第26回
方言のいま・むかし(後編)
尾山 慎
コラム延長戦!「文字の窓 ことばの景色」。
「あんたのことばも方言だけど」
筆者の勤務校、奈良女子大学には全国各都道府県から学生が集まってくる。実際に聞いた、方言をめぐる話で、こんなことがあった。当事者達が、「笑い話」として筆者に紹介してくれたことである——中国地方某県の出身だったAさんは、大学に入ってから友人になったBさんと実は同郷だと知り、たちまち仲良くなった。そしてその2人と共通の友達だったCさんは地元奈良出身である。あるとき、AさんとBさんが存分に我が郷里の方言で話しているところにやってきたCさんが笑いながらいった——「あんたら!めっちゃ訛ってるやん!」。Cさんにとって、いままでこれほど2人が方言だけで会話しているのを聞いたことがなかった、ということもあったらしい。しかし、いわれた2人は冷静に返す刀でいった、「いや、あんたもね!」と。これは、なかなかとっさにできる返しではないと思う。奈良女子大学は奈良県奈良市、大阪からも京都からも電車で40分ほどのところに位置する、もろに、関西弁のエリアである。地元奈良方言話者Cさんは、自分の話すことばを「訛っている」とは思っていないわけである。共通語と違うことを知ってはいても。奈良県という、いうなれば〝ホーム〟、そのほかでもない奈良県民に訛りを指摘されて──しかも一般に方言の強者とされる関西弁に対して、即座に、「あんたもね!」といい返せるとは、普段の親しさもあってのことにせよ、なかなかだとおもうが、これは実に、考えさせられる話である。たしかに【メッチャ ナマッテルヤン】はどこからどうみても方言そのものである。当のCさんは、投げ返された「あんたもね」が一瞬よくわからなかったそうだ。それくらい、日常普段の自分のことばは無色透明だと思ってしまうのだろう。それはそれで、当たり前ではあるのだが。
仲がいい3人の笑い話としては、ただこれで終わりのことである。実際、筆者にそうして話してくれるくらいだから、本当に3人ともにわだかまりはないのだろう。しかし、方言をめぐる悲しい出来事は、実はこういった小さなところからこそ始まる可能性がある。前回述べた通り、1000年前の都人は、自分たち以外のことばはすべておかしい、と決めつけていた。つまり、あくまでこちら側が、〝あるべき「正」〟なのだ。非常に単純、そして単純すぎるがゆえに、都の域外の人にとっては残酷な価値観である。
自身を無標(ディフォルト)と考えやすい、特に、メジャーとされる方言話者、共通語話者は、その危うい境界線に結局1000年前から実はずっと立っているのだろう。「方言札」のような〝惨劇〟そして高度成長期の〝悲劇〟はもう繰り返されてほしくないが、しかし、少なくとも、それらの出来事は、ほんのすぐ、ついこのあいだ、1000年来変わらない〝都人〟のメンタリティとして、より無残に発揮されてしまったと知っておかねばならない。
「残したい方言」はない
「残したい方言」なんて、ない。というと「えっ」と思うだろう。金田一春彦氏は、しかし、「残したい方言」などというのは賛同できない、といっている(『金田一春彦日本語セミナー4 方言の世界』筑摩書房)。理由はシンプルで、「残らなくていい方言」なんてないからであり、ということは「残したい方言」というのもない、というわけだ——なるほど、と思う。ただ、実際にことごとく残すのは難しいだろう。ことばは変わるものだし、方言もまた変わりゆくからだ。
筆者は大阪生まれ大阪育ちだが、自分で大阪弁とおもっているこのことばはほんとうに大阪弁なのだろうか?とふと思ったことがある。高校生の頃、国語の授業で方言のことを考える時間があり、家に時々くる知り合いで、80過ぎの生粋の大阪人であるおじいさんがいたのだが、そういえばあの人と自分は同じ大阪弁だといえるだろうか?と思った。「ほーでっか(そうですか)」「あんじょうたのんまっせ(よろしくお願いしますね)」「ほなおおきに」「明日、孫と野球見に行きまんねん」とは、自分はいってないよなぁ、と自問する。
大学に入るとまたいろんな地方出身の人と知り合って、大阪弁というのを意識する。が、子どものころからまぎれもなく、典型的な大阪弁をしゃべっているといえるのか、やはりよくわからなくなってきた。自分が話しているのは、大阪弁なのか——?
答えをいうなら、ずばり、「大阪弁である」でよいのだと思う。そう自覚するしかない、ともいえるのだが。共時的(第10回、11回参照)にとらえて、「私」を含めていま、この地で話されているのが大阪弁ということでいいし、そもそも、そういうしかないはずだ。いつの時代であっても、そのときのそれが大阪弁だと。変わっていくことを含めてそういうしかない。かつてと違うところを挙げて、昔の大阪弁と違う、ということはできるけれども、だからどうしたというのだ、ともいえてしまわないか。
自分が子どもの頃、40数年前の当時に80代だったおじいさんに、仮にもしいま、「お前のことばは大阪弁とはゆえんぞ」といわれても困ってしまう。そして筆者も、40年後、大阪の子供たちにむかって、「君らが話してんのは大阪弁とはゆえんなァ」などという気にもなれない。そのときどき、話されているのがすなわち「○○弁」だ、としかいい得ないのではないか。これは、〈日本語は乱れているか〉を巡る議論とよく似た構図になるところがある。つまり、かつてとは違うところがあるそれを、変わってしまった、おかしい、乱れている、いまのは偽物だなどと糾弾するか、それともこれこそが、まさに、いまの「日本語」だ——そういうしかないではないかという、この両者のせめぎ合いの構図である。
後者の「いま話されているのが大阪弁」という捉え方は、「古きよき方言を守りたい」「変わりゆくものを押しとどめたい」という前者の考えと、軋轢を起こす可能性はある。上に述べた筆者の捉え方であれば、「もうそんないい方しないし、そして、そんなふうにいわなくなったのがいまの大阪弁、それでいいじゃないですか」といっていることになるので、文化の保護・伝承という観点に照らせば、なんと脳天気なとあきれられるかもしれない。しかし、方言がどんどん変わっていくのはあなたたちが乱しているからだ、と糾弾されても困る。ということはつまり、これはそもそもが、反駁し合う関係にはない話ということではないだろうか。
保存こそ最善、とは限らない
結局、実態を受け入れるということと、文化として保存していく、というその両輪のバランスあるいは並行なのだと思う。製造生産に関わる機械化ということひとつをとってみても、時代の流れで目まぐるしく移り変わる一方、古くからの人の手による技術を保存するという努力もなされることがある。が、両者が即座に矛盾しあうというわけではないだろう。たとえば活版印刷はその設備とともに急速に失われつつある技術だが、保存の努力はなされているし、それで刷った名刺など、文字がちょっと圧でくぼんでいてなかなか味がある。そうやって活版の活字やその技術の保存に従事する人たちが、では、いまや主流のデジタルデータによる印刷を撲滅して、ふたたびこの世を活版印刷で席巻してやろうと思っているだろうか。そういうわけではないはずで、時代の流れと、変わりゆくその中で愛着あるものを保存しようという努力の、その共存というべき様態だろう。かように複数の流れとして受けとめる、ということでいいのではないか。もちろんことばは目に見えないので、物品のようにはいかないかもしれないが、変わりゆくことと、保存されることとが、反駁し合わずに共存できる道があればと思う。いまはビデオや音声データなどで詳細に、それこそデジタル保存ができる。実際に話す人たちとそのことばは変わっていく。だから、いまある技術と知恵で、残せるものは残していく。
保存すべし、保存こそが使命で変化を認めないという一辺倒ではよくない。ことばは変わる。変わっていくこともまた紛れもない歴史的事実だからこそ、そう思うのである。
加藤重広氏は、危機言語(絶滅が憂慮される言語)の保存について、保存・伝承することが絶対善とのみ考える危うさを指摘している(『ことばの科学』ひつじ書房)。たとえば民族固有のことばのほかに、英語を学び、その英語のおかげで仕事を得て、家族を養っているという人たちがいたとする。その人たちはもう日々のことばが英語にシフトしており、固有語を話す機会がなくなってきた。その人たちにむかって、あなたたちは民族固有のことばと伝統を守るべきだ(=英語に乗り換えるなんてやめろ)、と迫るのはどうだろう?これは非常に問題ではないか。〝危機言語は守られるべき〟とのいわば純粋な使命感だけによって発せられているとしても、その使命感こそがいわば一方的だし、そもそもそう迫るだけではあまりに無責任であろう。なぜ家族と生活を犠牲にしてまで危機言語を保全せよと、外側から命じられなければならないのか。もし本当に実現したいなら、十分な準備のもと、方法の模索と、政策や教育にまで及ぶ視野をもって、なにより当事者達が納得して手に手を取り合えるような話し合いを重ねる、それしかないはずなのだ。物心両面のサポートも必要だろう。ただただ外野から保存を叫ぶだけでは、単なる暴力にさえなりかねない。
桂文枝(六代)の創作落語に、大阪心斎橋で江戸時代の天明年間からある呉服屋がソウルバーに、そして130年前からある老舗足袋屋が、イタリア料理店に転向するという噺がある(『暖簾』)。二つの店の若い店主は友人同士、長い歴史の店の未来を考えて、商売替えをしようというわけだ。ストーリーのメインは呉服屋の顛末のほうで、ついに転向したそのソウルバーには、そのままかつての呉服屋の暖簾をかける——つまり比喩ではなく、文字通り「暖簾を守った」というのがオチの話なのであるが、足袋屋のほうの話に、象徴的なくだりがある。店を閉めようとしたら、案の定やめたらあかん、伝統はまもらなあかんという人がいた。しかし、若いその足袋屋の店主はいう、そういう人らに限って、1年に1回買いにくるかこないか、だと。もう足袋は日本人の普段着ではなくなった、時代は変わったのだから、自分も生きていくために新しいことがしたい、だから夢だったイタリア料理屋を開きたい、というのだ。
方法も提案せずに、資金援助をするわけでもなく、ただ第三者的立場から、危機言語を守らねばならないとだけ叫ぶのは、まるでこの足袋屋の若店主に向かって「今後おたくが飢えて路頭に迷っても知りませんが、足袋屋だけは決して閉めないように。あなたたちは和装の伝統を守るべきです」と迫るのと、同じような構図であろう。
方言の保存・伝承ということも、実は世界の危機言語に向き合うのと似た危うい構造があり得る。これを、知っておく意味は小さくない。
最近、方言で不愉快な思いをする、させるということについて「ダイハラ」(ダイアレクト・ハラスメント)なることばがあるという。これを聞くと、「またなんでもハラスメントにして」、という人もいるかもしれない。しかし、前回のコラムで触れた通り、方言をめぐっては、生死にかかわるような痛ましい事件があったのは事実である。ハラスメントと括ってなづけることについて、あれもこれもと、もううんざりするようなところもあるかもしれないが、やはり意味もあるはずである。実際、セクハラ、パワハラということばをいま仮になくしてしまったら(ない時代に舞い戻ってしまったら、ということでもよい)、いったいどういう困ったことが起きるか。
そのことに、次回は触れてみたいと思う。
著者紹介
尾山 慎(おやま しん)
奈良女子大学准教授。真言宗御室派寳珠院住職。
著作に『二合仮名の研究』(和泉書院、2019)、『上代日本語表記論の構想』(花鳥社、2021)、『日本語の文字と表記 学びとその方法』(花鳥社、2022)。