第22回 
法則だけでは測れないこの「世界」(後編)
——ことばにも不規則があるという前提で考える研究 
尾山 慎

好評発売中の『日本語の文字と表記 学びとその方法』(尾山 慎)。
本書内では語り尽くせなかった、あふれる話題の数々をここに紹介します。
コラム延長戦!「文字の窓 ことばの景色」。

 

「神様には無理だ」と分かるのはなぜ?

 コラム第6回で紹介したやりとりを今一度引こう。仏とはさとりを得た者——では、さとりとは?——わかりません、なぜならわたしはさとってないから——というものである。はぐらかされているようだが、嘘は言っておらず、実に正直である。自分達の知恵知識が及ばない以上、定義ができないし、それゆえ否定もできないのである。だから、前編の話でいえばもう神を受け入れるか、反対に神を信じないのであれば、ノーコメントという態度になる道理である。もし「神にも無理だ」というのであれば、それはそれで、、それは〈神の能力をめぐる議論〉に参戦していることになる。これは「ノーコメント」とはまるで立場が違う。言い方をかえれば、「神にもわからない」と?ということだ。もちろん、「神はそれもできる」も定義といえばそうだが、信仰は、それを客観的証明ではなく、

 神が無限の初期値から発する無限パタンの運動結果を全部把捉できる、ということは、一体どういう境地なのか?あり得るのか?一体どんな知能なんだ——私にはわかりません、神にしかそれはわかりませんから——と、このように宗教的には証明(不能ではない)で、すべて預けてしまえるので、相変わらず、「全てを過去現在未来に渡って、神はすべてご存じである」と、主張することは可能だ。つまり、たとえカオティック振り子であっても、である。不確定性原理、初期値鋭敏性のせいで正確な予測が付かないというのは、科学的世界観の内側の話であるが、神の認知はそことは別あるいはその外側にあるとみれば、制限を受けない、と一応言い立てることはできる。

 映画『アベンジャーズ インフィニティー・ウォー』で活躍した魔法使いドクター・ストレンジは、サノスという強敵に世界を滅ぼされそうになったときに、時を操る魔法で1,400万605通りの未来をすべて見渡し、そのうちの一つに、勝てる方法があることを見つける(実際、その〝ある一つの未来〟によった方法で勝つ——『アベンジャーズ エンドゲーム』)。あるところを起点に未来予測をしたとしても、ごくわずかな要素の違いで、すさまじい数のパターンが有り得てしまう。その膨大な未来のパターンを魔法をつかって〝見て〟くるのだが、前編にみた大阪市立科学館のカオティック振り子の場合は、1400万通りなどというではない。何せ無限である。無限だったら見終わらないんじゃないかと思うが、というのは時間の概念があるこちら側の世界のことなので、時間に縛られない「神」には可能かもしれない——と、このように、神ならできる、という方向へだと、いくらでもいえてしまうことにお気づきだろう。むしろ、神もそこまではできないとか、神の能力はここまでだ、と定義づけるほうが、何かしら根拠が必要になるのである。

 当然ながら、上記の神の全知(無限パタンも認知可能)という主張が、さっぱり腑に落ちない、賛成しがたいという人は多くいるだろう。しかし、このように見做される「神」を信じ、納得している人を、ただちに科学的知見でもって論破し、ねじ伏せるということもまた、できない構造になっているのはおわかり頂けると思う。これぞまさしく「科学の限界」といえるのかもしれない。

 ところで日本古来の「神」は、カオティック振り子は予測できないのではないかと思う。というのは、日本の神には分からない、見えないことがあれこれと多いのである。ほかでもない神話にその根拠がある。たとえば、地上世界に降りるにあたって、わざわいがないかたかまがはらの神々があらじめ調べようとするのだが、なんと様子見と報告をさせるべくせっこう送っている。つまり、天つ神々がまします高天原からは感知できない(見聞きできない)ということだ。さらにスサノヲが高天原にいる姉のアマテラスに挨拶に行こうとしたところ、飛行の衝撃で天変地異のようなことが起こるのだが、アマテラスは、スサノヲがてっきり攻め込んでくると思い、なんと武装してこれを迎えうつ。あまつさえ、スサノヲにむかって「何故上来(なにゆえのぼりきませる)」というのである。完全に喧嘩腰で、「どういうつもりなのか」と目の前にいる弟の想いさえ、見えていない。見えていないどころか勘違いしているに近い。スサノヲも心外とばかりに大いに戸惑う。かなり、人間ぽいが、そういう意味では、たとえ初期値がわかっても、無限にあり得る運動量は見通せないのではと思ってしまう(大阪市立科学館がこちらの日本の「神」をさして、「神様でも予言できない」といったのかどうかは、不明である)。

複雑系言語学

 カオス理論に戻ると、前編に少し触れた「バタフライエフェクト」というのがある。これは、気象学者のエドワード・ローレンツによる、寓話(たとえ話)である。「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきはテキサスで竜巻を引き起こすか?」というもので、後に、他の人々によるアレンジもたくさん生まれている。ブラジルが北京になったり、蝶がアリになったり。しかし、なんでもいいのである。初期値と、発生する現象の乖離ということのたとえ話であるからだ。ローレンツはだから、気象現象の完全な予測などできない、といったのだった。確かに、いまのところ、一番正確なのはおそらく前日夜か当日朝に、その日の午前中の天気予報をみることだろう。最近はかなり正確だ。しかし、3日後、4日後——週間天気予報となると精度は当然下がる。別の要素がどんどん入り込んでくるからである。月間天気予報なるものは存在しないのも納得できる(あるとすれば月間の、平均気温、平均雨量など、予測ではないもの)。

 近時は言語学でもこういう領域がある。その名も複雑系言語学という。「言語体系を単純で透明度の高い、予測しやすい体系とは見ずに、複雑・複合的・不透明・予測が困難」ととらえるものである(加藤重広氏『言語学講義』ちくま新書、2019、p280)。規則を立て、単純化、抽象化し、それでも説明の付かないものを例外や不規則、とみるのではなく、「種々雑多な使用実績がまずあり、規則はあとからできてくる」ととらえる(加藤同書 p69)。実際、英語の不規則変化動詞は、「不規則」といいつつ、実際には日常使う語彙が多いという。不規則というわりに、身近で存在感があるということだ(実際、「不規則」とは名前だけのことで、本当に使いにくかったり、使うたびにみな間違えるというような意思疎通の不全が起きるわけではない)
 言語を複雑系としてとらえ、研究している田中久美子氏は、「自然言語の性質を、数理的な方法論を用いて「複雑系」として捉え直すことです。自然言語を「複雑系」として捉える考え方は、ことばを科学的に捉え直す基礎の一つともなり、また、工学においては、言語モデルの基礎となる機械学習技術を再考するきっかけともなると考えています」と述べている(早稲田大学基幹理工学部・研究科 HP より)。
 単に人間のことばがどういう体系なのかということを明らかにすることに留まらず、科学的に複雑系であると捉えることで、機械と言語の未来にも大きな可能性をもたらす領域である。人工知能と言語といえば ChatGPT は、いま私たちに大きな驚きをもたらすものとなっているが、こういった未来の相棒となるかもしれない技術について、複雑系言語学の研究の進展によってまた大きな飛躍が期待できるかもしれない。

 


著者紹介

尾山 慎(おやま しん)
奈良女子大学准教授。真言宗御室派寳珠院住職。
著作に『二合仮名の研究』(和泉書院、2019)、『上代日本語表記論の構想』(花鳥社、2021)、『日本語の文字と表記 学びとその方法』(花鳥社、2022)。

 

第23回 生み出され続ける言語表現
第21回 法則だけでは測れないこの「世界」(前編)——振り子の揺れはいつ、どう止まるのか?