い。そこから「ウ」の非現実事態標示の衰退時期について立証、さらに意志形式が従属節末に現れなくなる現象について近代語における「従属節の自立性の弱まり」という大枠の文構造変化の中に位置付ける観点も示され、説得力ある論となっている。三宅俊浩「古代語におけるカナフの可能用法の成立と展開」(『國語國文』90-11、11月)*は上代から中世にかけての「カナフ」の用法を追う。これまでの可能表現研究(通時的観点、現代語の共時的な観点ともに)の知見に基づき、各時代の資料の用例を非常に精緻に分析しており、共起する語や構文的条件、語用論的条件等の指標からその成立の段階について明快な結論を示している。また最後に可能表現の形式がのちに当為表現となるケースが「カナフ」を含め複数あることに触れ、その連続性という次なる段階のテーマを見出しており、今後の展開が俟たれる。菊池そのみ「古典語における形容詞テ形節の副詞的用法の変遷」(『語彙史』)*は形容詞テ形の副詞的用法について、上代語・中古語における共時的性質についての先行研究は多く見られるがその衰退過程については論じられていないことに着目し、用法の整理と衰退の時期、段階を明らかにしており、こうした検討を経て従属節の体系的変化の中に位置付けていくことを今後の課題として述べる。
 上記と趣の異なるアプローチであるが、やはり文法の体系的変化について考察する渡辺由貴「文末思考動詞と推量の助動詞―「と思う」と「べし」の類似性を中心に―」(『早稲田2』)*は、古代語推量助動詞の減少とそれを代替する近代語の言語形式に関する各説を整理しながら実例を示し、古代語「べし」の領域を文末思考動詞がいかに引き継いでいるかを述べる。推量表現の史的変遷のシステムを明らかにする論であり興味深い。

3. 共時ベースから体系的に位置づける

 次に、現象を共時的に精査した上で体系的な変化を考えようとする研究を取り上げる。岡﨑友子「上代の指示代名詞について」(『國語と國文學』98-12、12月)*は「まずは」と断った上で上代を対象に指示体系を整理し、以降の指示体系の変化についての仮説を立てるが、これまでの氏の研究における用法分類が再考され、より妥当性の高いものに修正されている。CHJの開発の進展を背景に指示体系の全体像を明らかにしようとこころざす研究の嚆矢となる論であり、今後、今回示された仮説や従来説の実証的検証が進んでいくものと思われ、期待される。仁科明「希望表現における意味と形式―万葉集を例に―」(『早稲田2』)*は『万葉集』の用例をもとに希望表現の類型を示す論である。希望表現形式に非実現事態であるにもかかわらず未然形接続ではない諸形式があることについて、各形式が希望表現を担う事情を個々に論じ類を分ける。また、非現実系の未然形接続のものについても、同時に判断系の用法を持つものについての用法間の関連と、判断系用法を持つものと持たないものの関係を整理し、位置づけを明確にする。上記2編に共通して見られるのはまずは文献上もっとも遡った資料において広く形式とその用法を取り上げ枠組みを明確にした上で、見通しを持って全体像やその後の通時的変化を議論すべきという姿勢であると思われる。
 上記のような明示的に体系的観点が打ち出された論だけでなく、共時的観点の研究の中でもさらに個別の文法形式を対象とした一見ミクロな題目の下記3件の論からも、大きな学びが得られた。森野崇「奈良時代の係助詞「なも」に関する考察」(『早稲田2』)*は「なも」の主たる用法(行為の選択・決定理由の特立)を前接語、結び、後続文の接続表現から明らかにし、「なも」と「なむ」の連続性や「なも」による係り結び成立事情を改めて検証する。辻本桜介「古代語における引用表現「…と名づく」について」(『人文論究』71-3、12月)*は古代語の「…と名づく」が現代語の「…という」に類する「対象の持つ呼称を一定期間用いる」という意味で用いられ、瞬間的な命名の意味を持たないことを引用語句の性質などから明らかにし、呼称引用表現の歴史的変化を指摘する。また、神戸和昭「『雨月物語』における接続助詞「ツモ」をめぐる覚え書き」(『語文論叢』36、7月)*は秋成独自にみられる接続助詞「ツモ」について、関連する「ツツ」「ナガラ」との用法の棲み分けを構文的観点から明らかにして従来説を正すとともに、その棲み分けの事情を近世文語の言語表現上の特色として捉えて論じる。古くから研究され言及が尽くされているように見える、現代語に意味カテゴリも語形も同じ語句がある、事例が個別作家に限られ定説がある等、おのおのに問題が見落とされがちになる理由のある形式だが、そのような形式でも未解明の点があること、事例が限られていても客観的指標からその規則が整然と示されること、ミクロに思える現象でも大局的に位置付けられてしかるべきであること、さまざまなことに改めて気付かされる。

4. コーパス駆動的研究、オープンな情報付与、利用上の注意

 ここまで主として見てきた個別用例の検証によって変遷を追うものとは異なる、コーパス駆動的(corpus-driven)な手法で全体像を見る研究として、村田菜穂子・前川武「平安時代から大正時代にかけての形容詞の活用形分布とその周辺」(『語彙史』)*を取り上げる。本文のことばを借りればCHJの開発によって「古典語形容詞に関して(中略)活用形の運用実態を捉える第一歩を踏み出した」研究である。連体形と連用形が使用比率の大半を占める中で終止形の現れ方に個々の語で違いがある等の全体的な傾向を示すが、コーパスならではの分析によってそのような傾向の存在が発見されたことが貴重であり、これをもとに個々の現象の解釈が進められることが期待される。また、語義に関する付加情報(アノテーション)がコーパスにあれば統計的手段による形容詞活用の通時的研究がさらに深化することを示唆しており、(作業量として難しい課題ではあるが)今後求められるアノテーションの方向性を示すものでもあると考える。
 このようなコーパス駆動的な史的研究も進められつつあるが、先に見た各論でそうであったように日本語史研究者のCHJの利用目的は用例収集であることが多い。我々はCHJから必要なデータを取得し、ひとつひとつを吟味し、分析観点に従いラベル付けを行っていくわけだが、その過程でCHJに付された形態論情報への疑問点が発見されることがある。これについて『日本語の研究』17-2(8月)佐々木勇「《短信》「日本語歴史コーパス」修正点報告の提案」*が掲載された。発見した修正点を簡便に報告する仕組みを国立国語研究所に用意してほしいという提言で、実際にコーパス開発センター(2022年4月1日、改組により言語資源開発センターに改称)にこのことを依頼したと述べられている。これを受けてのことか、12月開催のじんもんこん2021のポスター・デモセッションにおいて、小木曽智信・八木豊「『日本語歴史コーパス』の誤り修正プラットフォームの開発」という発表が行われている。「通時コーパス」プロジェクトの代表者による、ユーザーが修正点を報告するためのオープンな環境整備についての発表である(2022年3月開催の「通時コーパス」シンポジウム2022での発表によれば、2022年度中にこのサービスが開始予定、定期的なCHJのデータ更新も行われる予定とのことである)。
 ここで、これは誤りの指摘のみを目的とした話ではないことにも触れておきたい。上記は科研費・挑戦的研究(開拓)の課題「日本語コーパスに対する情報付与を核としたオープンサイエンス推進環境の構築」(代表:小木曽智信、研究期間:2019-2022)の取り組みの一環である。この課題はユーザーが独自に付与したアノテーションを共有する仕組みの開発を目指すものであり、その中で誤り情報についても共有しよう、ということである。例えば多義語の意味用法分類や、コーパスでは単位の切れている複合的形式の判断等、個々の研究者が持っている情報を広く共有できるようになれば、研究の再検証性や継承性が高まることになる。コーパス開発上の大変重要な発展であり、今後の実装が待ち遠しい。
 上記のようなアフターフォローへの着手もありますますコーパスの利便性が高まる昨今であるが、そのような状況であるからこそ、その資料性やアノテーションの意味を正確に理解した上での利用が強く求められる。各種資料のコーパス化と同時に公開される解説は必読であるし、利用の注意点やデータの性質を解説する書籍や論文も充実しつつある。今期の刊行のものとしては先に紹介した『コーパスによる日本語史研究 近代編』は近代語研究にコーパスを利用する際にはぜひ参照されたい一冊である。個別の論考としては市村太郎「歴史コーパスに対する話者情報付与の試み―洒落本コーパス構築上の課題を中心に―」(『早稲田1』)*があり、コーパスへの特定の情報付与の実際の取り組みやその過程で生じた問題点、今後の課題について詳しく述べられている。コーパスに情報を付与する際には多様な解釈が生じる複雑な事情があったとしても何らかの一意の情報を決定しなければならない、という難しさを実感できる論である。多くのユーザーに資するようコーパスのアノテーションを一般化するにはその資料に対する十分な理解が必要であるが、つねにその資料のエキスパートが内部的にコーパス開発に関われるとは限らない。先に述べたオープンな情報付与環境の構築によって、そうした面でも多くの知見の集約がかなうことを期待したい。

 当然ながらほかにも多くの史的研究の成果が発表されているが、筆者の関心の偏りから文法史と特にコーパスの進展に関して述べることに紙幅を費やしてしまった。コーパスの現状を広く学界で共有したいという希望と常に進展に着目しつづけるべしという筆者自身の自戒のあらわれということにて、ご寛恕いただければ幸いである。


宮内佐夜香(みやうち・さやか)……著書に『コーパスで学ぶ日本語学 日本語の語彙・表記』(共著、朝倉書店)*、論文に「江戸語・東京語における逆接の接続詞―形式の推移と用法―」(『中部日本・日本語学研究論集』和泉書院)*、「「開化啓蒙書」の逆接表現形式―「スタンダード言語」としての性質を探る―」(『コーパスによる日本語史研究 近代編』ひつじ書房)*ほか。


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