軍記物語講座の始発◆シリーズ企画会議を公開

3. 太平記の思想とは

松尾 次に、思想史はどうするか。
小秋元 ほぼ同時代に『神皇正統記』が存在していて、これはかなり思想的なものを押し出している作品ですよね。だから正統記のようなものと対照したときに、太平記の思想のあり方がどういうものなのかということは、論じることができると思います。
松尾 私は2014年に、『神皇正統記』の影印を大学の記念出版(『神皇正統記 職原抄』朝倉書店、2014年)で出すのに解説を書く必要があったんだけど、はっきり言うと『神皇正統記』の諸本研究って遅れているんだよね。それには理由があって、鍵になるテキストが有名な神社に伝来して来たので、学者だけで勝手には論じにくいところがあって。でも、今の学問レベルからいうと『神皇正統記』の諸本研究は、戦前の水準から殆ど進んでいないと言うしかない。奥書の解釈とか、本の年代とかね、そういうことに関しては。テキスト論がまだそういう状態なのに、それに基づいて思想を言われてもちょっと怖い。じゃあテキスト論を、今から誰が一生賭けてやれるかっていう話ですけど。結局、古典大系が校訂本としてはいちばんよく使われていて、あれ以上の作業は今できないっていうか、個人では。
小秋元 少し前、私は雲景未来記の論文を書いて、『アナホリッシュ国文学』(響文社)に寄稿したのですが、いまだに刊行されていません。そこで書いたことは、雲景未来記は神道のことに触れつつ歴史観を展開し、三種神器の存在がいかに重要かということを論じるのですけれども、結局のところ、太平記にとって、それは本質的な思想ではないだろうということです。そもそも、太平記にとって思想や宗教は、作品を支えるものではないようです。それよりも、作品を執筆する際の言語レベルの問題として、思想や宗教を考えていった方がよいのではないかと思います。
松尾 表現の。
小秋元 はい。そういうものの中のひとつに宋代の学問もあるだろうし、古典的な漢籍の問題もあるし、それから宗教的なことがらもあるわけです。それらは作者にとって表現を生みだす教養として括られるものと私は感じていて、太平記の思想は、って言われるとちょっと。
松尾 引いちゃう?
小秋元 はい、答えに困るというイメージがあります。
松尾 他の2人はどうですか、今のお話。
北村 そうですね、作品を支えるものではないとまでは思っていませんでした。ただ、太平記の思想って、その時代の先端を行っているとか、そういうものではないな、と思ってはいるんです。新しいものを世に示そうとするのではなくて、受け継ぐべきもの、儒教思想であったりとか、そういうものを素直に受け継いで、その上に物語をのせているという印象です。
松尾 その時代の常識というか、ある程度の知識人の常識の線くらいで。
北村 はい。
松尾 和田さん、どうですか。
和田 私も、そんなに特徴的なものは今までに感じたことはないですね。思想の問題とは少しずれるのかもしれないですけれど、一番知りたいなと思っているのは、巻四十の禅と天台の問題とか。
松尾 何の問題?
和田 禅と天台の争いのことに興味はあるんですけど、思想史っていった場合、ちょっとよく分からないです。
松尾 一時期、鈴木登美恵さんが、「易の思想が」って、しきりにおっしゃってたじゃない? あれはどうですか。太平記にはかなり深く食い込んでるみたいな。
小秋元 そうですね、太平記は周易には相当関心があったようです。鈴木先生は軍記・語り物研究会の1996年度大会で「太平記と周易」という発表をされています。太平記内のさまざまな設定は易の知識にもとづいているという内容です。論文にはなっていません。そのとき、読みが深すぎて検討が必要だという感想をもちました。
和田 まだ学部生だったんで伺っていないんですけど。その後に、なんか後醍醐の死の部分が易と関係があるという発表をされてますね、『軍記と語り物』48号(2012年3月)の発表要旨にあったと思います。
松尾 じゃあそんなに、易について項目立てるほどではないですかね。
小秋元 そうですね。
松尾 不勉強なのを棚に上げて言うんだけど、今の話を聞いて、私も実は、太平記ってそんなにね、思想・史観っていうほどのものなのか、ちょっと古い言い方で言えば、ドキュメンタリータッチの動乱記なんじゃないか、と思ってた。
小秋元 太平記の作者が南北朝時代の最高の知識人であることは間違いありません。ですが、強烈な思想の持ち主ではないので、むしろ、室町時代の第一級の知識人が、どういう知識の基盤をもち、そこからどのようにして言葉を繰り出すのかという問題を追究すべきではないでしょうか。

4. 歴史学と文学との距離感

松尾 じゃあ思想史の項目はもう外していいですか。日本史の方はどうでしょう。私はこの頃平家物語の研究が、あまりにも日本史に抱きつきすぎてる、文学の研究ってそういうもんなのかって思う時が多いんですよ。太平記の場合はどうだろう。『南朝研究の最前線』(呉座勇一編、洋泉社歴史新書、2016年)が、南朝の研究はこんなに変わったって言ってるけど、日本史の項目も立てたほうがいいですかね。あるいはもう立てなくてもいいか、それとも1本じゃ足りないとか。
北村 太平記の論集として、たとえば15年先の学部生とか、院生に向けてっていうふうに考えたときに、現在の日本史の研究は、15年先、20年先には賞味期限が切れてしまわないだろうか、と少し不安を感じます。今、次々に新しいことが言われつつあるし、変わってきているんだと思うんです。かつての日本史研究者は、仕方がないのかもしれませんが、太平記に書かれていることに引きずられて歴史像を作っていたところがあって。そうやって作りあげられた歴史研究を文学研究者が参考にして、それで太平記を読もうとして、何かこう堂々巡りをしている、というところがあったんだろうと思うんですね。近年そのことが大いに反省されているようで、歴史研究が今後どうなっていくか、まったく予想がつきません。
松尾 日本史の人は、10年先にこうなっているかも知れないなんて書き方は、できないものね。
北村 はい。ですから、未来の太平記研究のために何か残そうとするとき、歴史学に関してはとくに耐用年数が気にかかります。
松尾 太平記は、この前の大戦の時に悪く利用された経歴があるので、近世近代の享受の問題を思想史の人に書いて貰う、日本史の人には今後の研究のさきがけになりそうなテーマを書いて貰う、という案は、編者として未だ捨てがたいんですよ。暫く考えさせて貰えますか。