学界展望 日本語の歴史的研究 2025年1月〜6月 
(辻本 桜介)

日本語研究者が「歴史的研究」2025年前期の動向を振り返ります。


【学界展望】
日本語の歴史的研究 2025年1月〜6月
辻本 桜介
(関西学院大学准教授)

 

 今期も多くの成果が公表され、内容は多岐にわたる。何か独自性のある観点から整理できたら良かったのだが、そのような芸を持たない。何を紹介すべきで、何を省くべきかの判断もおぼつかないので、ともかく管見に入った論考を分野別に挙げていく形をとったところ、必要とされる分量を大幅に超過してしまった。きちんと読めていないものが少なくないことも含め、お許し頂きたい。

※以下、『国語語彙史の研究 四十四』(和泉書院、3月)*は何度も言及するので、『語彙史』と略す。

1.文法

 今期、文法関係は活況と言って良かったのではないかと思う。中でも、テンス・アスペクト・モダリティを扱うものが目立った。格・とりたてなどの論考ももっと欲しいところである。

1. 1 文の分類、文構造

 林淳子「疑問文は平叙文とどう違うか—日本語における文の種類の問題—」(『東京大学文学部次世代人文学開発センター研究紀要』38、3月)*は疑問文・平叙文・感嘆文・命令文という、いわゆる文の4分類が、助詞「か」「の」の有無や語順など形式的な特徴と一対一に対応するようなものではなく、表現意図の面からの分類であると見ておく必要があることを押さえたうえで(例えば「か」があっても疑問文になるとは限らない)、古代語と現代語とで疑問文らしさが文中の形式などとどう相関するかを論じる。本論文は林淳子『現代日本語疑問文の研究』(くろしお出版、2020)の一部を加筆修正したもので、本書の重要な部分が理解できるようになっているので、著者の学問をまだ知らない方にお勧めである。
 矢島正浩「近世前期における逆接確定条件の再理解」(『国語国文学報』83、3月)*は近世前期の逆接表現を調査し、逆接のガは、前後件で相互に拘束しあわずそれぞれ自立的に成立する事態を並べるという特徴(「不連続性」)を有していたが、近世以降、「対立性」と解される場合が増えるとする。
 山田伸武「上代語助詞ソによる措定文・同定文・指定文」(『待兼山論叢 文学篇』58、3月)*によれば、A ハ B ソにおいては、指定文、倒置指定文、同定文の確例がほぼ無いようである。上代語研究は使える資料の量など何かと制限が大きいが、本論文を見るに、案外、素直に現代語の知見を活かしながら基本的なところを観察していくことで、有益な成果がまだまだ出るのかもしれない。氏は「既存の枠組みに当てはめただけ、という誹りは免れないであろう」とするが、既存の枠組みに当てはめるのも案外難しいのではないかと思う。
 衣畑智秀「間接疑問文は日本語にどのように発達したか—直接疑問文との対比から—」(『福岡大学日本語日本文学』34、1月)*は助詞カを用いた間接疑問文の発達について考察し、近世後期に直接疑問文から独立した構文として定着したとする。
 多田知子「「わけ(だ)」文法化の経緯」(『日本語の研究』21-1、4月*は、現代語における文末のワケダが「[事情]ので[事態]わけだ」「[事態]は[事情]わけだ」「[事態]。[事態の言い換え]わけだ」のような3通りの意味構造を作れることを示し、CHJ によってそれぞれの用法の用例の通時的な調査を行っている。

1. 2 テンス・アスペクト・モダリティ

 代表的な文法範疇であるテンス・アスペクト・モダリティに関する論考は多く、著書・訳著の出版も相次いだ。
 まず、福嶋健伸『中世末期日本語のテンス・アスペクト・モダリティ体系—古代から現代までの変遷を見通す—』(三省堂、3月)*が出たことに触れたい。本書は、中世末期における動詞基本形・タ・テイル・テアル・ウ(ズ(ル))が持つ意味を体系的に明らかにし、古代から現代にかけての変化の中に位置づける。大著であるが、書き下ろしとして加えられた終章には、問答の形式で、本書で明らかにされた事実が分かりやすくまとまっていてありがたい。テイル・テアルの構成要素となった「ゐる」「あり」の持つ〝存在〟という原義が現代よりも生きていることを押さえておくことで、各形式の意味を体系的に捉えられるようである。後半(第3部)は、本書の成果が国語教育・日本語学史など隣接する分野にどう関与するかを論じるものとなっており、こちらも興味深い。今後、この分野を扱う際には第一に参照すべき文献と思われる。
 次いで、H. A. スィロミャートニコフ(著)・鈴木泰・松本泰丈・松浦茂樹(訳)『近代日本語の時制体系』(ひつじ書房、5月)*が出た。著者(1911-1984)はソ連の日本語学者で、本書は1971年に出版された『近代日本語の時制体系』の邦訳ということになる。書名に「近代」の語を含むが、狂言記や読本を用いるなど用例観察の対象は独特である。先行説として山田孝雄・三矢重松・松下大三郎などを取り上げて一通り批判しているのには時代的に些か古いものを感じるが、「とともに」「と同時に」「にしたがって」「につけて」「がはやいか」など複合辞的な接続形式による副詞節まで網羅的に観察して、従属節内の時制形式を細かに取り上げている点は今日的な目で見ても独自性が高い。50年以上前の著作だが、ここから得るべき知見は少なくなさそうである。なお、教育科学研究会の活動に関連するところでは、狩俣繁久・大胡太郎・當山奈那「古代日本語のすがた動詞のス形、シヌ形、シツ形 —『にっぽんご 8』第7章の解説—」(『琉球アジア文化論集 琉球大学人文社会学部紀要』11、3月)*も出ている。
 さらに、青野順也『上代日本語における時間・主観表現形式の研究』(和泉書院、6月)*が出たのも注意される。本書は主に上代語を対象として、推量の助動詞の「む」「らむ」「けむ」「べし」「まし」、完了の助動詞の「つ」「ぬ」「り」「たり」、複合形式の「なむ」に加え、希求の終助詞の「な」「ね」を扱う。上代以前における各形式の成立の経緯を推し量ることには限界もあるが、本書はそこに果敢に踏み込んだものと言えるだろう。それだけに、受け入れられるかどうかわからない部分もある(例えば p.79のク語法が「あく」という体言を出自とする通説に拠らずに、「く」語尾を想定して、それを形容詞連用形に準ずるものとする考えなど)。
 個別の論考に目を移そう。古川大悟「古代日本語における推量の助動詞—原因理由句が推量の対象となる場合—」(鉄野昌弘・奥村和美編『万葉集研究 第四十四集』塙書房、2月)*は主に万葉集の調査を行い、「A だからこそ B ノダロウ」のような意味構造で原因理由句 A を推測する表現において、このノダロウに相当する位置にラシが多く現れること、ベシが現れないことなど、意味的・構文的な観点から推量の助動詞の働き方について論じる。氏の論文は難しい箇所があり、読むのに力が要る。例えば、疑問文の調査結果が示され、「疑問文には「らし」があらわれない」という事実が示されるが、60年以上前に既に宮田和一郎「助動詞「らし」と疑問語」(『国文学 解釈と教材の研究』6-6、1961年)が「理論的にもまた常識的に考えても、助動詞「らし」は疑問の語とともに用いられることはない、と考えられるのである。」(p.114)と既に述べていることはどう捉えるのだろうか。なお宮田氏は「それはあたまの上の考えであり、また先人の説を鵜呑にしたもので、無精から来たなまけた考えである」とも言い、上代では日本書紀歌謡の「らしき」という疑問文末の例を挙げている。古川氏がこれをどう見るかにも興味がある。
 古代語を扱った論考は他にも出た。三宅清「助動詞ムの連体形の語性—現実・非現実の観点から—」(『国学院雑誌』126-1、1月)*は、疑問詞を承けるムがケム・ラムと違って現実の事態を描写するものに偏るとする。この指摘は、ムが非現実を示すという考え方を補強するものだろう。山田沙良「助動詞ラムの意味をめぐる学史と展望—「現在推量」の限界と、「詠嘆」解釈がもたらす可能性—」(『昭和女子大学大学院日本文学紀要』36、3月)*は有名な「ひさかたの……しづ心なく花の散るらむ(古今84)」という一首の「らむ」について、その解釈を述べながら「らむ」を「齟齬を述べる形式」とする。そう解釈しなければならない「らむ」の用例数、使用頻度に触れる必要があろう。末吉勇貴「古代語のトキ節複文に見られるテンス形式と事態の順序」(『国文学』109、3月)*は古代語のトキ節の時制が絶対テンスであることを確認し、その後、相対テンスへ移るのが中世後期頃であったと推定する。
 小池俊希「非合説のモをめぐる諸問題の整理」(『日本語学論集』21、3月)*は、従来係助詞の一種とされてきた「も」の、「合接」(学校文法では「累加」にほぼ相当するか)以外の用法を中心として、各時代、各種の構文がこれまでどう把握されてきたかを整理している。文末に特定の活用形を要求するわけでもない「も」は係助詞と認定できないという見方で落ち着きつつあるなら、筆者もそれは当然の成り行きと思う。また、「も」の文法的振る舞いが大局的に把握されている現状において、今後は個別の用法に焦点を当てた検討を精緻化することが求められるとする点は、「も」に限ったことではなく、様々な文法形式の研究においても言い得るのではないかと思われる。氏の論文は後述の「とりたて」に入れるべきかとも考えたが、終助詞的な用法に注目するものなのでここで触れた。
 中世以降を扱う論考は多くなかったようである。キム ソヒ「テンゲリとツ、テケリの比較—上接動詞の観点から—」(『国際日本学研究』5、3月)*は平家物語(覚一別本)のテンゲリ・ツ・テケリに前接する動詞の種類を調査する。各形式の持つ意味についても知りたいところである。岡村弘樹「平安・鎌倉時代における「他動詞+助動詞リ」—現代語のテアル文との対照から—」(『京都語文』32、2月)*は、平安和文・今昔物語集・明恵資料に、用例は少ないものの、動作対象を表す語が主語の位置にあるように見える他動詞+リの用例があることを指摘している。現代語の「紙が置いてある」などのテアルに近いものであり、今後のさらなる調査が期待される。齋藤文俊「近代邦訳聖書における時の助動詞」(『名古屋大学人文学研究論集』8、3月)*は明治期の聖書でキ・ケリ・ツ・ヌ・タリ・リがどう使われるかを検討する。ケリが「……言ひけるは」のように引用表現の導入での使用に偏るなど、近代の文語に見られる興味深い実態が示される。
 その他、柴田昭二・連仲友「浮世風呂における希望表現について」(『香川大学教育学部研究報告』12、3月)*もあった。この論文は、「たい」「ばや」「ほしい」など調査項目として予め決めてあった希望表現の用例を『浮世風呂』から抽出し、その用例数を数えたり、文意を簡単に書き添えたりしている。著者らは『醒睡笑』『とはずがたり』『栄花物語』『宝物集』など資料を変えて同様のことを20年以上にわたって繰り返してきた。

1. 3 とりたて

 柴田・連論文に続けて、田中敏生「『三宝絵』の副助詞ダニ(附:スラ・サヘ)—初期仏教説話集における〈相対的軽少性〉の意義の一確認—」(『四国大学学際融合研究所年報』5、3月)*にも触れておく。この論文は、副助詞「だに」について「その接する語句が、想定される他の大きな要素に較べて、相対的に小さな要素であることを自身の意義において示す」(p.90)という点が『三宝絵』で一貫して見て取れることの一確認をするというのがねらいだとして、願望表現、仮定条件節、否定文など生起環境を分類して用例を掲出し、その意味の解釈を添えていく。田中氏はこのように一資料内の副助詞の解釈を並べる論文を、やはり20年以上もの間、繰り返し公表している。

1. 4 待遇表現

 今期は伊藤博美『近・現代日本語謙譲表現の研究』(ひつじ書房、2月)*が出た。本書は第1章で現代語の「お/ご~する」について検討し、補語に対する〝加害性〟のある動きか否か、また、補語の負担を軽減するかなど、補語にとっての受益性・代行性があるかどうかといった表現特徴が当該謙譲語の使用の可否に関わることを論じる。この章を読むことで、第2章以降で扱われる近代の「お~申す」「お~いたす」「~させていただく」等の分析内容の理解も深まるようになっていると思う。
 敬語に関わる個別の論考は、扱う資料・対象にやや特色を感じるものが見られたように思う。
 山田潔「中近世書簡文の謙譲・丁重表現—「奉る」「申す」「仕る」「致す」の用法—」(『国学院雑誌』126-5、5月)*は、戦国大名の古文書や松尾芭蕉関係の書簡を資料として、謙譲語の分布を調査する。
 山口響史「国定読本に採用された敬語の歴史的背景—クレル系補助動詞の敬語形について—」(『国語国文学報』83、3月)*は、近世語の詳細な調査を踏まえ、国定読本に見られるクレル系補助動詞の様相を論じる。
 西谷龍二「上方落語に見られる一人称を動作主とする V+オル・ヨルの使用について」(『語彙史』)*は、上方落語に見られる「動詞連用形+オル・ヨル」の用例を観察し、三人称の用例が多い中で、一人称を動作主とするものがあり、尊大な話者や田舎者の女中など特定の人物像を想起させる働きを指摘している。
 山本久「「御+形容詞」の発達について」(『国学院雑誌』126-6、6月)*は、敬語化した形容詞を「お忙しい型」「お懐かしい型」からなる尊敬語と、「お恥ずかしい型」「お聞き苦しい型」からなる謙譲語とに分類し、古代から近世におけるその語彙の分布を調査・分析する。

1. 5 小括

 4月26日(土)の東京大学国語国文学会では「文法研究へのアプローチ」*と題する公開シンポジウムが開催され、林淳子氏(東京大学)・北﨑勇帆氏(大阪大学)に加え僭越ながら稿者も壇上の末席に加わった(奇しくも、この動向記事もお二人に続いてものすこととなった)。文法研究において、(現代語も視野に入れつつ)主には近代以前の日本語との向き合い方をめぐって「何が明らかになったら文法研究と言えるのか」という根源的な問いについての議論を行うもので、東京大学の関係者以外にも多くの参加があった。今こうして文法史の論考を眺めていると、本シンポジウム以外にも、こうした催しが多く行われ、文法史あるいは文法研究そのものへの態度がどうあるべきなのか、議論の蓄積が必要なのではないかと感じられてくる。