学界展望 日本語の歴史的研究 2025年7月〜12月
(村山 実和子)
目次
3.学術誌
今期、『日本語の研究』誌には、歴史的研究として4本の投稿論文が掲載された。
小澤颯太「上代における不可能をあらわす「~かねて」構文・「~かねつ(も)」構文の成立」(『日本語の研究』21-2、8月)*は、補助動詞「~かぬ」が否定辞を伴わずに不可能を表す理由を、「~かねて」という構文が逆接の関係で解釈される際に、前件が「望ましい事態の未実現」を表すことにあるとする。西嶋佑太郎「翻訳方法としてみた医学用語の造字—海上随鷗『八譜』を例に—」(同上)*は、近世後期に蘭学の影響を受けて成立した翻訳語の中に、造語と同じように日本製の「造字」があるとして、原語の語・形態素と漢字の構成要素の対応関係を明らかにし、漢字そのものに複合語と同じく翻訳の方法を見出す。
西端省吾「複合助詞「をもって」の通時的変化にみられる二つの流れ」(『日本語の研究』21-3、12月)*は、現代語に比して、近代語の「をもって」の出現頻度が高く、より広範に用いられることに着目し、同じく多義的な助詞「で」の現代語研究での枠組みを援用することで、「をもって」の近代固有の用法の発達・衰退のプロセスを明らかにする。髙谷由貴「トキタラによる「とりたて」の変遷—「ト+来る」による引用との関連から—」(同上)*は、引用助詞「と」と動詞「来る」の条件形式からなる「トキタラ(トキテハ、トクルト)」について、近世における実態記述と、評価的意味の史的変遷を明らかにすることを目指すもの。また、「「会話文」とは何か」という小特集内の辻本桜介「引用される文の数に注目した会話文・心内文の認定方法—中古和文作品の場合—」(同上)*は、内省の効かない中古和文に対し、会話文・心内文を抽出するための手法として「引用される文の数」にリアリティを見出し、判断の指標とする。現代語と中古和文の引用形式を丹念に分析したうえでの新たな手法の提案に、今後の活用が期待される。
そのほか、研究ノートに北﨑勇帆「単語ベクトルを用いた『天草版平家物語』と原拠本『平家物語』の対応付け」(21-2、8月)*もあった。手法の詳細は北﨑勇帆「平家物語の対照コーパスを通して見る中世日本語」(『計量国語学』34-7、2024年12月)*に詳しく、ここでは割愛する。情報学的手法を取り入れた研究は今期も盛んで、例えば『自然言語処理』掲載論文では、片山歩希・ 東山翔平・大内啓樹・坂井優介・竹内綾乃・坂東諒・橋本雄太・小木曽智信・渡辺太郎「場所参照表現抽出における言語モデルの時代横断型評価」(『自然言語処理』32-4、12月)*、木山朔・相田太一・ 小町守・小木曽智信・高村大也・持橋大地「通時的な類似度行列に基づく単語の意味変化の分析」(同上)*などが注目される。
『日本語文法』では、三宅俊浩「ニ格可能構文の成立」(25-2、9月)*があった。主体がニ格で標示される可能文(ニ格可能構文)の成立の経緯に議論の余地があることを示し、可能動詞によるニ格可能構文を、その語彙に注目して「[理解]系」と「[非理解]系」に分けたうえで、前者の成立に動詞「ワカル」の影響があることを指摘し、後者は[理解]系の成立後に発達したことを明らかにする。現代語の理論的研究にも目配りしつつ、近世後期の実例にもとづき、順を追って蓋然性の高い説明が与えられる。稿末の調査資料は、近世後期の資料を見るうえでも有益である。同氏には、「ナル系二重否定型当為表現の成立・展開とカナフ系の衰退」(『文学・語学』244、8月)*もあり、可能・当為表現の歴史的記述を着実に押し進めている。いずれ研究成果がまとめられるのが楽しみである。
『国語国文』に掲載された川村祐斗「後接要素から見たサヨウの歴史—サヨウナラ(バ)の歴史を端緒として—」(94-9、9月)*は、「サヨウナラ(バ)」を構成する「サヨウ」「ナリ」がそれぞれに中古から存在しながらも、その連語自体は近世中期に発達したことについて、従来「サ」自体に述語用法があったものの指示詞としては衰退したために、「サヨウ」がその役割を担うようになったとする。ただ、「サ」そのものが衰退するのであれば「サヨウ」も少なからずその影響は受けるように思われ、「サ」の不在に「サヨウ」が入り込んだとするにはもう少し説明がほしい(注や結論で示されるように、指示副詞「そう」、「かよう」との関わりも見る必要があろう)。山田昌裕「平安期和文資料における「ガ」と「ノ」」(94-10、10月)*は、中古和文における助詞「ガ」「ノ」を対象に、コーパスを用いて構文的観点からの分析および上接語の有性・無性名詞の棲み分けの再検討を目指したものである。先行研究に対し、より精緻な分析を試みることに主眼があると理解したが、例えば5節で有性・無性名詞の棲み分けを計量的に見ることは、先行研究として引かれる後藤睦(2017)「上代から中世末期におけるガ・ノの上接語の通時的変化」『待兼山論叢 文学篇』51*で行われたこととの厳密な区別を知りたく思った。
『解釈』71-4(11月)の特集「国語学」には、辻本桜介「中古語の「…に等し」と「…と等し」について」*が掲載された。〈比較の基準〉を表す「に」と「と」について、「…と等し」が広く対等関係を示すのに対し、「…に等し」は「ある尺度において極端な位置にある事物を示してそれに匹敵すること」という特殊な意味が看取されるとする。氏のこれまでの研究でもそうであったように、訓点資料を適切に活用することで説得力のある結果を導く。同氏には「中古語の「…を出づ」と「…より出づ」について」(『日本文芸研究』77-1、10月)*もあった。なお、奇しくも同タイミングで、陳星宇「接続助詞「と」の成立における「と等しく」の固定化について」(『名古屋大学国語国文学』118、11月)も報告されている。
そのほか、気になったものをいくつか挙げる。
語構成に関する論に、田和真紀子「初期近代語の接頭辞に関する一考察—土井本『太平記』の「接頭辞サシ+動詞」の意味を中心に—」(『近代語』)、小椋秀樹「明治期から平成期における接頭辞「非-・不-・未-・無-」の変遷」(『論究日本文學』123、12月)*があった。田和論文は中世後期の「さしあぐ」に現代語のような謙譲の意味が見られないことに着目し、「サシ」が接する動詞の意味を検討する。ただし分析対象を抽出する時点で本動詞相当を排除していると説明することから、あらかじめ選別した「接辞」の意味の検討は循環するようにも思われ、関連形式全体の推移を知りたく思った。また、玉村禎郎「山田文法における「熟語」—構成要素が並立関係にあるものをめぐって—」(『近代語』)では山田文法における「熟語」(いわゆる複合語)に、その定義に含めないはずの構成要素が並立関係にあるものを例に挙げるなどの矛盾が見られること、前項と後項との結びつきの段階性をどのように考えるかが課題となることを指摘する。それぞれの論文から、語~接辞の認定(の困難さ)が語構成研究上の大きな課題であることが再確認される。
吉田桃奈「語法調査における理慶尼記(武田勝頼滅亡記)の成立年代推定について」(『語文』180、12月)は、成立不詳とされる『理慶尼記』について、使用語彙から成立年代の推定を試みるもの。『日本国語大辞典』における初出時期を主な指標とすることから(元となった卒業論文では仮名遣いや音韻、文法事項からも検討を行ったが時期の特定には至らなかったと付記がある)、本筋ではないが同辞書の改訂とも相互に影響しそうである。書写時期等も考慮する必要はあろうが、面白い着眼点であると思う。佐藤拓雄「「彼岸過迄」のルビ(振り仮名)に見る漱石の意図と思考過程—全集未収録書簡を足掛かりに—」(『解釈』71-3、8月)*は、漱石全集未収録の書簡の記述を手掛かりに、『彼岸過迄』の原稿と新聞掲載版とのルビにズレがあること、漱石が明確な意図をもって読みを指定していたことを明らかにする。
新資料に関連して、矢田勉「寛政期金沢方言談話資料『卑陋瑣言』について」(『近代語』)は、資料の乏しい近世の金沢方言を知る手がかりとして貴重な談話資料であり、今後の活用も期待される。米谷隆史「「ハニヤシ行ノホジ」に見える空点の用法をめぐって—旧八戸藩領に伝存する近世修験道文献の表記一斑—」(『国語と国文学』102-11、11月)*は、東北方言の特徴を反映すると見られる近世修験道文献を取り上げ、撥音・促音・前鼻音・濁音を表現するために、書写者の方策として空点が用いられていたことを豊富な実例とともに示す。
『国語と国文学』7月特集号の「声調・アクセント研究の現在」*をはじめ、取り上げるべき成果がこのほかにも多くあったが、稿者の関心の偏りと力不足ゆえに一部しか取り上げられなかった。ご寛恕を願うばかりである。
最後に、2025年12月に開催された「じんもんこん2025」(人文科学とコンピュータシンポジウム)*のテーマは「社会をつなぎ直す情報技術」だった。その趣旨文では、今日の深刻化する「分断」の数々、「対立と排除を煽る」空間(ここではインターネット空間を指しているが、現実世界でも同様であろう)への強い危機感が示される。世情は転がり落ちるように悪化するばかりだが、だからこそ、歴史を知り、言語を扱う学会が毅然とした意思を表明することに意義がある、ということをここに記して結びとしたい。
付記:本稿入稿後に、小松寿雄先生のご逝去の報に接しました。先生の長きにわたるご功績を偲び、謹んで哀悼の意を表します。
村山実和子(むらやま・みわこ)……論文に「接尾辞「ハシ(ワシイ)の変遷」(『日本語の研究』15-2)*、「形容詞語幹動詞の自他対応関係の歴史」(『日本語文法史研究7』ひつじ書房)*ほか
学会展望 日本語の歴史的研究
「2026年1月〜6月」は、2026年10月頃掲載予定です。
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