学界展望 日本語の歴史的研究 2025年1月〜6月 
(辻本 桜介)

2.語彙・辞書

 今期、語彙史に関わる論考が多かった。これは例年のことなのだろうか。検討対象を1語だけ決めてその歴史を追うなりすれば、何らかのデータを出して立論することはでき、簡単に論文化できるが、無数にある語の中の1語をランダムに選ぶのでは、その論考の価値は低い。語を選んだ意図が分かる論文ほど、良いものに感じた。

2. 1 個別の語の研究

 名詞の研究が目立った。およそ古い時期を扱うものから見て行こう。
 他言語との関係を扱うものとしては安部清哉「水名(河川名)「サワ」(沢)「シガ」(氷)小考—オーストロネシア語は2度列島をうるおす—」(『学習院大学国語国文学会誌』68、3月)*が出た。日本語の語彙が南方の言語の影響を受けているという説は有名だが、資料的限界があって具体的な分析に踏み入ることが難しい中で、氏は「さわ(沢)」などを取り上げ、オーストロネシア語族に見られる類義の語との同源の可能性を探る。
 共時的研究は古代に集中した。柚木靖史「「見証」「顕証」の成立と意味用法—中国文献との比較による—」(『広島女学院大学人文学部紀要』6、3月)*は、中古和文において仮名書きによって解釈の混乱が起こる「見証」「顕証」を取り上げ、古辞書・中国文献・古記録など各種の資料の調査を踏まえて、これらの意味の相違や成立過程を論じる。岩田芳子「『古事記』の器物表現」(『熊本県立大学文学部紀要』31、2月)*は『古事記』における「剣」と「刀」に使い分けがあるとし、「剣」が人を殺す道具であり、霊的な側面を持つとしつつ、「刀」については今後の課題として保留する。使い分けを明らかにする必要があろう。髙野柚「『源氏物語』成立頃までの散文作品における「しろ」」(『国文学試論』34、3月)*は中古和文作品から「しろ(白)」の用例を集め、例えば源氏物語では夕顔の人物造形に「しろ」が使用されているといったことを指摘する。出た用例の数や文意は事実としては認められるが、それがどのような謎を解明するものなのかといった、データの意義が示されることが望まれる。漆﨑正人「キリシタン資料における「ちようあい(寵愛)」について(中)」(『藤女子大学国文学雑誌』111、1月)*は『サントスの御作業』『ヒイデスの導師』『スピリツアル修行』など文語系のものから「寵愛」の用例を得て語形や意味を検討する。
 やはり通時的な研究がメインのようである。山王丸有紀「「花のあたり」とは—古典語「あたり」に関する一考察—」(『成蹊国文』58、3月)*「あたり」の上代から鎌倉時代にかけての意味拡張(人物からその周囲へ)を扱う。山中梓「人称詞「御身」の成立」(『国語学研究』64、3月)は「御身」の用例を「身体用法」「身の上用法」「人物用法」に分けたうえで古代から近世にかけての用例の分布の模様を辿る。古田恵美子「続「厭離穢土」「欣求浄土」の語誌」(『横浜国立大学教育学部紀要 II 人文科学』8、2月)*は各種の『往生要集』仮名書き本における「厭離穢土」「欣求浄土」の訳語を観察する。仏典の漢語が平安時代においてどう読まれ、人々の言語生活に浸透したかを示す一例。漢語受容のあり方を考える上で、参考になる情報が提供されている。
 他には少し変わったテーマの論考が目立ったように思う。宇都宮啓吾「「琵琶湖」続貂—呼称の成立と定着について—」(『大阪大谷国文』55、3月)*は、琵琶湖が11世紀末から19世紀にかけて「琵琶湖」という呼称を定着させた経緯について、特にその宗教的背景を考慮に入れながら考察する。国語資料の用例調査に留まらない、文化史的論考。奥山光「漢語「透視」の展開」(『語彙史』)*は、専門語が一般語としての使用、あるいは複数の学問分野での使用に発展する経緯を考えるケーススタディとして「透視」の語史を取り上げ、X線の発見などの科学史との関連を視野に入れつつその過程を詳細に論じる。さらに氏は奥山光「漢語「頂点」の展開」(『日本語学論集』21、3月)*で漢語「頂点」に関して近世・近代における国内外の諸資料を網羅的に調べ上げ、その成立・普及する経緯を詳述する。従来、多義語は和語が主な関心の対象となり、各種の別儀を共時的なネットワークで示す認知言語学的な方法が主流だったように思うが、このように漢語を通時的に扱う例も今後、増えていくのだろうか。浅野敏彦「「近代語」平等の語史」(『語彙史』)*は、漢語「平等」の歴史を古代から辿り、その変化について考察する。室町時代に仏教語から一般語へ移ったのだという。中澤拓哉「モンテネグロの意訳表記「黒山国」に関する一考察—大正期における外国地名表記の一例として—」(『語彙史』)*は、モンテネグロが「黒山国」という意訳表記、「ツルナゴーラ」という現地語音訳表記、「蒙的尼」「モンテ子グロ」などの西欧語音訳表記を併せ持つ特異な例であることに注目し、明治期から昭和初期にかけての同国の呼称・表記の変遷の模様を明らかにしている。藤本能史「「括弧」の語誌」(『語彙史』)*は、「括弧」という語の出自と定着の過程を明治期の英和・和英辞書や数学書等の調査によって明らかにする。岸部優太「枕詞「あをによし」の解釈史—平安から江戸期まで—」(『京都語文』32、2月)*は枕詞「あをによし」の淵源について中世・近世の歌学書の説を収集し、4説に大別できるとする。この事例研究が今後どのような研究の一端として位置づけられるかが気になる。
 文法論の立場からは、名詞より動詞や形容詞、副詞の方に面白い議論を期待してしまうのだが、そのような研究は多くない。管見に入ったものを挙げよう。
 柚木靖史「漢語動詞「怨ズ」で読み解く源氏物語—動作主体と動作対象および表現者と理解者の関係性を視座として—」(『広島女学院大学大学院論叢』2、3月)*は、中古和文において使用頻度の高い点で注目される漢語動詞「怨ず」の意味特徴を、類義語の「恨む」と比較しながら分析する。宮武利江「他動詞「去る」の変遷—複合動詞「−去る」の用法再考—」(『文教大学国文』54、3月)*は、「去る」は複合動詞後項としては「過ぎ去る」「走り去る」のように自動詞的に働くものと、「取り去る」「抜き去る」のように他動詞的なものがあることなどを踏まえ、こうした「−去る」の用例を CHJ・BCCWJ で調査する。
 中川正美「平安仮名文における形容詞の語義解釈」(『語彙史』)*は、「なまめかし」「なつかし」「めやすし」を取り上げ、これらが和文作品で必ずしも辞書に記された語義通りに訳されていないことや、注釈書によって訳し方が異なる点を問題として、その語義について「文脈を精査してからの再考が必要」と述べる。氏による実践として中川正美「「めやすし」考—源氏物語の独自性—」(『梅花女子大学文化表現学部紀要』21、3月)*も出た。
 鳴海伸一「「加減」の語史と「いいかげん」の成立」(『語彙史』)*は、上代から現代までの「加減」の用例を観察しながら、「いいかげん」が複数の用法を持ち、マイナスの意味を定着させることについて論じる。髙橋圭子・東泉裕子「漢語〈ゼヒ〉の用法拡張と表記」(『東洋大学人間科学総合研究所紀要』27、3月)*は「ぜひ」の用法を名詞・動詞・副詞等に分け、副詞はさらに陳述・様態等に分けたうえで、近現代の用例の分布を通時的に追う。

2. 2 造語成分、語構成

 今期、島田泰子『日本語における一字漢語サマ名詞の研究』(和泉書院、5月)*が出た。「(何の)これしき」の「しき」は近世に遡ると「それしき」「丸しき」「塩梅しき」など生産性があったことが知られるが、本書は「しき」に加え「体(てい)」などのサマ名詞に注目し、その通時的な調査を行っている。接辞あるいは造語成分として働く場合から名詞として働く場合まで品詞的立ち位置にもバリエーションのある語彙であり、本書で掲出される用例はどれも興味深い。
 個別の論考は少なかったようである。蜂矢真弓「多音節語シカ〔鹿〕」(『山邊道』65、1月)*は、「か(香)」等が「蚊」より使用頻度が低いので同音衝突を避けて他音節化したとする。しかし「蚊」の方が使用頻度が高いとするのは疑わしい。用例数の調査など、基本的な作業が望まれる。蜂矢真郷「地名を中心とする「□生」について」(『語彙史』)*は「あわふ(粟生)」「そのふ(園生)」など〝場所〟を意味すると思しい「ふ」を構成要素とする語彙についての考証。

2. 3 語彙

 ある種の語彙を総合的に扱おうとするのは難しいらしく、あまり成果が出ていないように感じられた。その中で、郭桐琳「仏教語彙の日本古典文学資料による意味変化—二字漢語を中心に—」(『国際文化研究』29、3月)*は日本国語大辞典で仏語とされる語彙のうち「世界」「内証」「精進」「観念」「方便」「結縁」「因縁」「所詮」の通時的調査を行い、仏教的意味での使用から一般語としての使用への変化を見る。木村義之「『西洋事情』の語彙再考—政体関連の訳語を中心に—」(『日本語と日本語教育』53、3月)*は、福沢諭吉『西洋事情』に現れた「貴族合議(原語:Aristocracy)」「共和政治(原語:Republic)」などを取り上げ、その後の文献での使用状況について考察している。
 ただし、オノマトペの研究は目立った。柴田雅生「初期狂言台本にみえるオノマトペ—祝本狂言集の場合—」(『明星大学研究紀要 人文学部・日本文化学科』33、3月)*は祝本狂言集と称される初期の狂言台本からオノマトペの実例を拾って語義・語形等について考証を加えていく。中里理子「洒落本に見られるオノマトペ—「遊子方言」「通言総籬」など七作品を対象に—」(『佐賀大国語教育』9、3月)*は、洒落本のオノマトペを調査し、その使用率が滑稽本に比べて低いこと、また、複数回使用されるオノマトペが少ないことを指摘したうえで、洒落本のオノマトペは一回的・写実的な描写を行うものと見る。陳萍「少年漫画におけるオノマトペの2拍語基—語音配列則の経年調査から—」(『語彙史』)*は、昭和初期から現代までの少年漫画にみられる2拍語基のオノマトペを調査し、例えば第1子音がガザダバ行なら第2子音にガザダ行子音が現れない(「がく」「がぶ」などは可能だが「がぐ」「がず」などは不可)といった語音配列則が、概ね通用するものの、逸脱したものが1960年代から現れ、第2子音がガ行子音になる場合が多いことなどを指摘している。オノマトペの史的研究としては他に、田和真紀子「『愚管抄』におけるオノマトペ「ヒシト」の用法の拡張—様態描写用法からモダリティ的用法まで—」(『清泉女子大学紀要』72、1月)*もあった。

2. 4 古辞書・往来物

 古辞書に関する研究は活況のようである。およそ、扱う資料の古いものから見て行こう。
 李乃琦「漢文注から見た世尊寺本『字鏡』の成立」(『名古屋大学人文学研究論集』8、3月)*は、新撰字鏡・無名字書・類聚名義抄(図書寮本・観智院本)・一切経音義・世尊寺本字鏡の漢文注を比較し、世尊寺本字鏡の成立過程を考える。
 佐藤貴裕「『下学集』言辞門成立論のための覚書」(『語彙史』)*は、『下学集』言辞門の所収語が漢詩等の文芸作品に使用されないと見られていることに疑問を示し、五山禅林の辞書使用等について論じる。
 康凱欣「和漢聯句専門韻書の利用実態」(『国語国文』94-4、4月)*は、室町時代から安土桃山時代の和漢聯句と漢和聯句における押韻字を調査し、『聚分韻略』や、実作のための専門韻書である『和訓押韻』等の掲出字との一致関係を観察しながら、専門韻書が実作の和句に資したことを解明している。本論文は非常に明快で、門外漢にも読みやすいものだった。また、氏は康凱欣「和漢聯句専門韻書の展開」(『日本語学論集』21、3月)*で中世から近世に流行した和漢聯句を創作するために編纂された各種の韻書の書誌情報を整理し、それらに収録される韻字数などを調査してもいる。
 高橋忠彦・高橋久子「弘治二年本倭玉篇の和訓の典拠—経典釈文の影響—」(『語彙史』)*は、『倭玉篇』の諸本のうち弘治二年本が、色葉字類抄と文選古訓だけでなく、経典釈文(隋で編纂された周易音義、尚書音義などの総体)を用いて増補されたとする。さらに氏らの高橋忠彦・高橋久子「倭玉篇の編纂資料と増補の実態—玉篇略系諸本の場合—」(『訓点語と訓点資料』154、3月)*は、倭玉篇の諸本の中で川瀬一馬が第四類とする六本(同系統のもの)の調査を行い、大広益会玉篇を基として改編したとする川瀬の説に対し、世尊寺本字鏡が主要な資料となったこと、また、古本系精進魚類物語による増補があったことなどを示す。筆者は中世の古辞書には疎いが、緻密な労作だと感じた。
 郡千寿子「岡山県立図書館所蔵の往来物資料について—『国書総目録』未登載の新資料—」(『日本語日本文学論叢』20、2月)*は、近世の往来物として、『国書総目録』未登載の『農民日学書』『増補算法指南大全』などを紹介する(画像データは岡山県立図書館が公開しているという)。
 鬼頭祐太「貝原益軒『大和本草』における筑前の俚言に関する検討—小野蘭山『本草綱目啓蒙』との対照を通じて—」(『語彙史』)*は、『本草綱目啓蒙』に収録された筑前の俚言が『大和本草』にも少なからず含まれることを指摘し、貝原益軒の筑前での調査が重要であったことを解く。
 河瀬真弥「『日本大辞書』が国語辞書史にもたらしたもの—『帝国大辞典』『大日本国語辞典』を例に—」(『語彙史』)*は、『帝国大辞典』『大日本国語辞典』において『日本大辞書』の近松や西鶴の用例が孫引きされていることを指摘し、これまでの辞書史において評価の低かった『日本大辞書』の価値を見直す必要性を示している。河瀬氏には河瀬真弥「『日本大辞書』における音義説の位置」(『Antitled』4、5月)*もあった。
 関場武「江戸・明治期における小語彙集つき書簡作法書・その3」(『慶應義塾大学言語文化研究所紀要』56、3月)*は、関場氏の手元にある書簡作法書のうち主に明治~昭和初期の刊記を持つものの書誌を掲載している。『軍人文範』『軍人用文』『軍人はがき用文』『兵隊さんの手紙と式辞』など戦前の書き言葉の語彙を知るために有用な資料群のようであり、往来物やその系譜に関心を持つ立場にあればチェックしておく必要があるのではないだろうか。