学界展望 日本語の歴史的研究 2026年1月〜6月
(川島 拓馬)
目次
4.専門知を広める、あるいはまとめる
研究には新規性が必要だとしばしば言われる。それは当然のことであるが、一方で、既存の研究成果(あるいはそれに近いもの)であっても、それを今まで以上に広く届くようにしたり、より参照しやすくしたりすることは、学界にとって有意義なことだと思われる。今期にはそのような可能性を感じさせる成果が幾つか見られたため、ここで紹介したい。
今期で注目すべきトピックとして、田中草大『古文と漢文—書き言葉の日本語史—』(筑摩書房、3月)*と釘貫亨『日本語の書き言葉はどう変わってきたか—せめぎ合う漢字・ひらがな・カタカナ—』(中央公論新社、4月)*という、日本語史を主たるテーマとする新書が相次いで刊行されたことが挙げられる。奇しくも両書ともタイトルに「書き言葉」を冠しており、日本語の文章史・文体史について様々な事例を挙げて解説を行っている。両書には共通して述べられる部分もあるが、著者が力点を置くところが異なっており、読み比べてみるのも興味深い。ごく簡単にまとめれば、文体をメインとしつつ関連する事象についても分かりやすく説き起こした前者、表記体をベースとして歴史的に見られる種々の文章実践について述べた後者と言えようか。前者の副題に「古文と漢文」とあるように、日本語史への連続性が大きいものの一つとして学校教育における「古典」が挙げられるだろう。古典教育では十分に扱いきれない日本語の歴史にまつわる不思議さ・面白さへと扉を開く入口として、両書が利用されることを願ってやまない。
また朝倉書店の「日本語ライブラリー」の日本語史編として、木村義之(編著)・石川創・阿久津智・中川秀太(著)『大正・昭和前期の日本語』(3月)*、矢田勉(編著)・竹村明日香・山田昇平・森勇太(著)『室町時代の日本語』(4月)*、木村一(編著)・陳力衛・常盤智子・服部隆(著)『明治時代の日本語』(6月)*の3冊が刊行された。各時代における日本語の様相をテーマごとに解説したものであり、簡潔にして要を得た書きぶりで読みやすい。学生が自学のため参照する上でも打ってつけだろう。今後も「院政期・鎌倉時代」「江戸時代」の刊行が予定されているようで、大いに期待したい。
野山広・朝日祥之・横山詔一・竹本直也『日本の識字率はほんとうに高いのか?—「当たり前」を問い直すために—』(文学通信、2月)*も挙げておきたい。件の言説は1948年に行われた識字調査の結果を基としており、一般に広まっているものと思われる。しかしその解釈には問題もあるとして、調査の内実も踏まえて解説を行っている。併せて、これからの識字の問題を考えていくための論点が多数提示されており、社会的意義も大きいと言える。
林淳子「日本語教育における文法史知識の有用性—ノダ文を例に—」(『日本語教育研究』74、3月)*は、日本語教育と文法史研究がいずれも話し言葉を志向するものだとして、両者の関係性や教育への貢献の可能性について述べたもの。ノ有り疑問文の「使いにくさ」がその歴史的発達の経緯と関連するとの指摘は興味深く、ことばへの洞察を深めることが教育上の説明を豊かにする上で重要なのだと理解した。
稿者が接したのは日本語の歴史に関わる最新の成果であるが、やがて膨大な「先行研究」の一部となってゆく。これらは将来的に、もはや研究の前提や常識として扱われるようになったり、(今はまだ存在しない)別の方法で検証されたり、あるいは部分的に修正されたり覆されたりするかもしれない。そのような営みがこれから先も続いていくことは大きな幸いであると、この半年間の研究を集め、読み進めていく中で実感するところとなった。
美学研究者の銭清弘氏は、著書『芸術をカテゴライズすることについて—批評とジャンルの哲学—』(慶應義塾大学出版会、2025年)において「批評の意義は判断の柔軟性を養うことにある」と述べている。芸術作品について語ったり、他人の語りに耳を傾けたりすることは、世界の複雑さに向き合うための観点をもたらす点で有益だという。当該書は芸術作品の鑑賞とその批評について論じたものだが、私見では、研究活動に対しても近いことが言えるのではないかと考えている。研究成果は生み出してそれで終わりでないことは、先に述べた通りである。学界の動向を見渡す展望記事も、そのように研究活動を進展させる役割を期待されているのだろう。同書では批評を「鑑賞のガイド」と提案している。本展望が「良きガイド」であるとはとても言えないが、一つ一つの成果に対して柔軟に向き合うことにつながる、多様な観点の一つを提供するものとして無駄にはならないことを願いたい。
取り上げるべき研究はまだ多く残っているが、遺憾ながらすべてを紹介することは叶わなかった。また稿者の力不足により、十分な理解に至っていないものもあると思われる。どうかご寛恕を願う次第である。併せて今回、日本語史研究の豊穣な実りを見渡す機会をいただいたこと、感謝申し上げる。
川島拓馬(かわしま・たくま)……論文に「逆接形式「くせに」の成立と展開」(『国語国文』88-4)*、「接続表現とテクストジャンル—近代の演説を中心に—」(論究日本近代語 第4集』勉誠社)*、「古代語における「限り」の用法と構文的特徴」(『日本語文法史研究8』ひつじ書房、近刊)ほか
学会展望 日本語の歴史的研究
「2026年7月〜12月」は、2027年7月頃掲載予定です。
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