第2回 
「書く」ことの意義・必要性(前編) 
尾山 慎

好評発売中の『日本語の文字と表記 学びとその方法』(尾山 慎)。
コラム7本を収録していますが、そこでは語り尽くせなかった、あふれる話題の数々をここに紹介!
題して「文字の窓 ことばの景色」。

 

全員に読み書き能力を授けるということ

 「読み書き能力」とよく言うが、これに「話す」「聞く」とをあわせて言葉の四技能という。しかし、生まれてから毎日シャワーのように浴びて自然にできるようになる後二者と違って、前二者は基本的に教育をうけないとできるようにならない。もちろん、現代日本には義務教育があるので、全員必ずこれを習う(個々人の能力差はあるがそれは別問題)。これは世界中、そして文字文明を有して以降の人類史を見渡せば、ともかくすごいことである。

 現代にあって、「国」というものの、規模や力を我々は何にみているだろう――それはすなわち経済力だとイメージされるかもしれない。仮にそうだとして、その巨大な経済活動を維持、拡大していくためには、それを実現する人々の教養、アイデア、そしてその集合知が必要だから、結局その大元とは、幼少時からの基礎教育とそのサイクルにあるといえよう。まさしく、教育は国家百年の計である。ではサイクルとは?――お金と人材を投入し、システムを構築しないと義務教育、高等教育という制度は維持できないから、教育をうけた一人一人が、またそうやって〝お金をかけ、教える側の人材供給ができ、システムをアップデートできる明日の日本〟を担っていくという、そういう意味での循環のことである。

 もちろん、一人一人、大なり小なり、社会や教育の現状に対する不満や危惧を抱えているだろうけれども、大きく言って、幼少時からの皆教育がこれほどに当たり前になっていること自体、千数百年の日本の歴史を見通すだけでも、驚くべきことなのである。あまりに当たり前すぎると、どうしても問題の方ばかりが目に付くかも知れないが、たまに「すごいことなんだ」と思うのも悪くない。

個人的な出来事、所感を「書く」こと

 さて、古代へと一気に時間を巻き戻す。漢字漢文を代表に、読み書き能力は明らかに特殊技能だった。現代では、全員が読み書きを子供のうちから習って、日々それを実行するという経験を重ねる。そのごく初歩の段階から、内容は私的なことを記すという場合が、比率としては高いのではないだろうか――昨日あったこと、遠足の思い出、運動会で頑張ったことなどをテーマとする作文の数々――。この感覚を、古代にそのまま持ち込むわけには、実はいかない。「書く」という行為そのもの、しかも私的な出来事や心情を文章にして記すということは、古代、身近で気軽なことではなかったのである。

 まず、リテラシーのヒエラルヒーというものが古代には現代と比較にならないほど如実にあった。漢詩漢文を縦横に読み書きできるような達人を頂点にした、ごく一部の上位リテラシー集団と、対して、文字を全く読めない人(というより必要としない)が相対的に多数いたであろうことは、それなりに理解も想像もできるだろう。しかし、そもそも文字で書いて残すとはどういう意味をもっていたのかということについて、小さなうちから私的なことを書くことに慣らされてきた現代人には、かえって古代の追体験が難しい。

 我々にも、気合いを入れて書かないといけない文章とか、かしこまって書く文章というのはあるけれども、SNSなども含めれば、言葉を書くこと、まして、読むことというのは、概して非常に日常卑近な行為に感じるのではないか。乳幼児の頃は書けなかったはずだが、もうその状態はすっかり忘れてしまった。こういった、〈書く〉ということを巡る身近で手軽すぎる感覚が、古代とかなり違うということを念頭におく必要があるのだ。町中に文字で書かれた看板類があふれていること自体、〝皆、基本的に読めるし、書ける〟という前提で設置されている。そして、そのことさえも、特段意識しないのが普通だろう。全員が持っている前提、となると実質的にゼロ化(透明化)してしまうのだ。しかし古代は、全く、そうではなかった。

 ところで、書く行為が日常卑近にあるとはいえ、我々も1日24時間を振り返ると、実は、一々克明に行動を記すことなど滅多にないし、そもそも書こうとも思わないだろう。そしてそれはなぜか?と改めて考えてみよう。ここに、古代を追体験する小さな糸口がある。朝、歯磨きをしたあと、風呂掃除をし、生ゴミを棄てて、会社へ向かうべく駅へと急ぐ――これを文字にして残さないのはなぜだろう?それは、あまりにも日常の当たり前の出来事だから、書いて残す必要がないし、そもそも誰かに知らせる必要もないからだと考えられる(Twitterでつぶやくひともいるかもしれないが、さすがにトピックスが平凡すぎないだろうか。もっとも、超が付く有名人のつぶやきなら、ファンはこういった生活の一端の報告でも嬉しいかも知れない)。

 一方で、歯磨きをしているとハブラシが粉々に砕け、風呂掃除をすると今度はシャワーが壊れてびしょ濡れになり、挙げ句の果てに生ゴミの袋が破れて中身をマンションの廊下にブチまける。住人の白い目線を背中に浴びながらあわてて掃除、ようようのことで駅にたどり着いて電車にのったら逆方向、愕然がくぜんとしつつ反対方向に遠ざかっていく彼方を眺める――こうなると、これはちょっとSNSにでも投稿しようかなと思ってしまう。このあまりにヒドい非日常を友人にでも知って欲しいと、スマホをタップしてつぶやきたくなるかもしれない。これ以上無く個人的な一コマではあるものの、たしかに、この人にとっての書く必要性(動機)が生まれた・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・とはいえよう。

「私」世界を文章にする

 古い時代の日本語とその書記行為を考えるとき、この〈書く必要性・意義〉〈書いて残す動機〉というのがどういうものだったか、考慮あるいは想像しないといけない。しかも、それが私的な心情や精神となると、先程述べたように古く遡るほどに文章に記されることはレアであるか、あるいはそもそも、ない。古代人にとって、私的な心情を、しかもいわゆる散文(詩や歌のように韻律が決まっていない普通の文章)で書き記すということが、しっかり動機づけと技術をともなって書けるようになるには、それなりの時間が必要だったようだ。『文字とことば(シリーズ古代史をひらく)』「新たな文字文化のはじまり」(岩波書店、2020)において川尻秋生氏は、古代人が、私的な感情を散文で書いて残すことのきっかけに「記」(見聞きしたことを記録した文章、中国に由来。日本での最初はみやこのよし(834〜879)の『富士山記』とされる)の発達・展開を、そして、日記というメディアとその発達を要因に挙げている。すなわち9世紀以降の話である。これは文書行政が確実に行われていた7世紀からしても、200年以上の時が経っている。

 たとえばである――古代、平城京のとある朝、少し慌てていた下級官僚A氏は、途中の道で石につまづいてすっころんでしまった。たいは破れるし、あちこち擦りむいてうめきながらやっとのことで庁舎にたどり着いたら、今度は石階段を踏み外して向こうずねを痛打――それでも「朝からこけてボロボロ、ほんま最悪やで」などと文章にはしない・・・・・・・のだ(同僚には、慰めて欲しくてボヤいたかもしれない)。

 無論、和歌や漢詩など、リズムの整った韻文であれば、表出する手段としてはあった。しかし、普通の文章で、個人的な心情、感情を文章にして吐露することはまずなかった。政務として、日々文章は書かれていたが、それはあくまで「公」側に属す、業務としてのものである。これが「私」の世界へと展開するには、川尻氏が指摘するように、「記」の中でも、次第に自己の生活や心情を記すようになるところから、広がっていったものであろう。

 千年以上の時を経た現代では、実に細かい出来事、それも、極めて個人的なこと、赤裸々な精神、感情、そして日常普段の体験や出来事が無数に(無限に)ネット空間も含めて四方八方に散乱している。そして、他人がみて、なぜこれを書いて残した?と思えるようなものであっても、それぞれの各自においてなんらかの〈書いて残す動機〉があったという点では通じ合う。何より、それを実現する手軽な方法や装置(SNS等)があることが、一層、後押ししているといえるだろう。私たちにはもはや、歌や詩という韻文でもって私的な感情を吐露する方が、むしろハードルが高いものとなっている。

後編へ続く)


著者紹介

尾山 慎(おやま しん)
奈良女子大学准教授。真言宗御室派寳珠院住職。
著作に『二合仮名の研究』(和泉書院、2019)、『上代日本語表記論の構想』(花鳥社、2021)、『日本語の文字と表記 学びとその方法』(花鳥社、2022)。