学界展望 日本語の歴史的研究 2018年1月〜6月
(矢島正浩)
日本語研究者が「歴史的研究」2018年前期の動向を振り返ります。
【学界展望】
日本語の歴史的研究 2018年1月〜6月
矢島正浩(愛知教育大学教授)
「選択と集中」の改革によって大学の定員増は理系に偏り、特定の大学に大きな予算と頭脳が注ぎ込まれようとしている。本欄の担当にあたって、しかし、国政の失策に抗うかのように、研究領域の発展を支え、新たな展開を保証する研究成果が着実に創出されていることを感じることとなった。以下、各研究について学問としての“貢献”先を捉えながら、2018年度前期の研究動向を見てみる。
1.「学際性・多角性」追究型
自身の研究が専門外の人にどのように寄与するのか。他者や他の領域との交流を自覚化することが今日的な意義を考える第一歩となろうか。日本語学会の学会誌『日本語の研究』14-2(4月)が特集「越境する日本語研究」を組むのは、そうした意識の高まりの現われと言える。多門靖容「古代和歌の表現論のプログラム」には日本語史研究と古代和歌文学とがどのように交流可能であるかが示され、常盤智子「幕末明治期における日英対訳会話書の日本語―数量の多さを表す句との対応から―」では日本人・英米人それぞれによって成る日英対訳会話書の特質が言語社会史的背景も視野に説明される。研究領域の境界を越えた視点の重要性が浮き彫りになっている。
近年、これまでの日本語史研究で敬語史・待遇表現史などで取り扱われてきた諸問題を歴史語用論・歴史社会言語学として括り出す動きが目立っていた。それは単なるラベル貼りに止まらず、この領域の学際性を可視化させ、研究の掘り起こしや活性化につながっている。高田博行・小野寺典子・青木博史編『歴史語用論の方法』(ひつじ書房、5月)もそうした成果の象徴的な一書である。服部義弘・児馬修編『朝倉日英対照言語学シリーズ[発展編]3歴史言語学』(朝倉書店、3月)も、音声・表記・形態・統語等の各分野の歴史的変化に関して日英言語間の対照研究を行う。こうした企画は、各書が冠するテーマの多角的検討の深化においてはもちろん、執筆を担う研究者自身の研究域を広げることにおいても少なからぬ役割を果たしているものと思われる。それだけに、こういった研究の機会が多くの研究者に等しく広がっているわけではないことには、やや危惧の念を抱かないではない。
藤田保幸・山崎誠編『形式語研究の現在』(和泉書院、5月)は、長きにわたって形式語・複合辞領域の研究を牽引する編者による論集である。古代語・現代語・地域語、さらに話し言葉・書き言葉の各位相、日本語学史・日本語教育・比較言語学など、広範にわたる形式語の諸問題を取り扱う。岡﨑友子・衣畑智秀・藤本真理子・森勇太編『バリエーションの中の日本語史』(くろしお出版、4月)は、「日本語史研究は、単に日本語史の研究者だけのための領域ではなく、また、日本語史研究者は、日本語史の研究の中だけに閉じこもってはいられなくなっている」との認識の下、「存在表現とアスペクト」「指示詞」「受身」を柱としながら領域を超えた知的交流を図っている。
なお近年、この類型に配置される論文集は増加傾向にあるが、いずれも研究テーマを共有する以外、各論はそれぞれ自立的に立てられ、相互に交わるところはない場合が多い(上記『バリエーションの~』所収の「受身」諸論文間の交流は数少ない例外である)。なろうことなら、こう集成することでしか得られない見解への言及を望みたいものである。
荒川清秀『日中漢語の生成と交流・受容―漢語語基の意味と造語力―』(白帝社、3月)、清地ゆき子『近代訳語の受容と変容―民国期の恋愛用語を中心に―』(白帝社、4月)は、研究者個人で、日中語彙の交流を両言語の社会史も視野に、複数領域の専門知識を合せながら課題解決に向かうタイプである。西崎亨『国語の史料研究点描』(おうふう、5月)では、訓点資料の堅実な史料研究の積み重ねが、自ずとアクセント史、文法史としての貢献に結び付いている。
2.「今日的課題」対応型
今日の日本語史研究が取り組むべき課題に向き合った研究には、日本語学という学問領域への寄与が直接的にうかがえる。小柳智一『文法変化の研究』(くろしお出版、5月)は、文法変化研究の基本的な作法について厳格な整理を行う。文法変化がどういう方向性でなぜ起こるのか、変化の要因・過程・類型をどう想定し、どの用語をどう定義して用いるべきなのか、研究者それぞれに自省する機会を提供してくれる。なお、本書の位置づける「文法」範囲については、さらなる検討の可能性が残されているものと考える。
電子コーパスの整備が進み、言語の史的研究の際の選択肢の一つとして強力なツールを我われは手にしつつある。国立国語研究所の共同研究プロジェクト「通時コーパスの構築と日本語史研究の新展開」の精力的な活動も続く。今期もコーパスを適切に使いこなした成果は数多い。呉寧真「中古和文複合動詞の主体敬語の形」(『日本語の研究』14-3、8月)は主体敬語の複合動詞形の用い方についてコーパス検索による整理と用法解釈を絡めながら、意味のある傾向捕捉に成功している。命令形式の従属節使用に着目する北﨑勇帆は「訓点資料における動詞命令形の放任用法」(『訓点語と訓点資料』140、3月。以下『訓点』)などにおいて、巧みに電子化テキストDB、コーパスの検索と原文の調査とを組み合わせ、良い結果を次々と導く。
適切にツールを使いこなす技量が求められる一方で、文献の扱いについてはいよいよ弁えが求められる時代となった。豊島正之「キリシタン日本語文典の典拠問題と電子化テキスト」(『訓点』)には「wwwの検索などの結果が、「無い」事の証拠とならない」こと、「www検索結果の多寡が、頻用・稀用の証拠とならない」こと、「「有る」事に就ては、電子化テキストの検索結果もその証拠になし得るかに見えるが、これも、その電子化テキストの成り立ちに拠る」ことなどを具体的事例とともに警告する。鈴木広光「複製技術時代の書物のアイデンティティ―末広鉄腸『二十三年未来記』の場合(上)―」(『叙説』45、3月)、岸本恵実「キリシタン語学書の展開―ジョアン・ロドリゲスとアレクサンドル・ド・ロード―」(『語文』110、6月)には、資料それぞれが個別事情の下でしか成り立ち得ないという当たり前の、しかしともすれば忘れがちな事実の再認識を促される。これら資料研究は、電子化コーパスの需要拡大とともにその重要性も一体的に高まっている。
もう1点、旧来の中央語・標準日本語史研究への偏りについて省みる機会を与えてくれる動きについて。ここしばらく活況を呈している琉球語をめぐる諸研究が今期も活発であった。5~6月開催の日本方言研究会、日本語学会、言語学会、国立国語研究所「日本の消滅危機言語・方言の記録とドキュメンテーションの作成」研究発表会などにおいて、琉球語に中央語史のスケールでは計り知れない在り方が観察されることを次々と報告している。中央語を説明すると目されている原理について別の捉え直しが可能ではないかという貴重な視点をもたらしてくれる。他、小林隆編『コミュニケーションの方言学』(ひつじ書房、5月)、小林隆編『感性の方言学』(ひつじ書房、5月)は、方言学をベースとしながら、通時的アプローチの可能性を提案する。前者に論が収載される日高水穂には他に「談話展開からみた〈創生期〉の東西漫才」(『国文学』102、3月)もあり、東西の演芸ことばの相違から、地域に根差す表現史を形づくる要素の一端を描き出す。佐賀方言の条件表現史を記述する岩田美穂「近世末期佐賀方言資料にみられる条件表現」(『就実表現文化』12、1月)は、近世末期の佐賀方言の条件表現、さらに現代語への体系変化、形式名詞出自のギリの参入過程などを扱う。これらからは、標準日本語史観に基づいて構想されてきた歴史を捉え直すヒントをいくつも読み取ることができる。江口泰生「古代日本語の長母音」(『国語と国文学』95-4、4月)は、近世期の下北方言『レクシコン』と薩隅方言ゴンザ資料の記載を巧みに援用し、古代の長母音は「単音節語で、かつ周辺的語彙(稿者注:感動詞・擬音語・漢字音など)に出現し、語種の分別に関与する周辺的音韻として存在した」との推論を導く。限られた資料でも扱い方次第で日本語史の考証に広く及び得ることを教えてくれる。
3.「基礎・基盤」追究型
近時、日本語史の記述においてなぜそういう在り方なのかを問う、やや強めの空気がある。その態度こそが広い連なりを予見させる研究を創り上げる原動力となろうし、事象の解明としての意味も保証しよう。しかし、学問基盤を固める研究には、さまざまな応用や展開の中で意義付けされ、価値を判断されるところがあってよい。許哲『江戸・東京語の否定表現構造の研究』(勉誠出版、5月)、八木下孝雄『近代日本語の形成と欧文直訳的表現』(勉誠出版、5月)はそうした発見の価値付けを急がない記述態度に徹する。加藤大鶴『漢語アクセント形成史論』(笠間書院、3月)は日本語の中で漢語アクセントが形成される過程を諸資料によって丹念に跡付ける。表記史もまた、一般化した通時的把握に直ちには向かいにくい領域である。田中巳榮子『近世初期俳諧の表記に関する研究』(和泉書院、2月)は俳諧集を対象として振り仮名・漢字表記・仮名遣いを手堅く記述する。これらに代表される地道な文献調査に基づいた実証的記述研究にこそ、今後の研究の豊潤な展開の可能性が支えられていよう。
共有認識と目されている部分(≒基盤部分)を再検討する方法は、時として新たな視野を開く。大木一夫「文法形式としての古代日本語補助動詞」(『訓点』)は、古代では助動詞が担っていた文法的機能の多くを中世以降は補助動詞が代わっていくという“常識”に対し、古代語の複合動詞後項も文法形式として機能していた部分に着目し、切り直す。文法形式史がどのように編み直されるのか、今後の展開が俟たれる。
『国語国文』87-1(1月)は「一〇〇〇号記念特輯―『国語国文』この一篇」と題し、創刊号以来、掲載されてきた佳篇の中から選り抜かれた日本語史(も含む諸)研究が、各研究者の出会いとともに記されている。優れた研究は時空を超えて輝き続けることを思う。
4.「教育・啓蒙」型
日本語の史的研究の成果を、専門としない人々にどのように届けるかという重要な問題に対して精力的・継続的に取り組んでいるのが小田勝であり、今期も『読解のための古典文法教室』(和泉書院、4月)があった。小田はさらに、月2回の頻度で和泉書院のwebサイトにおいて、『実例詳解古典文法総覧』補遺稿(www.izumipb.co.jp/izumi/modules/pico/index.php?cat_id=60)を更新し、現代人と古代言語文化の橋渡しに力を注ぐ。専門外の人に最新の知見を偏りなく提供してくれる良質な教科書・講座物・事典類の刊行もありがたい。真田信治監修『関西弁事典』(ひつじ書房、3月)は現代関西方言についての全容を示すことをねらいとしながら、随所に史的視点からの言及があり、特に近世以降の上方語研究には益するところが大きい。
経済に直結しない“貢献”に対して、政治社会は冷淡である。しかし、我が国の言語文化に対する知識と理解を更新し続けることの意義は疑うべくもない。文学部の縮小・解体が喧伝され、いかにも旗色の悪い人文系であるが、経済至上主義とは違った土俵での社会的役割がある。その健全な活動の一端と未来の可能性について、一部でも伝えることができたなら幸いである。なお、中でも3節に配置すべき多くの優れた研究成果を割愛せざるを得なかった。時評としてはバランスを欠いたものに止まったこと、寛恕を請う次第である。
矢島正浩(やじま・まさひろ)……著書に『上方・大阪語における条件表現の史的展開』(笠間書院)、『近世語研究のパースペクティブ—言語文化をどう捉えるか—』(共編著、笠間書院)、論文に「タラ節の用法変化」(『国語国文学報』76)ほか。
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