シーズン2 第23回
エモいとメロい(後編)
尾山 慎
コラム延長戦!「文字の窓 ことばの景色」。

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メロいの語源
こちらは「エモい」(前編)とは違って、夕焼けや古い写真よりも、人に対して使われることが多い。顔立ちがよい、声がよい、ふとした仕草に色気がある。そんな相手に心を奪われ、こちらがすっかり「メロメロ」になってしまうほど魅力的だ、ということである。
「メロい」の語源も、正確な初出までたどるのは難しい。ただ、現在の意味については、「メロメロ」の「メロ」に形容詞の「い」を付けたもの、と考えるのがまず穏当だろう。「三省堂 辞書を編む人が選ぶ「今年の新語2024」」でも、「見ているほうが夢中になって、だらしなくなるほど、圧倒的な魅力のあるようす」と説明され、「メロメロ」からできた語とされている。
「「キラい」「フラい」などとは言わないので珍しい」ともあり、二回繰り返す擬態語の前半だけを取り出し、「い」を付けて形容詞にするのは、たしかに珍しい。それでも「メロい」と言われれば、「相手にメロメロにされた」という意味が、かなり素直に理解できる。
ところで「メロい」という形そのものは、近時初めて生まれたわけではないらしい。少なくとも2010年ごろには、音楽を評して「メロいギター」「メロいリフ」(リフとは曲の中で繰り返される短い印象的なフレーズのこと)と書いた例がある。こちらは「人をメロメロにする」というより、「メロディーが豊かだ」「メロディアスだ」というそちらの「メロ――」の意味だったとみられる。そして、ただちに、二つの用法が直接つながっているとはみなしにくい。やはり音楽の「メロ」はメロディーの略、現在の「メロ」はメロメロの一部と考えられるからである。ただ、耳なじみのある同じ形が先に存在したことが、新しい「メロい」を受け入れやすくした可能性はある。
「エモい」に続いて「メロい」。英語らしくも、日本語の擬態語らしくも聞こえる、いかにも新しい形容詞である。けれども、これを「Z世代が生み出したことば」と一言で説明してよいかというと、話はそれほど簡単ではない。
「Z世代が—」のテキトーさ
新しいことばを紹介する記事には、しばしば「Z世代で流行」「Z世代が生み出した新しい感覚」といった見出しが付く(Z世代とは、一般に1990年代後半から2010年代初めごろまでに生まれた世代を指すが、その範囲には諸説があり、もともと厳密な年齢集団を表す学術用語というわけでもない。個人的には、1995年生まれと2013年生まれでは18歳も違うので、一緒に括るのは無理があると思う。自分の、18歳年上の知り合いを思い出してほしい。「同世代」と思えるだろうか?14歳の中学生と32歳の担任の先生、というところだ。この両極の間を「同世代」と捉えることが、どのような場合にどれくらい有効なのだろうか)。
先日も、「フレネミー」なることばがZ世代のあいだで流行している、という記事を目にした。これは「フレンド」と「エネミー」を組み合わせたことばで、友人のように振る舞いながら、実は相手を傷つけたり、陰で陥れたりするような人を指すという。しかし、考えてみればすぐに分かることだが、そのような人が2000年代前後~今日に初めてこの世に現れたはずはない。そういう人はこれまで、歴史上、社会・コミュニティに必ずいたはずである。50年前も、100年前も。その際、「友達のふりをする」「裏表がある」「腹黒い」といった言い方がなされたかもしれない。したがって、新しいのは現象・事象そのものではなく、それを「フレネミー」と短く名づけ、SNS 等で使い、共有する仕方のほうである。こういった関係性が、ネット記事ではしばしば、分かりにくい。まるで、Z世代の若者は「友人のように振る舞いながら、相手を傷つけたり、陰で陥れたりする」世代なのだと錯覚させかねない。前述の通りそういうことは、おそらくずっとあったことである。令和の若者だけがそうなのではないはずだ。
「メロい」についても同じことがいえる。魅力的な人に心を奪われ、「メロメロになる」ことは昔からあっただろう。「骨抜きになる」「悩殺される」といったことばもある。新しいのは、その感情ではなく、「この人はメロい」と、相手の魅力を形容詞一語で評価する表現のほうである。
「Z世代が言っている」「Z世代で流行している」という説明は、たしかにキャッチーである。だが、そのわかりやすさのために、もともと存在した事象、その事象に与えられたことば、そして、そのことばが一時的に広まることなどの諸要素が、すべて一緒にされてしまいかねない。ある事象が新しいのか。それを表すことばが新しいのか。あるいは、以前からあったことばが、いま注目されているだけなのか。この三つは別の問題である。しかし、これは言い方を変えると、言語化が鋭いと、事象も顕在化するということでもあるだろう。まるでZ世代が初めてそう振舞い始めたかのように錯覚するのは、つまりは新しいことばが出てきたので、「そんな事態・事象・現象があるのか」と認知、認識がくっきりする(ような気がする)というわけだ。実は前からあったのに。
エモいとメロいの使い分け
では、「エモい」と「メロい」は、どう違うのだろうか。
たとえば、ある歌手がデビュー二十周年の公演で、若いころの代表曲を歌ったとする。昔と同じ振り付けを、同じ仲間と披露する。その姿に、長い年月や、これまでの苦労まで重ねて胸がいっぱいになれば、「エモい」。ところが、歌い終えたその人が、袖を少しまくり、かつてと変わらない締まったスタイルと、その低く通る声で「ありがとう」と言って笑った。その瞬間、がちっと心をつかまれたなら、こちらは「メロい」である。
つまり、エモいものには心を動かされ、メロいものには心を奪われる。
「エモい」は、懐かしい、切ない、うれしい、感動したといった、いくつもの感情が入り交じった心の動きを表すようである。風景、音楽、写真、物語、人間関係など、幅広いものが対象になる。これに対して「メロい」は、主として人の顔つき、声、表情、服装、仕草など、その人がもつ抗いがたい魅力についていう。もっとも、本当に恋愛したいという意味にかぎらない。俳優や歌手、漫画の登場人物などに対し、「これは好きになってしまう」「この魅力には勝てない」と感じることもおそらく含まれる。
少し前の言い方なら、「しびれる」「悩殺される」「胸がきゅんとする」などが近いだろう(これらは確かに古臭い感じはする)。しかし、「メロい」には、そうしたことばよりも、こちらが抵抗むなしく骨抜きのようにされてしまったた感じがあるのではないかと思う。「まいりました」と白旗を揚げるところまで含めて、相手の魅力をほめているのである。
また、文法的にも、おもしろい。「私はあの人にメロメロだ」というとき、「メロメロ」なのは私である。ところが、「あの人はメロい」といえば、こちらをメロメロにさせた力が、相手そのものの性質として表される。感じた側の状態を、感じさせた側の属性に移しているのである。
これは「エモい」にも通じる。「私はこの夕焼けを見て、懐かしく切ない気持ちになった」と説明する代わりに、「この夕焼けはエモい」という。夕焼け自身が感傷にひたっているわけではない。自分の心に起きたことを、対象の側に預けて表現しているのである。
もっとも、「エモい」がすでに若者語の中心から離れつつあるように(前編)、「メロい」だっていつまで使われるかもわからない。数年後には、「メロいって、ちょっと前にあったよね」と言われているかもしれない。人をメロメロにする魅力は昔からなくならないが、それを何と呼ぶかは、案外すぐに変化する。
この文章がまた書籍になるとしたら、それが読まれるころにも「メロい」がメロいままでいてくれるかどうか——。
著者紹介
尾山 慎(おやま しん)
奈良女子大学教授。真言宗御室派寳珠院住職。
著作に『二合仮名の研究』(和泉書院、2019)、『上代日本語表記論の構想』(花鳥社、2021)、『日本語の文字と表記 学びとその方法』(花鳥社、2022)、『文字の窓 ことばの景色』(花鳥社、2026)。

