新古今時代の和歌表現 
板野みずえ 著

2024年1月30日発行
定価:8,800円(10%税込)
A5判・上製・336頁
ISBN:978-4-909832-84-9

ためし読み 各種オンライン書店での購入

 

内容紹介著者紹介目次書評・紹介

和歌史における「新古今」とは何であったか。

藤原良経を足がかりに、新古今から京極派に至るまでの和歌の特質を「叙景」意識を軸に検討し、表現史の面から和歌史の書きかえをはかる。


「和歌の中ではどのような 「景」も、広義の「心」を離れては成立しえないという意味で、情や主観を排した純然たる風景描写としての「叙景」は存在しないと言ってよい。……(中略)……本書では個別の作品における叙景のありようを分析することで、新古今歌人の和歌において「景」がどのような機能を果たしているのか、そしてそれはどのように「心」の問題と結びついていくのかということについて検討を進めた。」(序章より)

板野 みずえ(いたの みずえ)

1985年 岡山県生まれ
2009年 東京大学文学部卒業
2016年 東京大学大学院博士課程人文社会系研究科単位取得満期退学
2019年 博士(文学)
現 在 群馬県立女子大学文学部国文学科准教授

 凡例

序章 「新古今」という時代
 一 「新古今」の範囲
 二 「叙景」の定位
 三 本書の構成

第一篇 藤原良経――新古今前夜

第一章 藤原良経の歌壇活動

 はじめに
 一 良経主催の和歌行事
 二 良経歌壇の設題傾向
 三 名所十題歌合の歌題
 四 良経歌壇の設題と漢詩文
 おわりに

第二章 「風」の歌
 はじめに
 一 良経の「風」歌の特徴
 二 良経の『六百番歌合』「枯野」詠
 三 「風」の歌と「跡」
 四 名残としての「風」
 五 主題としての「風」
 おわりに

第三章 「心の空」の歌
 はじめに
 一 「心の空」の詠作史
 二 新古今歌人の「心の空」
 三 良経の「心の空」(1)
 四 良経の「心の空」(2)
 おわりに

第二篇 叙景――新古今時代の和歌表現

第一章 恋歌における叙景
 はじめに
 一 定家「年も経ぬ」詠の問題点
 二 定家の「よそ」の用例
 三 新古今歌人の「よそ」の用例
 四 「○○のよそ」という表現
 五 「よそ」と視点
 おわりに

第二章 物語摂取と景
 はじめに
 一 『一句百首』の性質
 二 定家の「吹きまよふ」詠
 三 「秋に閉ぢつる」
 おわりに

第三章 「春の曙」考
 はじめに
 一 『六百番歌合』以前の「春の曙」
 二 「見ぬ世」と「春の曙」
 三 『風雅集』の「春の曙」歌群
 四 しるべとしての「春の曙」
 おわりに

第四章 「むすぼほる」考
 はじめに
 一 「むすぼほる」の詠作史
 二 「むすぼほる」の基本構造
 三 新古今歌人の「むすぼほる」の用例
 四 「むすぼほる」と「夢」
 おわりに

第五章 「ながむ」考
 はじめに
 一 釈教歌における用例
 二 「思ひ入る」・「むなしき空」
 三 「ながむ」と景
 四 景と客体化
 おわりに

第六章 「身」考
 はじめに
 一 「身にしむ」という表現
 二 『新古今集』秋上・三五二番歌
 三 「身にあまる」と「身にとまる」
 四 新古今時代の「身」と「心」
 おわりに

第三篇 寂蓮・京極派――新古今時代以後

第一章 寂蓮の和歌とその享受
 はじめに
 一 良経歌壇の和歌行事と寂蓮
 二 寂蓮結題百首
 三 寂蓮詠の構図
 四 寂蓮詠における遠近感
 おわりに

第二章 寄物題における景の展開
 はじめに
 一 新古今時代の寄物恋題
 二 新古今時代後の寄物恋題(1) 歌会・歌合・定数歌
 三 新古今時代後の寄物恋題(2) 応制百首
 四 中世和歌における「寄雲恋」詠
 五 京極派における寄物恋題詠
 おわりに

第三章 京極派和歌における「向かふ」
 はじめに
 一 藤原定家の『六百番歌合』「別恋」詠
 二 京極派の和歌における「~に向かふ」
 三 「向かふ」と時間
 四 「向かふ」と「ながむ(ながめ)」
 五 「向かふ」と「心」
 六 「向かふ」と仏教思想
 おわりに

 

終章 新古今から中世和歌表現史へ
 一 新古今から京極派へ
 二 中世和歌における「叙景」
 三 「見るやう」な景
 四 叙景表現の共有
 おわりに

付章 東京大学総合図書館蔵『月清集攷』翻刻と紹介
 はじめに
 一 書誌
 二 翻刻
 三 校異
 四 考察

 初出一覧/あとがき/索引(人名・和歌初句)

■自著紹介が、ウェブサイト「UTokyo BiblioPlaza」に掲載されました。
https://www.u-tokyo.ac.jp/biblioplaza/ja/A_00250.html

「和歌における 「景」は、広義の「心」を離れては成立しえない。つまり、情や主観を排した純然たる風景描写としての「叙景」は存在しないと言ってよい。しかし、風景そのものは繰り返し和歌の中に詠みこまれてきた。そのときその風景表現は何を意味するのか。 本書では個別の作品における「叙景」意識を分析することで、新古今歌人の和歌において「景」がどのような機能を果たしているのか、そしてそのとき「心」はどのような形で存在しているのかということについて検討を進めた。(中略) 和歌における「叙景」の問題は、近代以降の短歌における言説とも関わる大きな問題である。しかしどんな問題もまずは足元から積み上げていくほかはない。特定の表現一つ一つに注目することは、浜辺の砂を数えるような作業で、その先を思うと眩暈がする。それでもその砂一粒は確かに重さを有するもので、それを数える作業は存外に楽しいということを、本書を通じてお伝えできれば幸いである。」