学界展望 日本語の歴史的研究 2023年7月〜12月 
(市村 太郎)

日本語研究者が「歴史的研究」2023年後期の動向を振り返ります。


【学界展望】
日本語の歴史的研究 2023年7月〜12月
市村 太郎
(京都府立大学准教授)

 

 2023年の7~12月期も、数多くの日本語史に関する論考が刊行された。そのすべてに目を通して正確な論評を行うことは到底できないが、以下、著書・学術誌掲載論文の媒体別に概観しつつ、筆者なりに感じたことなどを記していきたい。

1. 書籍・論文集

 書籍では村上謙『近世後期上方語の研究—関西弁の歴史—』(花鳥社、7月)*の刊行が注目された。近世上方語研究の第一人者の論考をまとめた初めての書であり、筆者も刊行を待ち望んでいた一人である。その言及の範囲は幅広く、文法・音韻を中心に、敬語、文体、資料論に至る。「なぜその時期に、その変化が生じたのか」(p.36)に対する合理的な説明を与えることを掲げ、先入観にとらわれずに実証することの重要性を説く。各章では先行する説に対する疑問を徹底的に追求し、多様かつ膨大な資料から証拠を得て問に答えていく。一貫しているのは証拠を重視する姿勢であり、用例の取れない箇所を安易に無視、あるいは想像で埋めることを許さない。裁判における「推定無罪の原則」を想起させられたが、現象を科学的「事実」として世に出すことはそれだけ重いのだということであろう。「「大きな流れ」も実証主義的研究においては先入観のひとつにすぎない」(p.42)という言も象徴的である。上方語の研究・近世語研究を行う上で避けて通ることのできない一書であると同時に、日本語史研究のありかたという点でも重要な一石を投じている。
 他方、日本語学会論文賞叢書として出版された大川孔明『古代日本語文体の計量的研究』(武蔵野書院、9月)*は、国立国語研究所『日本語歴史コーパス』の大規模な言語データから全体の特徴・各要素の位置を検討したもので、量的「証拠」に基づくものではあるものの、対照的な研究スタイルのものと言える。鎌倉以前の古典文学作品の文体形成には、「和漢の対立」、次いで「ジャンル文体」が寄与していることを、多変量解析を用いて見出しており、これまで研究者が経験的に感じてきたことを、数的データに基づいて示したという点で価値がある。当期は近藤泰弘「和歌集の歌風の言語的差異の記述—大規模言語モデルによる分析—」(『日本語の研究』19巻3号、12月)*もあった。古今和歌集の歌風について、「人間—自然」の対立と「鳥—花」の対立が特に重要であることを、大規模言語モデルを活用して計量的に示している。いずれもそのスケールに驚かされるが、最終的には著者が解釈しているという点で、完全に機械的な量的研究というわけではない。例えば、大川氏の論考では「ジャンル文体」の寄与を挙げるが、各指標の類型の内訳を見たときに、日記文学とされる作品が比較的ばらついているのはどう考えるのかなど、「解釈」を精査する余地がまだまだあるように感じられた。いずれにせよ、国立国語研究所の『日本語歴史コーパス』の構築から10余年、日本語史の分野でもこのようなコーパス言語学的手法を用いた研究が現れ、日本語学会で受け入れられたという点に、日本語史研究の多様化の兆しを感じさせられた。
 当期は既刊の書籍に続く大著の刊行も相次いだ。高橋忠彦・高橋久子『古本節用集の総合的研究』(武蔵野書院、8月)*は、『いろは分類体辞書の総合的研究』(2016年・武蔵野書院)*、『意味分類体辞書の総合的研究』(2021年・武蔵野書院)*に続く室町時代の辞書を対象としたもので、「伊勢本の研究」「印度本の研究」「乾本の研究」に、語彙研究などを加えた論考が並ぶ。蜂矢真郷『国語語構成要素研究』(塙書房、8月)*は、『国語重複語の語構成論的研究』(1998年・塙書房)*、『国語派生語の語構成論的研究』(2010年・塙書房)*に続き、古代語にける複合語や派生語を構成する要素を対象としたもので、語句索引が丁寧に付されているのはありがたい。また田野村忠温『近代日中新語の諸相』(和泉書院、7月)*は、「8年前に期せずして足を踏み入れた近代日中語彙交流の研究」(序、p.1)に関する考察をまとめたものとあり、その研究対象の幅広さと蓄積に驚かされる。
 次に、多数の著者による論文集を挙げる。ナロック ハイコ・青木博史編『日本語と近隣言語における文法化』(ひつじ書房、8月)*には、「文法化」を軸に日本語史を扱った論文が多く掲載されている。係り結びの発生に関する諸説を比較し、「二句連置説」をもとに成立仮説を立てるナロック ハイコ「係り結びの発生と構造—諸仮説検証」、訓点語における文法化の例を整理して提示するジスク マシュー「訓点語の文法化—漢字・漢語による模倣借用との関連から」、平安期の「ならで」から現代の「ならでは」に至る変化過程を描いた宮地朝子「「ならで」「ならでは」の一語化と機能変化」、「なので」の変遷を通じて「コピュラ系接続詞」の成立史研究に一石を投じる青木博史「接続詞と文法化—「なので」の成立」、亀井孝の「群化」を、「類推」とあわせて再考し、モデルを提示する小柳智一「一から多への言語変化—類推と群化」、文法化の重要概念である「主観化」「間主観化(対人化)」について、日本語史上のさまざまな先行する事例研究を整理して論じた北﨑勇帆「意味変化の方向性と統語変化の連関」など、文法史研究で実績のある各著者が、それぞれのテーマ・スタイルで「文法化」を扱っており、筆者としては大変勉強になった。
 岡部嘉幸・橋本行洋・小木曽智信編『コーパスによる日本語史研究 近世編』(ひつじ書房、12月)*は、近代編*、中古・中世編*に続く、国立国語研究所の「日本語歴史コーパス」に関する論文集の第3弾である。各論文の内容や意義は、巻頭の岡部嘉幸「コーパスによる近世語の研究」にまとめられているので割愛する。本シリーズには各『日本語歴史コーパス』の「解説」が付されているが、実はこれも重要な文書である。開発者自身が記すコーパスの解説が公刊される機会が案外少ないからである。まとまったものとしては2014年刊行の『日本語学・特集「日本語史研究と歴史コーパス」』(明治書院)*以来であろうか。開発事情・設計を確認・記録することは、コーパスの質的向上や効果的な利用に際して極めて重要であると思われるが、それを知る方法は限られている。それが「欠点」となるとなおさら表に出てきにくい。筆者はこの点のブラックボックス化を危惧しており、本書には解説著者として、開発の経緯や「利用上の注意点」つまりは欠点に相当するものも記したつもりである。なお、現在の洒落本のコーパスは、当初の候補すべてではなく、規模を縮小して公開したものだということを書き漏らしたので、この場をお借りして記しておく。調査の際には資料量の適否を吟味されたい(CHJ が必ずしも「十分」でないことは村上の前掲書にも言及がある)。

2. 学術誌掲載論文

 以下は当期の主要な学術雑誌に掲載された論文を概観する。『日本語の研究』19巻2号(8月)には、文法史を扱う3編が掲載された。古田龍啓「中世のマデ—限定用法の確立」*は、中世語の副助詞「まで」について、「限定」用法の発生の過程を中世語資料の調査に基づき丁寧に論じたうえで、現代語のモダリティ形式「までだ」との関係を示す。菊池そのみ「〈付帯状況〉を表す節における統語的制約の変化—動詞テ節・ツツ節・ズ節を対象として」*は、古代語に見られる「袖ひちて」の「袖」(現代語ではヲ格目的語+他動詞で訳される)のような「対象主語」が、現代語では付帯状況を表す節の中に存在できないという古代語と現代語の構造の差異を明解に論じた。三宅俊浩「「デ+カナフ否定」型当為表現の歴史」*は、「~ではかなはぬ」のような表現について、中世期に生じた様々な用法を、意味拡張・形態変化の両面から整理し、それらの関係を周到に位置づけている。いずれもページ数の制約がある中で一編に収まっているのが不思議なほどに凝縮した、密度の濃い論文であった。
 『日本語文法』23巻2号(9月)には、北﨑勇帆「「不定語疑問文の主題化」の歴史」*があった。疑問の回答部に出現する「なぜならば~」のような表現に着目した点が興味深く、丁寧な調査と幅広い先行研究への目配りで論旨を裏付けている。北﨑氏には前述の文法化に関する論文もあり、記述・理論の両面での貢献が見られる。
 上記の古田氏、三宅氏、北﨑氏の論文では、中世後期の状況を描くにあたって抄物の用例が多く引かれていることが印象に残った。聞くところでは抄物のコーパスを構築する試みもあるという。中世後期語を含む文法史研究においては、抄物の効果的な活用が一層重要な要素になりそうである。
 『訓点語と訓点資料』151輯(9月)*には、古文書類を対象に「目出」を調査し、「候」の使用との関係を明らかにした山本久「和化漢文における借字表記語彙の展開—古文書の「目出」を例に」、母音連続に対するゴマ点の付き方を整理し、それぞれのパターンにつき前部要素と後部要素の間の音節境界の有無を検討したうえで、音価を推定した浅田健太朗「金春禅竹伝書の節付からみた室町期の母音連続」、『朗詠要抄』の漢音漢語に付された博士譜を、『和漢朗詠集』鎌倉期加点本と比較し、アクセントの中低形回避の状況から位置づけた加藤大鶴「『朗詠要抄』と『和漢朗詠集』鎌倉期加点本の去声字のふるまいと位相差—資料横断的な漢字音・漢語音データベースとの比較から」があった。分量の制約がないことからか、三者三様のスタイルで、特に浅田論文は50ページ近くに及ぶ長大な論考であったが、その分図版・図表が充実し、背景の説明等が本文内で丁寧に行われており、この分野の知識の浅い筆者にも理解しやすい面があった。先の『日本語の研究』と併せ、分量の制約と内容との関係についても考えさせられる。
 『国語と国文学』100巻では、当期の日本語学の論文は小野正弘「近世における「いつしか」の意味」(12号、12月)*のみであった。小野論文は、「いつしか」について、現代語への意味変化の途上である近世に着目し、散文・韻文の膨大な資料を調査して、それぞれにおける意味変化の進行状況を明らかにしている。意味変化を扱う場合、口語的な散文資料を中心に論じられることが多いと思われるが、韻文の状況をも扱い、対比的・総合的に論じている点が興味深い。
 対照的に、『国語国文』92巻には日本語学の論文が7編と、多数掲載された。以下のように話題もさまざまで、日本語史研究の公刊先として大きな役割を果たしている。辻本桜介「助詞イと存在前提—訓点資料の用例を中心に」(7号、7月)*は、主語に付く助詞「イ」について、訓点資料の調査から、存在前提を伴った主語に付くものであることを明らかにし、上代語との共通性を指摘する。矢島正浩「逆接確定条件史の再編—事態描写優位から表現者把握優位へ」(8号、8月)*は、古代語において助詞「に」・「を」でつながれた前件・後件に対立的関係を見出してその関係を逆接確定と関連づけるのは、逆接確定の専用形式を持つ現代語の発想であることを指摘し、古代語と現代語の表現指向の違いに言及する。遠藤邦基「資経本の仮名づかい—非定家本の定家仮名づかい」(9号、9月)*は、「お」と「を」の仮名遣いのゆれをもとに、資経本の「定家仮名遣いへの傾斜」を明らかにしている。柄田千尋「バレト写本のサ行二重子音表記」(9号、9月)*は、バレト写本のサ行二重子音表記について、出現環境を確認したうえで、当時のポルトガル語の摩擦音の状況や、音響音声学的観点からの検討を行っている。古川大悟「萬葉集のラシ—ベシとの関係をふまえて」(10号、10月)*は、演繹(三段論法)に相当する「べし」に対して、助動詞「らし」による推論はアブダクションや帰納に相当すると見る。「らし」と「気づきのケリ」との関係を示唆している点も興味深い。朴賢「西大寺本『金光明最勝王経』平安初期点の漢文注記について—漢文注釈書と複数訓との関係」(11号、11月)*は、漢文注記が本文の訓読に関わっていることを具体例により示す。佐々木勇「みなといふはあやまり也—『徒然草』第一五九段の「みな」と「にな」」(12号、12月)*は、『徒然草』の烏丸本と正徹本で異同が生じる当該箇所について、古辞書の「みな」「にな」および「みなむすび」「になむすび」の調査をもとに、正徹本の本文が本来の本文であると推定する。
 上記の中で、辻本論文・古川論文は上代語の助詞・助動詞を扱うものであったが、この他にも星野佳之「助詞シの変遷について—主節単独用法の場合—」(『萬葉』236号、10月)仁科明「非現実領域の切り分け—「ず」「む」「まし」「じ」について—」(『国文学研究』199、11月)が出て、上代語文法、とくに助詞・助動詞の機能や位置づけに関する研究の進展が著しい。
 『言語研究』164号(7月)*には、慫慂論文として肥爪周二「平安時代の仮名表記—書き分けない音韻を中心に」今野真二「日本語における漢字列」があった。先述の文法化に関する諸論や矢島論文なども含め、これまで実績を積み重ねてきた研究者による、事例や先行研究に関する大きな視野からの捉えなおしや、『日本語の研究』(19巻2号、8月) 「国際的観点からの日本語研究」*の特集などの著者の専門とするテーマに関する解説が、各分野で行われている。視野や知見を広げる意味でも、また既存の知識をアップデートする意味でも、ありがたい。また、ナロック・ハイコ「日本語をテーマとした英語論文の書き方についての覚書」(『日本語の研究』19巻2号、8月)*は、審査する側の視点も書かれており、参考になる。今後英文での論文投稿や学会発表を行おうと思っている方に、大変有用だと思われる。

 以上、当期に発表された日本語史に関する諸研究を概観した。概観といっても一部に目を通して所感を記しただけだが、それにもかかわらず、わずか半年の間でこれだけの成果が公表されていることに驚かされた。日本語史研究の層の厚さを感じるとともに、自らの不勉強を省みて焦りを感じているところである。なお、筆者の関心や諸々の都合により、言及の偏りが生じている点はご容赦いただきたい。


市村 太郎(いちむら・たろう)……論文に 「『日本語歴史コーパス 江戸時代編Ⅰ洒落本』解説」(村山実和子と共著。岡部嘉幸・橋本行洋・小木曽智信編『コーパスによる日本語史研究 近世編』)*、「『古今集遠鏡』に見られる程度副詞類とその周辺—洒落本での使用状況との比較—」(岡部嘉幸・橋本行洋・小木曽智信編『コーパスによる日本語史研究 近世編』)*、「副詞「ほんに」をめぐって—「ほん」とその周辺」(『日本語の研究』10巻2号)*ほか。


学会展望 日本語の歴史的研究
2024年1月〜6月は、2024年10月頃掲載予定です。
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