学界展望 日本語の歴史的研究 2025年7月〜12月
(村山 実和子)
日本語研究者が「歴史的研究」2025年後期の動向を振り返ります。
【学界展望】
日本語の歴史的研究 2025年7月〜12月
村山 実和子(日本女子大学准教授)
今期、日本語史に関わる論考を含む論文集の刊行が相次いだ。近藤泰弘・澤田淳(編)『日本語文法研究の射程—テクスト・文体・文学との交差—』(開拓社、12月)*は、「日本語文法研究は、従来の枠や常識にとどまらない新しい研究の方向性を模索する時期にきている」(まえがき)とし、特に他領域との接点に突破口を探る。その刊行と同時期に開催された日本語文法学会第26回大会(12月20日・21日、於専修大学)のシンポジウム「日本語文法研究は何がどう進化しているのか」*でも、過去と現在との分析手法や分析内容の差異を「進化」と呼び、各領域における「進化した部分」「変わらない部分」「今後の可能性」が議論された(衣畑智秀「仮説検証としての文法史研究」、中俣尚己「日本語文法研究はデータをどのように扱ってきたか」、三宅知宏「文法研究における「記述」とその展開」)。今期に何らかのテーマを見出そうとするならば、従来の研究を顧み、新たな方向性を模索する、ということが挙げられそうである。ただ、それは今期に限ったことではないため、各領域で各人が繰り返し問うてきたことやその試行が結果として現れたものと捉え、区別はせずに、書籍、論文集、学術誌の順で目についたものを挙げていくこととした。
目次
1.書籍
古代語の述語形式を対象に、その意味と体系とを論じる仁科明『古代日本語述語体系論』(花鳥社、10月)*の刊行があった。言語学的な観点からは細分化される傾向にある当該領域において、伝統的な国文法の議論を踏まえつつ、個々の形式を一連のものとしてアップデイトして語ることを目指す、著者の研究の集大成となる一書である。本書附録には著者の議論の出発点である博士論文作成計画書や、現在の著者から見た各部の議論へのコメントが盛り込まれ、個人の著作ではあるが、まさに当該領域における「進化した部分」「変わらない部分」「今後の可能性」を一冊の中に見ることができる(ちなみに書籍内 QR コードから本書の特設サイトにもアクセスできる)。
また、2025年度に刊行の始まった小林千草(編)、賢草日本語研究会(監修)『小林賢次著作集』(武蔵野書院)*について、全6巻のうち第2~4巻が今期続けて刊行された(2026年4月には完結した)。既発表内容が再編されるとともに、小林賢次氏の「自筆書き入れ」および、氏と関わりのある研究者による「本書所収の論文解説と未来への展望」と題した解説記事が収録される。こちらも一人の研究者による研究のプロセスと、それらが今後の研究(者)にもたらす可能性とが密度濃く収められており、著作集として出版されることの意義が強く感じられる。狂言台本を調査しようと考えるとき、大蔵虎明本狂言に関しては『日本語歴史コーパス』(以下、CHJ)での検索が可能となり、アクセスが容易になったことは歓迎すべきだが、第3巻「狂言台本の研究とことば(その一)」、第4巻「同(その二)」を読むと、やはり本文とその資料性について従来の研究成果に学ぶことを疎かにしてはならないと思わされる。
そのほか既刊のシリーズとして、『日本語ライブラリー』(朝倉書店)に、沖森卓也・合山林太郎(編著)「日本漢文を読む[近世編]」(10月)*、山本真吾(編著)「平安時代の日本語」(11月)*が加わった。最新の知見も踏まえた概説書がこのように継続して刊行されることも重要である。
2.論文集
先述のとおり、今期は過去に開催されたシンポジウムにもとづく論文集が複数刊行され、その中には日本語史に関わるものが様々に含まれる。以下、可能な範囲でそれらを紹介し、関連する個別の論文にも適宜触れることとする。
■ 日本語史とジェンダー
森山由紀子・加藤大鶴(編)『「女ことば」「男ことば」を越えて 日本語のジェンダー研究の新たな地平』(ひつじ書房、10月)*は、日本語学会2020年度秋季大会シンポジウム「データから見る日本語と「性差」」にもとづく論文集である。第1部の佐竹久仁子「〈女ことば〉文末詞の規範化——明治中期から昭和前期」は、いわゆる「てよだわ」言葉が〈女ことば〉として定着する過程について、昭和戦中期の61種の口語文法書の記述を網羅的に見ることで、「規範化」の道筋を明らかにする。
第4部「古典語とジェンダー」には3本の論文が収録される。森山由紀子「平安貴族の言葉遣いにおける傾向的性差——「な~そ」の用法の歴史社会語用論的解釈の試み」は、中古和文の禁止表現における傾向的性差の有無を検討したもの。基本的に〈阻止的禁止〉を表す「な~そ」が、逸脱的に〈予防的禁止〉を表す場合、女性話者かつポライトな発話場面に集中していることを指摘する。さらにこれをケーススタディとして、言語の運用に「標準」と「逸脱」があるとしたうえで、話者や発話場面に注目し「遺された資料からその言語圏全体で何が標準なのかを考え、さらに、複数の資料によって検証するという、歴史社会語用論の方法」を活かす可能性を示す。同じく中古日本語における女性の言語行動に対する規範意識を問う鴻野知暁・ムスマン デニース「中古文学作品に見る男女の言葉について—『枕草子』の日記的章段を中心に—」(『日本語・日本文化研究』35、12月)*も、『枕草子』の調査結果から「女性はこのような言葉づかいを避け、このような表現は慎むべきだ」という制約のほうが働いているのではないか、という傾向を見出す。
田中牧郎「『今昔物語集』における「女」と「男」の非対称性」は『今昔物語集』に出現する「女(ヲンナ)」「男(ヲトコ・ヲノコ)」の使い分けに関し、男性の場合、低身分の者は「ヲノコ」を専用し身分が高ければ性ではなく身分・職階・職業などで捉えるという差異があるのに対し、女性の場合、身分の別に関係なく「女」という一面的な捉え方がなされるという非対称性を指摘する。
森勇太「近世後期洒落本から考えることばの性差——自立的機能語を中心に」は、CHJ「江戸時代編Ⅰ洒落本」*に付与された話者情報を利用して、性差を探索的に明らかにしようとするもので、ICHIMURA, Taro and OKABE, Yoshiyuki. “Utilization of Speaker Information Annotated in the Share-bon and the Ninjo-bon corpus”.(EAJS2021発表資料)の内容を踏まえたものだが、今期には同発表を元とした市村太郎「近世後期洒落本の会話文に見られる語彙の使用者の男女差」(『近代語研究 第二十五集』、武蔵野書院、9月 以下、『近代語』)*もあった。調査対象と分析方法に一部異なりはあるものの、大筋として、「性差」に見えるものには女性が男性をもてなす「遊里」という場の影響が大きく、当時のジェンダー的役割がそこに反映されていると見なす点で共通する。ただし、森論文は基本的に男女の二項対立で結果を分析するが、洒落本では女性に比して男性の身分が多様であることを考えると、市村論文にあるように性差以外の属性への言及も必要であろう。なお、市村論文では連語を見ることも課題としており、同じく洒落本を対象にした渡辺由貴「短単位 N-gram でみる洒落本コーパス—東西差・男女差の概観—」(『近代語』)のような手法も組み合わせることで、コーパスの単位に拠らない分析が可能になるものと考えられる。
ところで、森論文・市村論文・渡辺論文はいずれも CHJ「江戸時代編Ⅰ洒落本」に付与された「詳細な話者情報」(市村太郎(2021)「歴史コーパスに対する話者情報付与の試み—洒落本コーパス構築上の課題を中心に―」『早稲田大学日本語学会設立60周年記念論文集 第1冊 言葉のしくみ』ひつじ書房)*を活用して用例収集・分析を行ったものであり、このように活用事例が蓄積されることの意義は大きい(この話者情報は CHJ 収録資料に一律に付されていないことに注意されたい)。日本語学会2025年度秋季大会(10月25日・26日、於オンライン)では、ワークショップとして小木曽智信・北﨑勇帆・久保柾子・鴻野知暁・田中牧郎・村上謙・村山実和子・渡辺由貴「通時コーパスをひらく―『日本語歴史コーパス』と『OpenCHJ』―」*が企画された。「OpenCHJ(Open Corpus of Holistic Japanese)」は国語研のコーパス構築のノウハウ・プラットフォームを生かしながら、プロジェクト外の研究者らもコーパス構築に参加できるようにする仕組みであり、所与のデータだけによりかからない調査・分析を可能とする。よりよい研究のために「データを共有すること」も、今後欠かせない視点となるだろう。
■ 日本語史と文体・ジャンル
近藤泰弘・澤田淳(編)『日本語文法研究の射程—テクスト・文体・文学との交差—』(開拓社、12月)*は、2024年9月に開催された青山学院大学日本文学会主催シンポジウムをもとに企画されたもの。歴史的研究に関わるものを以下に挙げる。
青木博史「動作を表さない「スル」—歴史的観点から—」は、動作を表さない「スル」として「青い目をしている構文」と「オノマトペ動詞」の2つを挙げ、いずれも古代語において状態を表す自動詞的な用法を持っていたことを土台として、前者の成立の契機に欧文翻訳の影響を、後者に「他動化」の影響を想定し、歴史的な観点からの考察が有効であることを示す。
北﨑勇帆「日本語における「理由の説明」の歴史」は、「なぜ……かというと」「……からです」のように理由を説明するための構文について、典型的な口語資料以外で発達したこと、説法や講義などの、説得を目的とする談話の性質に動機づけられて発達したことを鮮やかに示す。北﨑には今期、Kitazaki, Yuho. “Pathways to de(inter)subjectification in Japanese: Considering the status of ‘from intersubjective to textual’”(Semantic-Pragmatic Change from Intersubjective to Textual Meanings, John Benjamins、7月)*もあった。
志波彩子「書き言葉テキストにおけるラレ構文の展開—主催から非情主語受身へ—」は、従来、「ラレ構文」が和文体における例を中心に記述されてきたことを指摘し、漢文訓読や和化漢文など書き言葉的な文体での使用例に注目することで、文体ごとに異なる発達を見せることを明らかにする。構文とテキスト・ジャンルとが相互に関係することを示す好例といえる。
田中草大「変体漢文における格標示の方法と実態」は、日本語と中国語とで規則的な対応関係を持たない要素の典型例として格助詞に注目し、それが「日本語文を中国語式に書き記す」変体漢文でどのように実現されたか(されなかったか)を豊富な実例によって提示する。その実態が、仮名書きや標示の有無、後世における変化、他文体への影響といった観点からどのような解釈が与えられるのか知りたく思う。
澤田淳「敬語から見る日本語の物語の文体とその歴史—敬語の加除と視点の切り替えの相関現象に注目して—」は、物語の地の文における素材敬語の使用に注目する。古典作品では素材敬語が現れる文体が標準的で、素材敬語を外すことが「語り手の視点ではなく登場人物の視点での語りである」ことを表すのに対し、近代の物語では「透明で機械的な語り手」が設定されるために登場人物を尊敬待遇する必然性が薄れ、地の文に素材敬語のない文体が標準となり、地の文に素材敬語をつけるという操作が「語り手の視点ではなく登場人物の視点からの語りを表す」マーカーになるという。敬語の加除が「語り手の視点操作」という表現技法上の機能を持つことが、古典語と現代語それぞれの背景とともに示され興味深い。
林淳子「源氏物語の英訳における「ム」の訳出—ウェイリー訳とサイデンスティッカー訳を例に—」は、『源氏物語』の代表的な英訳であり、かねてその差異が指摘されてきたウェイリー訳とサイデンスティッカー訳を調査対象に据え、助動詞「ム」の訳出には両者に大きな差がないとする。「翻訳」という行為、またそこに見られる「原文に忠実である」ことの内実について、文法という観点から捉え直しをはかるもの。翻訳に関わるものでは、宮内伸子『『人間失格』の「のです」をどう翻訳するか——日独語対照文学研究』(ひつじ書房、12月)*の刊行もあった。
■ 日本語史と「語用論的方言学」
小林隆・中西太郎・津田智史(編)『語用論的方言学の始動』(ひつじ書房、11月)*もまた、新たな研究の方向性として方言学と語用論との接点を探るものである。そこに歴史的な観点も併せた第6部「歴史語用論との接点」は、矢島正浩「大坂・江戸洒落本に見る逆接確定の用法分布について」、森勇太「近世後期洒落本に見る接続詞・感動詞の地域差——談話標識の歴史的研究のために」、半沢幹一「歌舞伎台本「五大力恋緘」における台詞冒頭の感動詞——上方本と江戸本の異同を中心に」、安井寿枝「近代文学作品の中の方言——大阪・京都・奈良の特徴」を収録する。
矢島論文は、上方でケレド、江戸でガが多用される傾向について、「逆接」の捉え方を整理したうえで、聞き手との関係や待遇表現の共起の有無に注目し、大坂では聞き手にどう受容されるかを重視するために譲歩性を有するケレドが頻用され、江戸では前後件を自立的に提示するガが重用されると述べる。
森論文はコミュニケーションの地域差を検討するために、洒落本に登場する女性の発話内の接続詞と感動詞を調査する。結果、京都では表現を迂言的に述べる傾向があり、江戸では相手に同調・共感を示すような展開が多く、大坂はその中間的な様相を示すという。同氏にはほかに「行為指示表現に注目した説話鑑賞—「敏行朝臣事」を中心に—」(『説話文学研究』60、7月)、「行為指示表現「─がいい」「─ほうがいい」の歴史—近世・近代を中心に—」(『国語と国文学』102-8、8月)*もあった。前者は説話と教育をテーマとしたシンポジウムにおいて、説話の成立時期と、同時期に見られる行為指示表現のバリエーションから、どのような読みが可能かを検討するもので、研究と教育との接続例として参考になる。後者は「―がいい」という形式が、評価を表すモダリティ形式からの転用で行為指示表現として成立したことを説明するもの。発達の遅速に地域差があることについて、準体句の変化に加え、話し手の認識を一方的に表明する「基本形+がいい」が江戸で発達することが江戸語における指向性(「一方向性/主張・提示型」矢島正浩(2016)「否定疑問文の検討を通じて考える近世語文法史研究」『日本語史叙述の方法』ひつじ書房)*とも合致すると述べる。言語的特徴がその地域の類型に当てはまるというのは魅力的な説明であるが、江戸と上方の二項対立を前提とするラベル付けにも見える。(資料の制約があるものの)江戸上方以外の地域でも同様の分類が可能か、ほかの類型を想定する必要があるとすればどのように全体像が描けるのかも知りたく思う。
安井論文では、近代文学作品に現れる方言に注目し、大阪・京都・奈良の方言を使用した作品を発表している作者を対象に、方言話者か他地方出身者かによる意識も考慮して、どのような方言がどこに現れるかを明らかにする。当該研究は、前節で見た、文体・文学研究との接点を持つものとしても位置付けられるだろう。
さて、『近代語』は小松寿雄氏の卒寿を記念したもので全29編の論文が収録される。江戸語研究を牽引してきた氏の記念号にふさわしく、江戸語、待遇表現に関わる論文を多く含む。小松寿雄「江戸語の致ス 付 致される」では、謙譲語または美化語として扱われる「致す」が、特に武家では尊大さや格式を表すのに用いられることや、現代東京語の「致します」のように直接聞き手待遇と結びつく傾向が江戸語では弱く、幕末までその傾向が認められることを示す。同じく「致す」等の語を取り上げる山田潔「『文機活法』における「シム(令)」「イタス(致)」の用法」は、明治期の書簡文集の一つ『文機活法』を資料に用いる。変体漢文体の書簡文にカタカナ表記の口語註釈文を付し、その対応関係から書簡における定型表現と口語文との差異が観察できるといい、資料そのものにも興味をひかれた。山田里奈「近世後期江戸語における「お~だ」—テイル形・テイタ形に言い換えられる場合に着目して—」は、尊敬表現形式「お~だ」の近世後期江戸語と現代日本語との比較を行うもの。「お~だ」に相当する表現について、近世後期江戸語のほうが使用される動詞の幅が広く、現代語ではテイル形を担うのに対し近世後期江戸語では現在および過去を表すという。伊藤博美「明治後期以降における尊敬表現「お/ご~になる」」は、明治末頃から昭和初期に至るまでに「お~になる」の形式内に様々な語を取り込むようになった一方、現在に至るまでに他の形式(「お~なさる」かレル敬語)に移行したのではないかとする。
そのほか福本朱凜「願望表現「ますように」に関する歴史的考察」(『高知大国文』56、12月)*は、現代語において願望を表す「ますように」が、言い切りの場合、単なるヨウニ節では表しにくいことに注目し、「ます」が必須となる過程を記述するもの。研究対象の着眼点の良さにはっとさせられた。
■ 日本語史と漢語の受容
『近代語』収録のものが主だが、語彙にかかる研究成果としては漢語を扱うものが安定して見られる。坂詰力治「漢語の意味と用法の拡がりについての一考察—「活計」と「克己」を中心として—」(『近代語』)は、中世の「活計」と「克己」の例をもとに、漢語の品詞性を検討するもの。品詞という観点では、漢語の副詞化について個別の事例の記述を積み重ねる、姚尭「副詞「一向」の史的変遷と変化のメカニズム」(『訓点語と訓点資料』155、9月)*もあった。
園田博文「幕末明治初期「放課」の成立と「放課後」「休み時間」への転換」(『近代語』)では、国立国会図書館デジタルコレクション*の全文検索を駆使した用例調査から、共通語において「放課」の〈休み〉〈放課後〉の意味が失われ、使われなくなる経緯が明らかにされる。白話語彙「破落戸」を対象とする長崎靖子「「破落戸」小考」(『近代語』)もデジタルコレクションから広く用例の収集を試みており、今後も同データベースが語彙研究にもたらす成果が期待される。米田達郎「「衛星」の語史とその周辺について—江戸時代後期から明治時代を中心に—」(『近代語』)は、「衛星」に類する語彙を概観し、教科書や辞書・実用書を博捜して「衛星」の語が定着する経緯を記述する。
丸田博之「漢語の成立事情について—「皮肉」は漱石・芥川の手によったか—」(『近代語』)は、「皮肉」という語がアイロニーを意味するまでの経緯を示す。漢語からは少し外れるが、樋口敦士「故事成語「漁夫の利」考—成立と受容の観点に着目して—」(『解釈』71-4、11月)*も、近代以降に定着したとされる「漁夫の利」という故事成語に注目し、その名称が定着する過程、および対外的に第三者の利益を意味するようになる経緯を記述するもので、面白く読んだ。
近代の漢語に関連し、新編西周全集編纂委員会編『新編 西周全集 第三巻〈言語・教育編〉』(国書刊行会、9月)*に、「西周の新造語一覧」が付されたのは注目に値する。従来の全集に未収録の資料も複数追加されたほか、西周の日本語研究の全体像をとらえた服部隆氏による解題など、新たな知見も多く取り入れられ、読み応えのある資料集となっている。ところで西周といえばローマ字論でも知られるが、今期の出来事として、2025年12月22日に、ローマ字のつづり方は「ヘボン式」を基本とするよう、内閣告示が約70年ぶりにあらためられた(令和7年内閣告示第4号)ことも、学界にとって大きなニュースであった。

