第25回
方言のいま・むかし(前編)
尾山 慎
1000年前と変わらないひどすぎる出来事
1000年前、方言はどのようにいわれていたか。
あずまにて養はれたる人の子は舌たみてこそ物はいひけれ(拾遺集)
若うよりさる東の方の遙かなる世界に埋もれて年経ければにや、声などほとほとうちゆがみぬべく、ものうちにいふ、すこしたみたるやうにて(源氏物語)
「舌たむ」は舌足らずのような意、「うちゆがむ」は文字通り、声が歪んでいるというもの。ヒドいいいぐさであるが、このほか、「さへづる」といういい方まであって、方言は(都人にとって)鳥のさえずりみたいだというのである。もっとも、さへづるは、ふるく「さひづらふ」といって、外国の人(といっても当時はほぼ中国に限られるが)にかかる枕詞でもあった。結局は、何をいっているか分からないということである。
日本で現存する一番古い方言の記録は、『東大寺諷誦文稿』で、「毛人(東北)方言」「飛騨方言」「東国方言」という方言名が挙がっている。
昔だから、あけすけに方言のことを悪くいったり見下したりする態度について、さもありなんと思われるかもしれない。しかしこれは何も1000年の遙か昔に限った話ではないのである。
「方言札」というのがある。沖縄や鹿児島、東北であったことだが、特に沖縄が代表的かつ苛烈であった。20世紀初め(大正時代)から1970年代まで行われていた、一言でいえば方言撲滅という政策の一環で、実情は差別そのものである。標準語だけを話すべきと強制され、そのなかで〝うっかり〟方言を話した人に、罰として首から木札を下げさせるというものだ。政府からすれば、標準語普及政策の1つであったが、人権侵害の、その最も劣悪なことの1つとして記憶されなければならない。ちなみに首からかけた木札を外すには、別の、方言を話してしまった人を探すしかないという。
歴史上の出来事を、いまの価値観だけで裁けない、とはよくいうが、それにしても共感、擁護する要素があまりになさすぎる出来事ではないか。
高度成長期、地方から東京への集団就職が相次いだ。そこで、発音をはじめとする訛りが原因でからかわれ、いじめられ、自ら命を絶つという事件がいくつかあった。またあるときには、普段から方言をめぐるからかいが理由で喧嘩が絶えなかった2人の間で、最後は傷害致死事件に至ってしまったという悲惨なこともあった。標準語普及の教育とはつまり、〈方言は隠すべき悪いことば〉という発想と事実上表裏であるから、実際東京などの現場にきた、ことに若者たち(報告されている事件は、東北出身者が多い)は、つくづく自分の方言を否定的に捉えてしまうのであった。これらは、ほんの60年と少し前の、この日本で実際にあったことである。
方言がコミュニケーションの潤滑油に
上に「標準語」といったが、標準語とは普通、法的に規定されたようなものを指すので、日本語の場合は実態としては共通のことばというほうがふさわしく、以下「共通語」と称することにする。
一般に、共通語の普及は1970年代以降一気に進み、その結果、むしろ出身地の方言のほうを十分に話せない若者が現れてきた。共通語の普及教育、政策は、〈方言は悪いことばキャンペーン〉に事実上同じといったが、ある程度達成されてくると、今度は方言を隠すことができる方法の普及ということにもなってきて、前項で紹介したような痛ましい出来事は、次第に減ってはいったかと見られる(なくなった、といい切れるものではない——次項)。くわえて、時代とともに価値観も変わり、多様性への理解ということもあいまって、私たちが、そんなことがあったなんて信じがたいといまや隔世の感を抱けたりするのも、それだけの歩みを経たからに他ならない。
筆者の肌感覚ではあるが、2000年代以降には、方言に付与されていたネガティブイメージ、すなわち、隠されるべきもの、はばかられるものという側面が、後述するようなバラエティー、エンタメのジャンルの影響で、一気にポジティブに転じられて、表舞台に出てくるようになったと思う。ようするに「へぇ、そんなふうにいうんですね、面白い!」といった反応が当たり前になってきたのではないか、ということである。非方言話者も、それを真似してつかってみる、ということに抵抗が少なくなってきているようだ。
たとえば方言を全面に押し出した NHK の朝ドラ『あまちゃん』の「じぇじぇじぇ」というのが流行語になったことを覚えている人も多いだろう。選挙の時、立候補者がその地方での第一声はそこの方言の挨拶ことばで始めるなどというのもこういった流れの1つだ。そして方言を話す側の地元の人々も、いわばその選挙パフォーマンスとしての〝へたくそな方言〟を歓迎するのである。コミュニケーションの軋轢になりうることが、潤滑油に転じられているともいえ、これは一種の、文化・文明的進歩、多様性価値観の成熟ともいえるのではないだろうか。
お笑い芸人のサンドウィッチマンの試みも挙げておこう。いまや発売後数分でチケットが完売になるという、テレビで見ない日はないともいえる超人気芸人だが、全国ライブツアーで、その土地の方言をつかったコントを1ついれる、というお約束がある。サンドウィッチマンの2人は宮城県出身の仙台方言話者ということだが、たとえば広島上演のときは、いくつかあるコントのうちの特にアドリブ中心のネタのひとつを、広島方言でやるわけである。そうすると、当然、詰まったり、うまくいえなかったり、ときどき、仙台弁になってしまったりする。そのハプニング的な場面にこそ、観客は爆笑し、喝采を送る。
秋田県出身の漫才師・ねじは様々な映画、漫画などの名セリフを秋田弁でいうのが定番のネタになっている。民謡歌手の朝倉さやは、山形弁で様々な名曲をカバーする。これらは、全部、youtube で手軽に見られる。お笑いや歌でなくても、方言をあつかうチャンネルはたくさんあり、実際の発音を知りたいときに、とても便利だ。方言が、これほどにポジティブな形で身近になったのは、さしあたり歓迎すべきことだろうと思う。
ということで、方言をめぐるこういった昨今のありようについて、あらためていい流れだと筆者はおもっている。過去の痛ましいことをおもえばなおさらだ。そしてもう一つ、流れに掉さすこととして、「バーチャル方言」、「方言男子/女子」、「方言コスプレ」といったこともあげられるだろう。「じぇじぇじぇ」はフィクションのドラマ中のセリフだからバーチャル方言というもので、〝それっぽいけど、実は存在しないつくられた方言〟というやつである。一時はやった『妖怪ウォッチ』にでてくるキャラ、コマさんは、岡山方言「もんげー」をつかう。一方で、他の地方の方言「ずら」もつかい、結果、「もんげー!びっくりしたずら」みたいことをいうのであるが、現実にはこういう方言はない。しかし、方言で話している、ということはこれ以上無くよく伝わるわけで、キャラ付けとしては分かりやすい。
方言をめぐる問題はなくなっていない
先に、「へたくそな方言を歓迎し、喝采を送る」といった。表の場面、ハレの場面ではそうかもしれないが、一歩 SNS の世界を覗いてみると、なかなかに、不満は渦巻いている。従って、前節で述べたところに対し、「へたくそ方言を歓迎?拍手喝采?とんでもないね!」と忌まわしい記憶を蘇らせた人もいるかもしれない。
筆者の同年代の友達(40代後半)に、横浜生まれ横浜育ちの人がいる。大学生時代——つまり18歳から、初めて生まれ育った地元を離れて4年間だけ関西に住んだが、住み始めて1年を過ぎた頃から、毎日暮らしているので、自然と関西弁特有の語(いい回し)が口をついて出るようになった。ところがアクセントが本来の関西弁とは違ったため、しばしばネイティブ関西人の友人や先輩にそれを笑われたり、真似をされたりした。またご丁寧に〝指導〟もされたらしい。それが幾度も繰り返されたことが、なかなかにショッキングというか、屈辱的というか、恥ずかしかった、という。だから関西弁特有の語は、関西人の前ではもう絶対に出さないようにしていると苦々しく告白されたことがあった。当の関西人である筆者としてはその話を聞いて何ともいいようがなく、胸が痛かった。やはり、公然と、自分が口にすることばを笑いものにされるというのが、相手は悪気がなさそうなだけに、余計にいわれた方は傷が深いということなのだろう。
たとえばネットで「関西弁 マウント」「似非関西弁 嫌」などで検索してみてほしい。関西人が、「似非関西弁」を糾弾するのはウザい、「発音違うとかすぐ弄ってくる」などなど、そういう不満の吐露に出くわす。同時に、今度は関西人による「気持ち悪い関西弁もどき、やめてくれ」というのも同じくらい呟かれていたりする。ということで、結構、その界隈では相互に不満が吹き荒れているようなのである。そしておそらくそれは〝異常事態〟でもなんでもなく、方言をめぐる軋轢とはそもそも、こういうものなのだろうと思う。それで普通、と納まり返っているわけにもいかないが、まずはそういったリアルな実態を知っておく必要はあるだろう。
方言をめぐって、事情は半世紀前と変わったのは事実だが、メジャー(強者といってもいいかもしれないが)なるものがあるかぎり、不満や軋轢がなくなるわけではないことは、ちょっと〝路地裏〟を覗けばすぐ伺えるのである。この点、もう少しつっこんで考えてみよう。
1979(昭和54)年「第3回世界宗教者平和会議」で、曹洞宗の僧侶が、現在の日本に差別はないという趣旨のことを再三発言し、議事録にまでそのように書かせるという大事件があった。席上では、「差別はない」のみならず、差別を問題にしたい人が騒いでいるだけ、とまで放言したというからもう信じがたい話である——が、残念ながらこれは事実の出来事だ。「もう差別は存在しない」といい切る恐ろしき無知。これと同じように、方言をめぐる差別、軋轢は現在なくなった、とはとてもいえるものではない。今日も、どこかで誰かが、方言のことでつらい思い、肩身の狭い思いをしているかもしれない。事実、前述のように、少なくとも SNS 界隈のあちこちで、それを目にする。前項で、方言をめぐる前向きな捉え方、取り上げ方を紹介した。かつてをおもえばいい兆候だと述べたが、「いい兆候」は、方言への差別の歴史を忘却していい理由にはならないし、現在はもうなくなったという幻想に遊んでよい免罪符にもならない。
方言自体は変わりゆく、かつてと違う事情もたくさんある。しかし、相変わらず、無意識に軋轢はあちらこちらで起こりうることだ。たとえそれが小さな小さな出来事だとしても、小さな火の粉が大火事に繋がることがあるように、ひどい事態に陥ってしまう可能性がある。無意識に、とはつまり悪意がないということになるのだろうし、そういうことの方がむしろ多いのかもしれない。が、じゃあしょうがないよね、悪意がないんだし、ではダメだ。件の横浜の友人も、「その間違うた関西弁を直したるわ」——といった具合に「笑い」という形にのせていわれるのがまた、却ってキツかったといっていた。「うまく話せるようになれよ ww」と見下されているのと一緒だからだろう。親切にしているとさえ思っている節がある。が、別に関西弁をマスターしたいとも思っていない人からすれば、とんだ大きな御世話だ。
ことば、方言をめぐる(一見したところは)小さな出来事が、大きな軋轢をもたらしてしまうことは、依然としてありうるのだ。だからこそ、一人一人が覚えておく必要があるだろう。
ことばが違うことを嗤われる、というのは、ようは異物扱いをされているということだ。仲間じゃないと線引きされる拒絶感。そんな屈辱感や疎外感がいまひとつピンとこないという人、そんな大げさな……!と思う人は、外国にいって、日本語(母語)を嗤われる、けなされる、弄られるということを想像してみてほしい。〝自分のことば〟というのは、自然に発せられて、しかもそれしかないものだからこそ、おおよそ耐えがたいものに違いない。その抑圧は、結局のところ人格否定ひいては人権無視と同じではないかと思う。
今日いまこの瞬間も、どこかでそういうことが起きているかもしれない。そのやるせなさたるや、ただただ痛ましく残念でしかないが、せめて、一人一人が過去の出来事を知って、かついまとこれからに対して意識を高く持ち続けるしかない。そうすることでしか、変えることはできない。
(後編へ続く)
著者紹介
尾山 慎(おやま しん)
奈良女子大学准教授。真言宗御室派寳珠院住職。
著作に『二合仮名の研究』(和泉書院、2019)、『上代日本語表記論の構想』(花鳥社、2021)、『日本語の文字と表記 学びとその方法』(花鳥社、2022)。