シーズン2 第12回 
漢字と中華料理の世界 
尾山 慎

本書内では語り尽くせなかった、あふれる話題の数々をここに紹介します。
コラム延長戦!「文字の窓 ことばの景色」。

 

構造的な料理名

 中華料理の名前は「材料+調理法+味付け(あるいは切り方)」といった一定の文法をもって構成されている。つまり、料理名そのものがレシピを要約したものでもあり、素材と調理の手順を示す体系的な言語となっている。
 たとえば「青椒炒肉絲」、これは「青椒=ピーマン」「炒=炒める」「肉絲=細切り肉」である。料理名の中にすでに材料、調理法、味付けがすべて詰まっている。「回鍋肉」は、「回=戻す」「鍋=鍋」「肉=豚肉」を合わせ、「一度火を通した肉を出して、再び鍋に戻して炒める」という調理法が名前に刻まれている(多少、圧縮はされているけれど)。このように、中華料理の多くは、漢字一字一字が、火の通し方や油の量、さらには味の方向性までを示している点が興味深い(詳細に、学んでみたい方は『食べる中国語』(広岡今日子、三修社)がおすすめ)。
 では一つクイズ。次の名称はどんな料理でしょう?(筆者が素材だけ想定して独自に造語したもの)

蠔油葱爆鶏絲

答えの前に少し寄り道をしよう——「炒」は強火で素早く油を回す調理法を指し、「爆」はさらに高温で一気に仕上げる激しい炒め、「煮」はゆっくり火を通し旨味を引き出す作業、「蒸」は素材の持ち味を閉じ込め加熱する——といったところ。当然ながらどの漢字も「火」偏が付くことが多いが、火と油を自在に操る中華料理の核心がよく伺えよう。日本語にも「炒める」や「煮つめる」などはあるが、中華料理は、調理法を基本的に漢字一字であらわすので、やはり非常に整然と分類されている印象がある。文字で整理された一大料理体系とでもいえようか。
 ということで、中華料理における漢字はもう単なる名前の表記ではなく、文化の中で磨かれた“料理の言語そのもの”であるといえる。中華料理の料理名を読むことは、すなわち料理のプロセスを「読む」のに同じなのである。

※上記のクイズ、「蠔油葱爆鶏絲(ハオヨウ・ツォンバオ・ジースー)」とは、「オイスターソース「蠔油」の深い旨味をまとわせた、ネギ「葱」が香る鶏肉の細切り「鶏絲」の、強火炒め「爆」」ということになる。

(画像は生成 AI による)

中華料理風に名付けてみる

 冷蔵庫を開けると、そこはまるで賑わう市場……といきたいところだが、実際はほとんど廃材置き場みたいになってしまっていることが残念ながら、ある。昔、友人の下宿先で何人かあつまって泊まることになり、宿代代わりに、下宿主に料理を作って出してやろうと盛り上がった。早速冷蔵庫みせてもらうで~と開けたら、奥の方から、少なくとも3ヶ月前から眠っていたというキュウリ(とおぼしいもの)が出てきたことがあった。ホラー映画にでてくる悪魔の指みたいだった。みんなで「うわっ!」と悲鳴をあげて放り出して台所から逃げた。
 さてここに、賞味期限ギリギリの豚こまぎれが少々、ピーマンはくたり、玉ねぎはずいぶんと時期を過ぎたねという顔でこちらを見ている。そこでもう残された道は、すべてをぶち込んだ肉野菜炒めしかない。くたびれ野菜と豚こまを強火でジャッと炒める——といきたいところだが、豚肉は炒めることで臭みがでるのでいったんは鍋から出してしみ出した油を捨てる。次いで野菜だ。このプロセスを翻訳して名付ければ「回鍋什錦」——「鍋に戻したいろいろ炒め」。料理名だけみると、一皿1500円くらいとれそうである。続いて、豆腐の切れ端と、卵をかき混ぜて、即席の粉末スープを溶いた中へ。つまりは切れっ端豆腐卵スープ。しかしここで、中華の筆をとれば、「芙蓉豆腐」と生まれ変わる——芙蓉とは、蓮の花にたとえられたふんわり卵のこと。中華料理ではよくお目に掛かる比喩フレーズである(ところで個人的には、すべての料理名が含む比喩のなかで、「ワンタン」こそが至上最高だとおもう。このスケールにはどんな料理名もかなわない)。
 こうして漢字による名前の力で、なにやら一気に高級に格上げされる気がする。もはや味より字面が主役という勢いだ。これと白ご飯で立派なもんじゃないかとおもったところ、冷蔵庫の深奥に、幸いにも唐揚げの残りを発見。冷えて、石ころのように固い。だが焦ることはない。軽くチンしてケチャップに酢と砂糖、酒を少々、これで絡め直し、「糖醋鶏球」とする——ということで、今夜は冷蔵庫で凍えて廃棄まったなしだった食材たちを集めて、そして漢字だけの料理名を立派にまとって、三品の完成となった。
 「写真はイメージです」という例の日本語独特の便利フレーズがあるが、まさにそんな「イメージ写真」を AI に描いてもらった(実際はこんなのでは全くないのだが)。

 

日本の料理名

 かつて「2ちゃんねる」で、「焼肉定食」はもし英語でいうなら Japanese-style BBQ set meal などのように、かなりの文字数に上るが、日本語のほうは、このたった4文字で、肉を焼き、ご飯が盛られ、スープにキムチまでついてくるんだぜ、というような言説が流行ったことがあった。漢字を使うことでいろいろ情報を圧縮できるというのだ。極めつけが、「早稲田大学理工学部」で、英語では「Waseda University Faculty of Science and Engineering」だが、漢字なら4文字で「早大理工」まで圧縮できる。こうなると漢字がどうこうというより単に略語の話じゃないのかというところだが、まぁ、堅いことはいいっこなしということで、当時2ちゃんみんはみなそんなネタで面白がったものだった。しかし、今改めてこの観点でいうと、中華料理名は日本語をさらに上回るのではないか。たとえば「肉じゃが」は「焼肉定食」の理屈でいうなら、肉とじゃがいもだけではないか。それをどうするのだ?とツッコまないといけなくなる。しかし、中国語なら「紅焼牛肉土豆」あたり。これならしっかり調理もされている。
 「おでん」。語源をたどれば田楽(豆腐に味噌をつけて焼く料理)だが、煮込み料理に変化してもなお、その名を引きずっている。すでに「何を」「どうするか」より、もはや、あの湯気と出汁のにおいと数々のネタたちを直接指す名札となっている。おでんは、出汁の中で大根や卵、練り物を温め、味をしみこませておく——つまり動作としては「煮る」「浸す」「味を含ませる」である。そこでこれを中国料理名の構造に置き換えるならば、「清湯煮什錦」(澄んだ出汁で煮たいろいろ)あたりだろうか。
 和食にももちろん、料理法つまり「煮っ転がし」とか、「漬け焼き」「煮しめ」「焼き浸し」などもあるが、実際は本当に多種多様、いろいろで、調理名がはいっていたり、いなかったり、あまり体系的ではない。何より、それこそ漢字だけによる、中華料理ほどに整然と圧縮された命名規則というのは見いだしにくい。「大学芋」なんて説明されないと絶対分からないし、「目玉焼き」は、比喩とはいえつくづくえげつない名前だ(昔からいうから皆つかっているが、いま新規に名付けるとしたら「正気かよ」と猛反対されそうである)。ちなみに中国語では「煎蛋」(=焼いた卵)。すがすがしいほど事実だけに即した命名だ。「荷包蛋」という言い方もあって、これは、白身が黄身を抱いているというところからきたもの。ただしこれは調理方法の文字が入っていない。
 いずれにせよ、和食のほうは、中華料理名ほどには体系的、構造的ではなさそうである。もちろん、それがいいとか、わるいとかではない。食を通じて人間の料理文化がどんなふうに〝言葉になるか〟、さながら味覚の文芸といったところがまた、楽しい。

ヌーベル・シノワ

 20世紀後半、とりわけ1980年代以降の香港で、中国料理の伝統体系を再構築する動きが現れた。いわゆるヌーベル・シノワ(nouvelle chinoise)である。名称はフランス料理の新しい料理スタイルを意味する「ヌーベル・キュイジーヌ(nouvelle cuisine)」に由来し、同様に古典的調理法を現代的に整理し直すという意図をもって始まった。「nouvelle」とは「新しい」の意。 発端となったのは香港の高級レストランを中心とするいわゆる〝星〟付きの料理人たちで、彼らはフランス料理の火入れ理論・ソース構成・盛り付け技術を学び、従来の中華料理に応用した。
 「塩・酸・辛・甘・苦」の中国伝統の五味に加え、香草や発酵調味料の調整をミリグラム単位で行う研究的調理が進んだ。こうした一連の改革は、単なる〝西洋化〟ではなく、料理科学の方法論を中華料理に導入した試みといえるものだった。調理温度・湿度・酸化・発酵・時間といった要素を科学的に再検証し、伝統技法を再定義したのがヌーベル・シノワの本質であった。したがって、ヌーベル・シノワとは伝統の否定ではなく、伝統技法を精緻に分析・再統合した結果としての中華料理の新たな段階であったと評されている。料理文化を維持するためには、形式を守るだけでなく、方法を更新し続けなければならない。その意味でヌーベル・シノワは、中華料理の科学的近代化を示す転換点であった。

(画像は生成 AI による)

 


著者紹介

尾山 慎(おやま しん)
奈良女子大学教授。真言宗御室派寳珠院住職。
著作に『二合仮名の研究』(和泉書院、2019)、『上代日本語表記論の構想』(花鳥社、2021)、『日本語の文字と表記 学びとその方法』(花鳥社、2022)。

次回は12月25日頃の予定です。

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