「軍記物語講座」によせて(3) 
石川透「軍記物語とその絵画化」

『軍記物語講座』(全4巻)刊行に先立ち、軍記物語研究にまつわる文章を随時掲載。第3回は、慶應義塾大学文学部教授の石川透氏です。絵巻・絵本方面の研究を精力的に推し進める氏が語る、新たな可能性とは!


軍記物語とその絵画化

石川 透  

1. はじめに

 軍記物語の研究として、この二十年で大きく変わったのは、その絵画化された作品群の研究であろう。例えば、絵画化した作品として絵本や絵巻が存在するが、それらの研究は、二十年前まではほとんど行われていなかった。理由は、絵の入った作品の制作は江戸時代以降と新しいので、その本文の研究の対象にならなかったこと、絵本や絵巻の存在そのものが知られていなかったこと、等による。しかし、この二十年で世界のデジタル技術が進み、インターネットによって、どこでも画像が見られることになり、この分野の研究が進む素地ができたのである。もちろん、そこに至るまでには、所蔵機関が、ウェブサイトに所蔵作品の画像を上げる必要があるが、幸いなことに、絵画を伴う作品は、軍記物語に限らず、優先される傾向にある。

 そのウェブサイトへの掲出も、絵本や絵巻の全ての場面を出すことが多くなったので、今や、絵本や絵巻の基礎研究は、家にいてもできる。もし一部だけの紹介であっても、その作品が存在していることが分かり、絵本や絵巻の研究者にとっては、それだけでもありがたい。実際には、現在はそのような状況への過渡期にあるのだが、少しずつでも絵画化された軍記物語の研究は進みつつある。


奈良絵本/保元物語〈断簡〉「為朝生け捕り遠流に処せらるる事」(筆者蔵)

 ただし、大きな問題も存在する。軍記物語に限らず、絵本や絵巻の文学的な研究をする場合、これまでの研究の歴史がないために、どのように研究を進めるべきかの指針ができていないのである。おそらく、この分野の研究を試みた多くの研究者が、どう論文を書いたら良いか、という悩みを持ったはずである。

 私自身は、とりあえずは、どこにどのような作品が存在するか分からない状況なので、その諸伝本の発掘とその分類を行っている。この基礎的な作業だけでも、さまざまなことが分かって面白い。

 

2. 『平家物語絵巻』と越前松平家

 二十年前までは、軍記物語の絵本・絵巻の研究が少なかった、と記したが、『平家物語絵巻』と『太平記絵巻』については、デジタル化時代より前のアナログの時代から、ある程度は知られ、紹介本も刊行されていた。その効果もあって、この二つの絵巻の場面は、中学高校教科書の国語の古典や日本史にカラー写真として掲載されているのであるが、正確な制作時代が記されていないために、合戦当時、あるいは文学作品として成立当時の絵画と誤解されてしまうことがある。実際には、両者ともに江戸時代前期の制作と推測できるのだが、実際の合戦よりは三百年から五百年も後の制作であった。

 しかし、本文を伴う彩色入りの現存絵巻としては、これらが最古クラスの作品なので、仕方ない。私の知るところでは、『平家物語』の本文を備えた彩色絵巻としては、林原美術館所蔵の『平家物語絵巻』が、唯一の作品である。本来は岡山の池田家に伝来した絵巻であるが、さらに遡ると、越前松平家に伝わった作品として知られている。越前松平家は、江戸時代初期に岩佐又兵衛を呼び、今は重要文化財に指定されている『山中常盤絵巻』や『浄瑠璃物語絵巻』を作成させた家である。『平家物語絵巻』は、既に当主は替わっていたはずであるが、同様の豪華絵巻を京都で公家や名のある絵師の家に作らせた。

 この『平家物語絵巻』が作られた江戸時代前期には、『平家物語』の豪華な彩色入りの絵本(奈良絵本)も数多く作られていた。作成したのは、京都の絵草紙屋であると思われ、民間業者として絵師や筆耕(本文執筆者)の名前は残されていないが、相当にレベルの高い作品群を残している。しかも、近年次々と同様の絵本が出現しているのである。それらの所蔵者は、細川家や真田家等の著名な大名家が多い。おそらくは、越前松平家が『平家物語絵巻』を作らせた直後くらいの時代に、豪華絵本としての『平家物語』を多くの大名家が注文したのである。


奈良絵本/平家物語〈断簡〉「大原御幸」(筆者蔵)

 江戸時代前期には、平仮名絵入りの版本としての『平家物語』が多く作られていたが、大名家としては、彩色手作りの豪華絵本を所有したかったのであろう。『平家物語』は源氏が活躍する物語であるから、家の先祖が登場する作品として、欲しがることもあったはずである。注文を受けた絵草紙屋からすれば、同時にいくつもの奈良絵本を作成した方が効率が良いので、注文をとりまとめるような人物も存在したのかもしれない。

 

3. 『太平記絵巻』と水戸徳川家

 一方、『太平記絵巻』は、本来十二軸の作品であったと考えられるが、現在は、埼玉県立歴史と民俗の博物館・国立歴史民俗博物館・ニューヨーク公共図書館の三機関に分蔵されている。絵画を中心とした絵巻で、本文は上下の金の霞の上に記され、いわゆるダイジェスト版の本文である。この『太平記絵巻』については、十年ほど前に『源平盛衰記絵巻』十二軸も出現し、その類似から本来は、『源平盛衰記』と『太平記』のセットの絵巻物であった可能性が大きい。その『源平盛衰記絵巻』は水戸徳川家旧蔵であることがはっきりしているので、この両絵巻は、水戸徳川家が作らせたと考えられる。両者とも、本文の筆跡は同一で、名前までは明らかにならないが、豪華絵本や絵巻ばかりに出てくる筆跡である。他の絵巻類との比較から、江戸時代前期の成立であることは確実である。『太平記絵巻』の絵師は海北友雪という説もあり、まさにその時代に制作された作品なのである。

 もちろん、絵師を海北友雪と断定できるわけではないが、友雪は若い頃に、絵草紙屋と同様な組織と考えられる絵屋にいた人物である。これらの絵巻が、水戸徳川家の注文によって、京都の絵草紙屋周辺で作成された可能性は大きいであろう。ちなみに、この江戸時代前期の水戸徳川家当主としては、徳川光圀が著名である。

 この『源平盛衰記絵巻』と『太平記絵巻』と、本文筆者が共通する作品には、海の見える杜美術館所蔵の『保元平治物語絵巻』十二軸が存在する。こちらは、『保元物語』『平治物語』の本文が比較的に短いこともあって、本文全文を有し、十二軸で作られている。絵の霞上に文字を書くことはしていないが、『源平盛衰記絵巻』等と同じ十二軸であり、本文筆者も同一であることを考えると、何らかの関係があると思われるが、旧蔵者等の詳細は不明である。

 同じ本文筆跡を有する豪華絵本としては、プリンストン大学が所蔵する奈良絵本の『平家物語』三十冊があり、縦が三十糎を超す特大本である。絵巻も縦が三十糎を超す程度の大きさであるから、絵巻に準ずる絵本と考えて良いであろう。残念ながら、この絵本の旧蔵者も明らかではない。

 

4. 軍記物語周辺の作品

 このプリンストン大学蔵『平家物語』とよく似た絵本は、軍記物語には入らないが、幸若舞曲の絵本に見ることができる。その本文の筆跡が同一であり、絵本としての体裁も近似している。一部を欠いているが、この海の見える杜美術館蔵『舞の本』は、四十冊を超える大作である。軍記物語ではないが、軍記物語から派生した話が多く記されている。面白いことに、海の見える杜美術館本は、大分の府内藩の印記が押されているので、府内藩旧蔵と考えるべきであるが、これも、越前松平家の末裔の家なのである。越前松平家の系統は、十七世紀においては、絵本や絵巻の大作を作らせた家であったのである。

 絵本としての類似から、作成したのは、これまでと同じような京都の絵草紙屋であったろう。このように見てくると、十七世紀後半には、絵草紙屋が大名家等からの注文を受け、豪華な絵巻や絵本を作成していたことが、諸伝本を並べただけでも分かるのである。


奈良絵本/保元物語〈断簡〉「為朝最後の事」(筆者蔵)

 これらは、基礎的な絵巻や絵本の制作の問題であるが、このようにして、制作時期や制作地を明らかにした上で、その内容の研究を進めるのが最も良いであろう。よく絵巻や絵本には、注文主の意向が反映されると言われるが、どちらかと言えば、本文筆者や絵師等、作り手側の意向が反映されていることの方が多い、と思われる。

 ともかくも、このような基礎的な研究を踏まえた上で、本文や絵画部分の研究を進めるべき、と考えている。例えば、『平家物語』の奈良絵本は数多く存在し、その本文は大差ないが、絵には大きな違いがあることが多い。その『平家物語』から派生した作品群も、豪華絵巻や絵本にされていることが多いので、同じ題材であっても、異なるジャンルの作品群の比較もできる。絵本や絵巻は今後も多く見出されるであろうから、新たな作品も含めた絵本・絵巻の研究が進むことを願って、本稿を閉じたい。


石川 透(いしかわ・とおる)
1959年生れ。
慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程後期単位取得退学。
慶應義塾大学教授。
著書に、『奈良絵本・絵巻の生成』(三弥井書店、2003年)、『奈良絵本・絵巻の展開』(三弥井書店、2009年)、『入門奈良絵本・絵巻』(思文閣出版、2010年)など。


松尾葦江編「軍記物語講座」全4巻

  第1巻『武者の世が始まる』      2019年11月刊予定

  第2巻『無常の鐘声―平家物語』   2020年 5月刊予定

  第3巻『平和の世は来るか―太平記』 2019年 9月刊予定

  第4巻『乱世を語りつぐ』      2020年 3月刊予定

   *各巻仮題・価格未定。


軍記物語講座によせて
  2. 長坂成行「『太平記』書写流伝関係未詳人物抄」
  1. 村上學「国文学研究が肉体労働であったころ」