学界展望 日本語の歴史的研究 2024年1月〜6月
(林 淳子)
日本語研究者が「歴史的研究」2024年前期の動向を振り返ります。
【学界展望】
日本語の歴史的研究 2024年1月〜6月
林 淳子(東京大学准教授)
2024年1月~6月も日本語史分野で多くの成果が公表された。以下では4つのテーマに分けてこの期間の研究を振り返る。
1.「当たり前」の見直しと精緻化
既に広く共有される先行の知見に対し、新たな視点や方法を導入してその見直しや精緻化を行うことは、学問一般の最も基本的な進展のあり方であるが、今期の日本語文法史研究も同様であり、特に上代・中古という研究の蓄積の厚い時代を中心にこの種の成果が目立った。
たとえば、富岡宏太「中古散文における詠嘆の「か」の位置づけ」(『群馬県立女子大学国文学研究』44、3月)は、「『当たり前』の事柄について、例数をもとに実証的に示すとともに、いくつかの微修正を行った」と、このような態度を明確にしたうえで、上代にあって中古ではなくなるとされる詠嘆の終助詞「か」が中古にも少数見られること、また詠嘆の「か」に代わって中古に発達するとされる「ものか」の例が中古でもそれほど多くないことを指摘する。小池俊希「助動詞マシに共起する助詞モの位置づけ」(『日本語学論集』20、3月)*は、助動詞「マシ」と共起する助詞「モ」が「マシ」の表す意志や推量の「最小限度」を表すという従来説について、上代の例の整理を通してその妥当性に疑問を呈するとともに、この種の「モ」に希望表現「ヌカ(モ)」「(テ)シカ(モ)」において不満感や欠如感を表す「モ」と同様の詠嘆性のはたらきを認めることを提案する。富岡氏には中古の終助詞を対象とする一連の研究成果が、小池氏には助詞「モ」に関する複数の研究成果があり、その積み重ねが従来説の見直しを促したことが両論文から窺える。
また、古川大悟「推量の助動詞の意味的体系性について—『萬葉集』の用例解釈から—」(『萬葉』237、3月)は、いわゆる推量の助動詞群について従来説が拠ってきた推量の確度や証拠の有無に拠らない説明を目指し、万葉集の用例の分析を通して終止形接続のベシ・ラシと未然形接続のム・マシとでは基底にある論理構造が異なることを示す。なお、古川氏は「言語で言語を語るということ—古代語助動詞研究をめぐる覚書—」(『国文学』108、3月)において、古代語の助動詞を例に、言語研究の自己言及性についても考察している。コーパスを利用した日本語史研究の普及が事実の存在や数、割合などを「客観的」証拠として提出する傾向を生んだことは疑いようがないが、これに対して古川氏は事実といっても解釈抜きには存在せず、少数例の位置づけを含めた現象の整合的な説明こそが言語研究の客観性を担保すると述べる。
一方、従来説の精緻化には、辻本桜介「中古語における格助詞「へ」の意味—和歌の詞書を資料として—」(『人文論究』74巻1号、6月)*がある。この論文では、従来は①「到着」を表さない、②「遠い場所」を表すと説明されてきた中古語の助詞「へ」について、「へ」が比較的多く現れる和歌の詞書から採集した例を詳細に分析することにより、①は「移動の途中」、②は「移動先の周辺」と言い換えられることを明らかにし、より精密な把握に成功している。また、藤原慧悟「中古和文における連体カ疑問文—連体ナリ文との対応—」(『国語研究』87、2月)は、これまで示唆に留まっていた、連体カ疑問文を連体ナリ文に対応する疑問文と見る可能性について、中古和文の例を具に検討することによって検証している。藤原氏には、「中古和歌における話し手の意志をめぐる疑問文」(『國學院雑誌』125巻6号、6月)*もあり、同じ対象の散文での様相(藤原慧悟「中古和文における話し手の意志をめぐる疑問文について」『日本語の研究』18巻3号、2022年12月)*と比較して、行為の実行を決定しつつあることを表す「~や~む(意志)」が和歌にしか現れないことを指摘するとともに、その理由を韻律に求める。勝又隆「『万葉集』における「連体形+名詞+ソ」文とソによる係り結び文の主題と表現性について」(『福岡教育大学国語科研究論集』65、2月)も、勝又氏がこれまで研究を重ねてきた「連体形+名詞+ソ」文と「ソによる係り結び文」とを情報構造の観点で比較し、前者が事物の説明であるのに対して、後者が事態の説明であるという表現性の違いを導く。
上代・中古の文法研究は蓄積が厚いうえ、参照可能な資料も後代に比べると限られるため、一見すると残された研究テーマなどないように感じられるが、むしろ積み重ねられた研究の丹念な検討によって新しい展開が生まれることをこれらの研究は教えてくれる。
なお、中世以降についても、岡村弘樹「鎌倉時代口語における助動詞リ—明恵関係の聞書類を中心に—」(『国語語彙史の研究 43』和泉書院、3月)*や西谷龍二「上方・大阪方言の卑罵語オル・ヨルの変化について—中世末期以降の行為指示表現に注目して—」(『論究日本近代語 3』勉誠社、3月)*のように、従来指摘されてきた変化について、その過程の詳細を綿密な調査によって確認する研究が見られた。岡村論文は明恵関係の聞書類を取り上げることによって資料に乏しいと言われる鎌倉時代の口語の調査を実現している。前掲辻本論文における和歌の詞書への着目とともに、資料選択の妙が研究を進展させる好例と言えよう。
2.複雑な変化を捉えることの難しさ
日本語の歴史の中で長い時間をかけて進行した変化の全体像を捉えることもまた、日本語史研究の基本的なスタイルの一つであるが、変化は一つの要因に促されて起こり、直線的に進行するとは限らず、むしろ多くの場合に言語内・言語外の複数の要因が絡み合うところに生まれ、その過程に説明のできない断絶を含むものであろう。そのような複雑な変化の過程を、紙幅の限られた雑誌論文で描くことは至難の業だと思われるが、今期はその難しさを巧みに乗り越えた研究が複数見られた。
まず、川瀬卓「副詞「どうぞ」の歴史変化—変化の語用論的要因に注目して—」(『日本語文法』24巻1号、4月)*と川村祐斗「サラバの史的展開—サレバ・未然形バとの対照—」(『日本語の研究』20巻1号、4月)*を挙げたい。いずれも現代語では挨拶表現として用いられる(こともある)「どうぞ」「サラバ」が挨拶表現化するまでの過程を扱うものである。前者は、変化を誘発する場面の存在に注目し、話し手利益の行為指示から聞き手利益の行為指示へ、その各々から定型的な表現へという変化を描く。後者は、意志・命令表現との共起率や「サ」が指示する事態の観点で「サレバ」や「未然形バ」と対照することによって、「サラバ」には挨拶語化の前に場面展開機能を担う接続語化の段階があったことを示す。
また、北﨑勇帆「「~はおろか、~」構文の歴史—副詞節を構成するコピュラ文—」(『語文』122、6月)*は、「~はおろか、~」構文の成立過程について、後続部分に対比的な内容が置かれることは「おろか」の語彙的意味(「不十分である」)から説明できるとする一方で、「~はおろかなり」からコピュラ「なり」が脱落するのは「~はもちろん、~」の「もちろん」の置き換えである可能性を提示する。このように複数の異なる変化の帰結として現代語の「~はおろか、~」構文があるという見方は、ともすればアドホックになる危険を孕むが、この研究は幅広い資料の緻密な調査と類型論的な後ろ盾によって説得力を担保しており、学ぶところが大きかった。
さらに、日本語構文史上の大きな変化を改めてまとめ直す試みとして、金銀珠「無助詞・「ノ」・「ガ」による主語表示の歴史的展開—平安から現代までの構造変化に注目して—」(『日本語の研究』20巻1号、4月)*および、矢島正浩「文法史としての仮定節史—タラバとタリトモの消長をめぐって—」(『国語国文学報』82、3月)*・「近世前期恒常条件の再理解」(『論究日本近代語 3』勉誠社、3月)*があった。金論文は主語表示が無助詞から「ガ」へと移る過程を、従属節の介在など文全体の構造に着目して説明するものであるが、この見方の先に準体法の衰退とその後継と目される準体ノ句の発達との因果関係の見直しがあり得ることまで示唆する。矢島論文は、仮定条件表現、恒常条件表現それぞれの変遷における順接と逆接の非対称性に注目し、その非対称が生まれる事情の説明を通して、条件表現史を捉え直そうとするものである。いずれも、変化の全体像の把握が俯瞰的な視点をもたらし、より高次元の問いを導くことを示す研究として印象に残った。
3.近代語形成の記述
今期は近代語学会編『近代語研究 24』(武蔵野書院、3月)*および日本近代語研究会編『論究日本近代語 3』(勉誠社、3月)*の刊行があり、これを中心に近代語の形成過程を詳らかにする研究が豊富に見られる。
中でも、丁寧体の文末「です」をめぐっては、『近代語研究』の常盤智子「「ましてす」について」や浅川哲也「語源を異にする二種の「です」とその動向—噺本と人情本と「書生ことば」—」、『論究日本近代語』の許哲「明治期文学作品における「丁寧」と「否定」の文法カテゴリーを含む述語部の構造」、神作晋一「丁寧体過去形式「~だったです」について—「国会会議録検索システム」を例として—」と、様々な角度からのアプローチがあった。「です」を含む述語部分の構成は、近代初期には構成要素の点でも語順の点でも複数のパターンが存在し、混沌とした状態であったのが、次第に淘汰され、整理されて現在に至る。その流れの細部を確定していくのが上記の研究であるが、その意味では近世後期から近代にかけてのノダ文の発達過程を扱う幸松英恵「ノダ文の通時的研究—「事情を表さない用法」を中心に—」(『東京外国語大学国際日本学研究』4、3月)*も、「ノ+終助詞」の文が「ノダ」に合流していく様子を描いた点で目的を同じくするものと言えよう。
近代初期の複数形式が並立する状態から次第に一つの形式に収斂していくという傾向は一部の語彙についても当てはまる。これに関する研究として『近代語研究』には米田達郎「「直径」の語史とその周辺—明治時代以降を中心に—」があり、近世後期から近代初期にかけて「直径」と並んで用いられていた「全径」「円径」「中径」が教育用語として使用されなくなる経緯を明らかにしている。米田論文は理学・数学分野の翻訳教科書・国定教科書を資料とするが、科学語彙の史的研究における翻訳教科書の有用性については、奥山光「明治初期翻訳教科書の漢語—川上冬崖『西画指南』『西画指南後編』を例に―」(『日本語学論集』20、3月)*の網羅的な調査でも示されている。国定教科書については、『論究日本近代語』の髙橋圭子・東泉裕子「国定教科書にみる近代の「レル敬語」」*で、その規範的な性格が敬語の選択に及ぼす影響が説明される。奥山論文、髙橋・東泉論文は翻訳教科書、国定教科書それぞれの性格を鮮明に表すものであり、合わせて読むと資料性の違いがいっそう明瞭になる。
4.国際的発信
日本語学の知見を国際的に発信することの必要性が説かれるようになって久しいが、これに関連して今期特筆すべきは3月に日本語学会の英文機関紙 Language in Japan* が創刊されたことだろう。5月の日本語学会春季大会で日本語学会創立80周年記念事業の一環として記念シンポジウム「世界の日本語学」*が開催され、中国・韓国・ベトナム・アメリカ・フランス・エジプトにおける日本語学の展開と現在の状況が紹介されたことも記憶に新しい。
日本語史研究の分野では、Handbooks of Japanese Language and Linguistics (Ed. by Masayoshi Shibatani and Taro Kageyama) の Vol.1に据えられる Handbook of Historical Japanese Linguistics (Ed.by Bjarke Frellesvig and Satoshi Kinsui、4月) *が刊行された。I: Prehistory and reconstruction, II: Phonology, III: Grammar, IV: Lexicon, Materials and Kanbun の4章から成り、各章は時代や資料ごとにそれぞれの専門家による論考で構成される。日本語の刊行物でも、ここまで幅広く日本語史全体を見渡したものはなかなか見られないだろう。
Language in Japan や Handbook of Historical Japanese Linguistics の刊行の一義的な目的が英語で学問を行う人々による発信/に向けた発信であることは疑いようがない。しかしながら、これまで日本語で日本語学の研究成果を享受してきた稿者のような者にとっても、慣れ親しんだ語に対応する英語表現に対して共感あるいは場合によっては違和感を持ち、それによって改めて一つ一つの用語の意味を考える機会となったし、また前提知識に頼らない日本語史の記述に接して、論者の考えがより明瞭に表現されていると感じることもできた。つまり、これらの刊行物は、日本語で日本語学を行う者が既に持っている知識を英語に訳したものではけっしてなく、日本語以外の言語で書く/読むという営みの中で日本語史の理解を促進する役割を担っていると言える。今後もこのような発信が途切れないことを願う。
以上、ひたすら稿者の関心に沿って今期の研究を振り返ったが、言うまでもなくこれは今期公表された研究の一部に過ぎず、稿者の力不足ゆえに取り上げることのできなかった成果が多数あることをお詫びしたい。合わせて、今期成果を発表された論者の方々に敬意を表するとともに、日本語史研究の着実な進展に接する機会をいただき、感謝申し上げる。
林 淳子(はやし・じゅんこ)……著書に『現代日本語疑問文の研究』(くろしお出版)*、論文に「話し手の行為について問う文―疑問文の歴史的対照の試み―」(野田尚史・小田勝編『日本語の歴史的対照文法』和泉書院)*、「近代におけるノ止め疑問文の台頭」(『近代語研究 24』武蔵野書院)*ほか。
学会展望 日本語の歴史的研究
2024年7月〜12月は、2025年4月頃掲載予定です。
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