詩壇ジャーナリズムと詩人たち
戦後詩の成立、現代詩の展開 
加藤邦彦 著

2月刊行予定
定価:5,940円(10%税込)
A5判・上製・424頁
ISBN:978-4-86803-015-7

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内容紹介著者紹介目次

詩史の潮流をたどる

1950-60年代の商業詩雑誌「詩学」「現代詩」「ユリイカ」「現代詩手帖」は、さまざまな特集を組み、詩の進むべき道を切り拓いていった。そうした「詩壇ジャーナリズム」の時代を生きた詩人たちは、どのようにしてみずからの詩を構築したのか。また、詩人たちの問題意識は「詩壇ジャーナリズム」にどう導かれたのか。
綿密な調査により、戦後詩から現代詩への展開を当時の社会的状況とあわせて捉え直す。
詩を研究するとはどういうことか。批評や詩論ではない、学術研究の必要性を実践した最新到達点!

 


ここ一〇年の間に多くの戦後詩人、現代詩人が鬼籍に入った。つまり、現代詩に関する生き証人たちが年々失われているのである。そうした現状にあって、いま現代詩に関する本格的な研究に着手しなくては、近い将来さらに多くのことがわからなくなってしまうに違いない。本書の問題意識は、そのような危機感から発生している。すでに遅きに失するかもしれないが、いまこそ、いまのうちにこそ、現代詩を批評ではなく研究の俎上に載せなければならないのだ。(「はじめに」より)

加藤 邦彦(かとう くにひこ)

駒澤大学文学部教授
1974年生。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。
早稲田大学文学部助手、梅光学院大学文学部専任講師、同准教授、佛教大学文学部教授、駒澤大学文学部准教授を経て、現職。
専門は日本近現代文学、特に近現代詩。
著書に『中原中也と詩の近代』(角川学芸出版、2010年3月)、共著に『『現代詩』復刻版 別冊』(三人社、2020年4月)、論文に「「女性自身」と三島由紀夫―「雨のなかの噴水」の再掲をめぐって―」(「三島由紀夫研究」第15号、2015年3月)、「出版社系週刊誌の登場―『週刊新潮』と文学の関わりを中心に」(『大宅壮一文庫解体新書』勉誠出版、2021年5月)、「『文章倶楽部』時代の小田久郎」(「ユリイカ」第55巻第11号、2023年8月)など。『新編中原中也全集』全5巻・別巻上下(角川書店、2000年3月~2004 年11月)編集協力。

はじめに

第Ⅰ部 近代詩人とメディア

第一章 宮沢賢治と『アラビアンナイト』 ―『春と修羅』収録詩篇を中心に―
一、「電線工夫」の改変
二、『アラビアンナイト』と日本近代文学者たち
三、宮沢賢治はどのテキストで『アラビアンナイト』に触れたか
四、「電線工夫」と『新訳アラビヤンナイト』
五、「屈折率」と「アラヂンと不思議なランプ」

第二章 中原中也と安原喜弘 ―一九三五年四月二九日付書簡をめぐって―
一、中原中也の書簡
二、書簡の言葉は誰に向けられているのか
三、「薔薇」に籠められたメッセージ

第Ⅱ部 戦後詩から現代詩へ

第一章 「荒地」というエコールの形成と鮎川信夫「現代詩とは何か」
一、「現代詩」の「現代」性とは何か
二、「現代詩とは何か」がもたらしたもの
三、「荒地」というエコールの形成

第二章 近代詩人の死と空虚 ―鮎川信夫「死んだ男」の「ぼく」と「M」をめぐって―
一、「すべての始まり」としての「死んだ男」
二、「遺言執行人」と「ぼく」の抱える空虚
三、「内なる人」と「外なる私」の「二重性」

第三章 谷川俊太郎の登場、その同時代の反応と評価 ―『二十億光年の孤独』刊行のころまでの伝記的事項をたどりつつ―
一、『二十億光年の孤独』の登場
二、受験雑誌への投稿
三、「文學界」への掲載と「詩学」の反応
四、一九五一―五二年の雑誌掲載
五、出発期の谷川が詩の世界に与えた影響

第四章 谷川俊太郎『二十億光年の孤独』が「宇宙的」な詩集になるまで
一、『二十億光年の孤独』は「宇宙的」な詩集か
二、谷川と宇宙の結びつき
三、『二十億光年の孤独』における宇宙関連語
四、初期詩篇ノートから

第五章 谷川俊太郎の詩をどうやって読めばいいか
一、谷川俊太郎の詩集の多さ
二、『CD‐ROM 谷川俊太郎全詩集』について
三、電子書籍『谷川俊太郎~これまでの詩・これからの詩~』について
四、複数の本文の成立

第六章 「宿命的なうた」に至るまで ―戦後の中原中也受容における大岡信の位置―
一、大岡信と中原中也
二、旧制一高の系譜
三、「現代詩試論」から「宿命的なうた」まで
四、中原中也研究における「宿命的なうた」の意義
五、中原中也から浮かび上がる戦後詩、現代詩の課題

第七章 形而上的な問い ―広島の同人誌「知覚」「囲繞地」を中心に―
一、戦後詩のメルクマールとしての一九五五年
二、呉市の同人詩誌「知覚」の創刊
三、「知覚」における「『荒地』グループの業績研究」の成果
四、「囲繞地」と鮎川信夫

第八章 現代詩のなかの宗左近 ―「歴程」との関わりを中心に―
一、現代詩における宗左近の位置
二、「歴程」同人としての宗左近
三、「歴程」詩人たちからの影響

第九章 宗左近・『炎える母』に至るまで ―その成立過程をめぐって―
一、東京大空襲から『炎える母』刊行までの二二年
二、罪意識というテーマの発見
三、『炎える母』以前に描かれた母の喪失
四、『炎える母』と「火垂るの墓」の接点
五、『黒眼鏡』『河童』の世界
六、「思想と呼べるもの」の不在

第十章 飯島耕一と定型詩
一、「定型論争」の勃発
二、マチネ・ポエティクと飯島耕一
三、定型詩を主張するまで
四、「わが「定型詩」の弁」について
五、押韻定型詩の難しさ

第十一章 中原中也は「押韻定型詩」を書いたか ―飯島耕一による評価をめぐって―
一、飯島耕一の中原中也評価
二、押韻定型詩の主張
三、北川透による押韻定型詩批判
四、押韻定型詩と中原中也
五、詩の型をめぐって

第Ⅲ部 詩壇ジャーナリズムのなかの詩誌「現代詩」

第一章 新日本文学会と「現代詩」
一、「詩壇ジャーナリズムの第一期の黄金時代」と「現代詩」
二、「現代詩」の創刊
三、関根弘と「狼論争」
四、「文学者の戦争責任」論争
五、編集母体の変更

第二章 新日本文学会から現代詩の会へ ―「現代詩」・一九五八年―
一、「現代詩」発行所の変遷と編集組織の動き
二、新日本文学会詩委員会の再編
三、「現代詩の面白くなさ」問題
四、新日本文学会からの独立
五、現代詩の会の成立

第三章 「現代詩」と関根弘 ―一九六〇―六二年の雑誌の展開と安保闘争の関わりを中心に―
一、現代詩の会における関根弘の位置
二、全学連と関根弘
三、現代詩の会の安保デモへの参加
四、関根弘の日本共産党除名とその余波
五、単独編集長時代の終焉

第四章 「現代詩」の終焉 ―一九六二―六四年の現代詩の会の動向を中心に―
一、単独編集長から輪番編集制へ
二、編集体制の変更に伴う世代交代
三、年間企画「日本発見」のスタート
四、「現代詩」終盤期の動向
五、現代詩の会の解散
六、詩誌「現代詩」の一〇年間

第五章 一九六〇年前後の詩壇ジャーナリズムの展開と藤森安和 ―詩誌「現代詩」を中心に―
一、「詩壇ジャーナリズム」と「現代詩」
二、「現代詩」の試みと新人賞
三、詩集『15才の異常者』の反響
四、藤森安和の波紋
五、藤森安和と「現代詩」

付録①
 弟・藤森安和のこと 杉山高昭氏にうかがう
 藤森安和 未発表詩抄

付録②
 「現代詩」関連年表

 初出一覧
 あとがき
 人名索引