シーズン2 第22回
エモいとメロい(前編)
尾山 慎
コラム延長戦!「文字の窓 ことばの景色」。

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エモいの語源

(生成 AI による)
「夕焼け、エモい」
こういう表現を、聞いたこと、見たことはあるだろうか。古い写真、卒業式、昔聴いた歌などに触れて、懐かしいような、切ないような、ひとことで説明しにくい感情が湧いたときに、この「エモい」は使われる。こうしたことばの語源を探るのは、なかなか難しい。ある日ある時、だれか一人が作り、それがそのまま広がったとはかぎらないからである。この「エモい」についても、おおもとには英語の emotional があると考えられているが、英語を単純に縮めて「い」を付けた、とまでは言い切れない。それとは別に、音楽用語の「エモ」があった可能性が高いというのも有力らしい。「エモ(Emo)」は、1980年代のアメリカで、ハードコア・パンクから派生した音楽を指すことばとして生まれた。感情を前面に出した歌詞や、胸に迫る旋律を特徴とする音楽である。日本でも、まずは「エモい曲」「この展開がエモい」といった形で、音楽を語る場から使われ始めたとみられる。その後、対象は音楽の外へ広がった。夕暮れの校舎、使い捨てカメラの写真、子どものころに遊んだ公園、長く離れていた二人の再会——。音楽ジャンルの「エモ」と直接関係があるかどうかではなく、何かに触れて心が動いた、その感じそのものを「エモい」と呼ぶようになったというのだ。つまりは意味が拡張した。また、筆者は個人的にあまり賛成ではないのだが、「えも言われぬ」が語源だという説明も見かける。たしかに、ことばにできない感情という意味ではよく似ている。ただし、これは語源そのものというより、あとから重なった連想と見る方がよさそうである。「エモ」という外来語に、日本語の形容詞らしい「い」が付き、日本語のなかで意味を広げていった――ひとまずは、そのように考えておくのが穏当だろう。
ところでこの「エモい」、もはや新しい流行語とも言いにくいらしい。
もう流行りことばでもないらしい
「エモい」は、2016年には「三省堂 辞書を編む人が選ぶ「今年の新語2016」」で2位に選ばれている。遅くとも2006年には用例が報告されていたというから、じつはそれほど新しいことばでもない。とはいえ、少し前までは、いかにも若者が使う流行語という印象があった。ところが、いまの中高生に聞くと(筆者の息子がこの年代)、「自分では使わない」どころか、もはやよく知らないという答えが返ってくる。大学生でも、それほど事情は変わらない。もちろん、身のまわりの学生に尋ねただけで、若者全体について断定することはできないけれども、「いま若者のあいだで流行していることば」として紹介するのは、すでに少しズレているようではある。
実際、2025年4月に行われた LINE リサーチの調査で、女子高校生が「今年いちばん流行りそう」と答えたことばは、「エッホエッホ」「〇〇界隈」「ビジュイイじゃん」「メロい」(これは後編で取り上げる)などであった。「エモい」は上位には現れないわけである。しかも、前年に流行すると予想されたことばの多くが、翌年にはランキング外になっている。流行語の入れ替わりは、かなり速い(だから流行語なのだろうが)。
「エモい」は消えてしまったわけではないようだが、ただ、かつてこのことばを使っていた人たちと一緒に年を取り、若者語の中心からは離れつつあるのかもしれない。十数年以上前から用例があるとはいえ、結局流行語として前面に出ていた期間は、案外短かったことになる。けれども、ことばが古びても、何かに触れて心を動かされることまでがなくなるわけではない。そもそも、昔の人だって、そのような心の動きを「をかし」や「あはれ」ということばで表そうとしていたのである。
をかしとあはれ——どう感じたかを伝える、伝えたい
筆者は、「エモい」なることばを初めて知ったとき、とっさに、古語の「あはれ」と思った(筆者のみならず、言語研究者としてそう考える人は周りにも多かった)。現代語の「あわれ」からは、悲しさや同情がまず思い浮かぶが、古語の「あはれ」が表すのは悲哀だけではない。喜び、愛情、驚き、懐かしさなども含め、物事に触れてしみじみと心が動くことを広く表した。そしてもちろん、「あはれ」といえば「をかし」であるが、「をかし」は、興味深い、心ひかれる、美しい、かわいらしい、時にはおもしろくて笑いたくなる、といった明るい興趣を表すことが多い。そこから、文学史ではしばしば、『枕草子』は「をかし」の文学、『源氏物語』は「あはれ」の文学だと説明されてきた。対象の外側から、その姿のよさやおもしろさを見いだす「をかし」と、対象に深く心を動かされる「あはれ」という対照である。
もっとも、実際の古典は、それほどきれいに二つに分かれているわけではない。『枕草子』の「秋は夕暮れ」だけを見ても、ねぐらへ急ぐ烏には「あはれ」、空に小さく見える雁の列には「をかし」とある。一つの夕暮れのなかに、「あはれ」と「をかし」がともに現れている。『源氏物語』を「もののあはれ」の文学として捉えたのは、平安時代の作者自身なのではなく、はるか後の江戸時代に生きた本居宣長であった。宣長は著作『源氏物語玉の小櫛』で「もののあはれを知る」ことを物語の根本に置き、善悪の教訓を読み取ろうとする従来(江戸時代当時)の見方とは異なる文学観を示した。
「エモい」は現代版「あはれ」である、と単純に置き換えることはできないかもしれないが、通じるところはあると思う。夕暮れの教室を見て、「西の空から日が差している」と説明するだけでは、その人が受け取ったもの、湧き上がった感慨までは伝わらない。そこに寂しさや懐かしさ、美しさを感じたことも伝えたい。けれども、その気持ちは一つの感情名には収まりにくい。そこで、「エモい」と発するのである。
「をかし」や「あはれ」も、「エモい」も、対象がどのようなものであるかだけでなく、それに触れた自分の心がどう動いたかを伝えることばである。感情を細かく説明せず、一語にまとめることは、必ずしも感情が乏しいということではない。むしろ、「私はここに何かを感じた。あなたにも、この感じが伝わるだろうか」と、心の動きを誰かに手渡そうとしているともいえる。
「エモい」という「流行語」は、今後はもうあまり永らえないかもしれない。しかし、見たものだけでなく、それをどう感じたかまで伝えたいという欲求は、『枕草子』や『源氏物語』の時代から、大きく変わってはいない。それはこれからも、そうであるだろう。
著者紹介
尾山 慎(おやま しん)
奈良女子大学教授。真言宗御室派寳珠院住職。
著作に『二合仮名の研究』(和泉書院、2019)、『上代日本語表記論の構想』(花鳥社、2021)、『日本語の文字と表記 学びとその方法』(花鳥社、2022)、『文字の窓 ことばの景色』(花鳥社、2026)。

