シーズン2 第11回
数字あれこれ
——アラビア数字という発明
尾山 慎

コラム延長戦!「文字の窓 ことばの景色」。
アラビア数字はどこから来たのか
私たちが毎日使っている「0」「1」「2」などの数字は、ふつう〝アラビア数字〟と呼ばれている。しかし、実際のところこの数字の出自はアラビアではない。実際は「インド生まれ、アラブ経由、ヨーロッパ育ち」の記号体系である。
紀元6~7世紀ごろ、インドの数学者たちは十進法と位取り記数法を組み合わせた画期的な方法を考案した。たとえば「203」という数では、2が「百の位」、0が「十の位」、3が「一の位」を示す。この〝位取り〟という発想によって、わずかな記号でどんな大きな数も表せるようになった。そして何より重要なのが、「0(ゼロ)」の発明である。「何もない」をあらわす記号を、数の体系の中に組み込むという思想は、人類史上きわめて革新的だった。西欧宗教の世界観では、万物は神による被造物と考えるから、「無」という概念は生まれにくかっただろう。本当にこれはすごいことである。
やがてこの記号の仕組みは、交易や学問の交流を通じてイスラム世界に伝わる。アラブの学者たちは、インドの算術を研究し、アラビア語で数多くの解説書を著した。なかでも9世紀のアル=フワーリズミという人物が有名で、彼の名前から英語の「algorithm(アルゴリズム)」という語が生まれたといわれている。こうしてインドの数字はアラビア語を通じてヨーロッパへ渡り、そこでさらに整えられて、いま私たちが目にする形に近づいていった。
ヨーロッパではそれまでローマ数字が主に使われていたが、「Ⅻ」や「ⅩⅩⅩⅤ」のような非位取りの記法は、計算には不便だった。12世紀の数学者フィボナッチが著した『算盤の書(Liber Abaci)』で、アラビア数字の便利さが紹介されると、商人たちのあいだで急速に広まった。印刷技術の発展もあいまって、15~16世紀に印刷の普及とともに広まり、16世紀後半には広く定着した。
こうしてみると、「アラビア数字」は単なる記号ではないといえるだろう。文明が交易によってつながり、知識が言語や宗教の壁を越えて受け渡された結果として生まれた、世界共通の〝ことば〟である。私たちがノートに何気なく書く「3」や「7」の背後には、千年以上にわたる人類の交流と知の歴史が潜んでいるのである。
ローマ数字の限界——「無限」を持たぬ記号体系
アラビア数字が登場する以前、ヨーロッパで主に用いられていたのはローマ数字だった。Ⅰ、Ⅴ、Ⅹ、L、C、D、M……というように、一定の記号を組み合わせて数を表す仕組みである。見た目には荘重だが、この体系には致命的な弱点があった。先述のとおり、「位」という概念が存在しないのである。
ローマ数字では「100」は C、「1000」は M と、個別の記号で置き換えていくしかない。十万を表すにはさらに煩雑になり、百億を記す方法にいたっては存在しない。つまり、ローマ数字は、数字なのに、有限な範囲の数しか表現できない体系であった。桁がないということは、抽象的な数の拡張ができないということである。加えて、ローマ数字は加減乗除といった計算操作を想定していない。Ⅴ+Ⅹ=ⅩⅤなどと無理矢理書くことはできなくはないが、筆算を行うことはできない。数学が〝思考の道具〟として機能するためには、記号体系がそれを支える構造を持っていなければならない。ローマ数字はあくまで「記録のための符号」であって、数量の操作や関係の発見を促す仕組みではなかった。
したがって、古代ローマに高度な土木技術や天文学的知識があっても、それは経験的・実務的な範囲にとどまった。「数そのものを扱う学」としての数学は、位取りとゼロを備えた記数法が登場してはじめて可能になったのである。ちなみにアラビア数字の「2025(にせんにじゅうご)」はわずか4文字だが、これをローマ数字で書くと「MMXXV」となる。一応は、まだ読み取れる範囲だろう。だが、これが「5000」「10000」と大きな数字になってくるとローマ数字では明確な規定がなく、古代の碑文などでは上に線を引いて「V̄」「X̄」として「5000」「10000」を表すなど、地域ごとにばらばらの方法が使われていた。
そのようなことで、アラビア数字の革命とは「数を無限に表示でき、計算も可能にする装置」という、すさまじい発明であった。有限の記号を超え、数が論理の中で自由に運動できるようになったとき、人類は初めて〝数学〟という思考の体系を手に入れたのである。
日本にて、漢数字との共存
日本では、アラビア数字の普及は明治期以降のことである。それ以前の社会では、当然だが「一、二、三」「十、百、千」といった漢数字が数の世界を支配していた。帳簿も年号も暦も、すべて漢数字で書かれていた。したがって、アラビア数字の導入は単なる記号の交代ではなく、数をどう書き、どう考えるかという思考様式の変化でもあったことになる。アラビア数字は日本に直接、インドやアラブ世界から入ってきたわけではない。冒頭に触れたように、ヨーロッパ経由である。すでに西洋科学や技術の基礎はアラビア数字によって書かれており、それを受け入れた日本も、自然とこの記号体系を受容することになった。
明治の教科書や新聞には、すでに、漢数字とアラビア数字が混在して登場し、両者が同じ紙面で併存する光景は珍しくなかった。これは、旧来の文化と新しい知の制度とが同時に動いていたことの証拠でもある。興味深いのは、この共存が完全な置き換えに終わらなかった点である。いまでも人名・地名・年号・式辞などには漢数字が用いられる。たとえば「三丁目」「平成三十年」「一億総活躍」など。数字に含まれる書きことばとしてのモードや漢字文化の余韻が、依然、日本語表記には生き続けているようだ。一方で、科学・経済・情報の世界ではアラビア数字が主流を占め、世界共通のコードとして機能している。つまり、日本の数字文化は、漢数字=表意的・文化的層と、アラビア数字=実用的・国際的層という二重構造をもって今日に至っているといえる。
この共存のあり方は、単に古いものが残ったのではなく、数を書くという行為における「表記体の選択」を生み出した。数字でさえも文脈や用途によって使い分ける――そこにも日本語表記文化の柔軟さと多様さが象徴されているようだ。
アラビア数字なくして数学は成立しない
アラビア数字の価値は、単に数を〝書ける〟ことではない。数を扱い、世界を記述できることにある。位取り記数法とゼロの概念がそろって初めて、人間は「変化」や「連続」を数としてとらえることが可能になった。これがなければ、数学、特に微分や積分は生まれなかった。
積分とは、極めて小さな量を無数に足し合わせて全体を求める操作である。言いかえれば、世界を細かく分解し、それを再構成する方法だ。この思想は、私たちの生活のあらゆる場面に浸透している。たとえば自動車の燃費を計算する際、「速度×時間」の積分によって走行距離が求められる。速度が一定でないときも、瞬間ごとの速度を積み上げて全体の移動量を出すことができる。スマートフォンの地図アプリが移動距離を正確に表示できるのも、この原理によるものである。また、医療においても積分は欠かせない。CTスキャンや MRI の画像は、体内を薄い面として数百、数千に分け、それぞれのデータを積分的に再構成して立体像をつくり出している。つまり、医師が病変を見つけるとき、その背後で、「無限小を無限に足す」という数学の思考が働いた技術が支えているのだ。さらに、音楽や動画配信でも、音や光の波形を積分的に処理してデジタル信号へ変換している。銀行の利息計算や人口統計の推移も同じく、微分積分の枠組みの中で行われている。
これらの計算が成り立つのは、十進法のアラビア数字があり、0.00000001のような極小の値でも正確に表せるからである。ローマ数字のように桁のない記号体系では、小数も、変化の連続も、時間の積分も記述できない。したがって、アラビア数字がなければ数学は生まれず、そして数学なしには現代社会のあらゆる技術が成立しない。
言い換えれば、アラビア数字とは「この世界を計算するためのことば(文字)」である。
私たちのスマートフォンが動くとき、電車が定刻に走るとき、医療機器が命を救うとき、その根底には積分をはじめとした計算があり、それを支えているのは、わずか10個の形である。
数字体系はまるで、現代文明の“静かな骨格”のようである。
著者紹介
尾山 慎(おやま しん)
奈良女子大学教授。真言宗御室派寳珠院住職。
著作に『二合仮名の研究』(和泉書院、2019)、『上代日本語表記論の構想』(花鳥社、2021)、『日本語の文字と表記 学びとその方法』(花鳥社、2022)。

