第15回
言語における「文字」の位置 その③
——方広寺梵鐘銘文事件と「マルハラ」
尾山 慎
「マルハラ」なるものの構造
最近「マルハラ」という言葉を目に(耳に)した方も多いのではないだろうか。
SNSなどで、送信された文章(主には短いフレーズ)に、句点「。」(マル)が付いていると、冷たい、突き放されたようなかんじがする、というものだ。たとえば「わかりました」と「わかりました。」の違いである。これに圧を感じたり、不安、不快になる人にとっては、「。(マル)ハラスメント」というわけだ。
筆者としては、このケースはいわゆる「ハラスメント」とはちょっとズレるところがあるようにも思う(本当の深刻な「ハラスメント」のほうが、こういった意味の拡張によって、かえって事態を矮小化されたりする恐れが出てくるという危惧も含めて)のだが、それはいま措くとしても、ひたすら〈読み手側がどう感じるか〉というところにこの話の力点があることに注目しよう。いわば読み手の〝自由勝手〟というところだ。しかし、これはワガママなのでも、またアンフェアなのでもなく、書かれたものを読むということにおける構造としてはごく当然のありよう——ということは今回のテーマ②(前回)ですでに述べた。
この「マルハラ」では、「。」を打った方(書き手)の、本当の意図、ねらい、意識などは基本的には眼中にない。つまり、確かに冷徹に相手を突き放す意図があったかどうか、あるいはそんなことは露ほどもおもっていなかったのではないか?——そういった書き手側の、真の意図、真の意識を本当に炙り出して知ろうとするような、そんな推察はなく、あくまで読み手の感慨であって、せいぜいそれが投影されたメタ・書き手像を作り上げているに過ぎない。
なお、本当に、「こいつを冷たくあしらってやろう」と、わかって「。」を書く人がいるとしたら、その人は読み手側のときにそれを味わったことがある〝経験者〟か、今回の「マルハラ」を通して学習した人か、なのだろう。
たとえばいま「わかりました。」というメッセージを受け取り、あっ!これって今話題のやつでは!?と疑心暗鬼にかられるとする——そこで、「この「。」は、もしかして私を冷たくあしらう意図があるのですか?」などと書き手(送信相手)に問い返して確認するひとは、まぁふつういないだろう。ひそかに、「私」という読み手がどう思うか、結局それだけである。だから人によっては気づかない、気にしない、ちょっとひっかかる、大いに心配になる……という無数の反応がありうるのである。「マルハラ」というものが客観的に、書き手・読み手から離れて厳然と存在するわけではない。
今回、新聞やネット記事でこの「マルハラ」を知って、いや全く同意できない、理解できないとおもった人は少なくなかったと思われるが、それは、自身がすなわちそういう読み手なのだということになる。
読み手と書き手は、ただ一つの〈言葉〉やその意図そのものをキャッチボールしているわけではない、と述べた(前回)。読み手が文字列から己の読みとして引き出しているのであり、「。」をめぐって、突き放したような/冷たい/怒っているのか……などと様々に読み解いたとしても、それは結局の所、読み手自身の鏡像のごとき〈疑似書き手〉とでもいうべきものなのである。
さて次に、ぐっと時代を遡って、書き手の言い分などお構いなし、読み手達がよってたかって「書き手の意図」を断じてしまった事例をみてみよう。
方広寺梵鐘銘文事件
豊臣秀頼が、京都市東山区にある方広寺の大仏および大仏殿建立にあたって、納めた梵鐘の銘文を巡って起きた事件である。単に、銘文で揉めたというだけではなく、後に大坂の陣へと繋がっていく、そういう意味で重大事件であった(ちなみに方広寺は、大仏を作って据えることから、京都に於ける東大寺の継承寺院として、寺号を同じ東大寺にする予定もあった)。
慶長19年(1614)に、その梵鐘は完成した(現存、写真参照。筆者撮影)。
豊臣家家臣であった片桐且元は、銘文を南禅寺の文英清韓という僧侶に任せた。漢詩文に秀でていることで有名で、朝鮮出兵の際には祐筆(文書担当官のような役職)として加藤清正に同行したという人物である。まず、穏当な人選(だといえるはず)だった。
この銘文中に、かの有名な「国家安康 四海施化 万歳伝芳 君臣豊楽」がでてくる。文字通り解釈すれば「国家安康」は「国家——日本が平和で安らかでありますように」、「君臣豊楽」とは、「君主も臣下も豊かでありますように」という意味である。そもそもこの大仏および大仏殿建立にあたっては、棟札に誰の名前をいれるか、落慶法要の席順をどうするかなどで、すでに豊臣方と徳川側が早々に揉めていた(俗な言い方をすれば、もう様々にケチがついていた)ところへさして、梵鐘の銘文も問題となったのであった。といっても最初から「国家安康……」のところが問題になったのではなく、簡素な銘文にするはずが長すぎるといったところから不穏な空気がくすぶりはじめていた。そして結局、件の文言を巡るところまで行きついてしまうのだった。
幕府は、京都五山(先掲の南禅寺も含めた京都の禅の大寺)の高僧や、林羅山にこの銘文を読ませて意見を述べさせた。その結果、五山高僧の見解は、特に諱(貴人の実名)であるところの「家」「康」の字が使われることについて概ね「感心しない」「前例がない」「好ましくない」などと、否定的であった(なお一部から、武家はさておき五山では諱は必ずしも避けない、とのフォローもあったようだ)。ただし、豊臣方にどういう意図があってそういう銘文を書いたかまでは、踏み込んで推察したりコメントはしていないようである。
さて、これら五山の、いわば「感心しない」という程度だった見解に比して、一気にぶった切ったのが林羅山であった。激しい非難を加えており、「国家安康」については、家康の諱を「家」と「康」に分断して家康を呪詛しているのだとし、これに対して「君臣豊楽」とは、豊臣を君主に奉って楽しむという意図があるとした。ここまで激しいと、もはや非難をすること自体が目的なのだろうと思うしかないが、ともかくも、この文章を呪詛だとまでいったのは羅山だけだ。どういうつもり、ねらいで書いたか、ということにまでおよんで、「書き手」の意図を明白に断定しているのである。これは「読み手の勝手次第」の、まさに暴走状態であるといえよう。
なお後世、様々な議論があるが、作文者・文英清韓の不用意ではあった、というのは結構いわれていることで、たしかに漢文、詩文の達人、漢字に通暁しているほどの人が、徳川将軍の諱を文章中のこんな近い位置でちりばめるとマズイのではないか、くらいのことは考えても良さそうでは、ある。つまり、何の作為もありませんでしたとは白々しいぞ、ということだ。当の文英清韓はというと、祝意を込めてあえてちりばめた(たとえば隠し字のように)という主旨の弁明をしているという。つまり、うっかり、意図せずでは少なくともないということになるが、しかし、全くその言い分は受け入れられていない。「なーんだそういうことか、祝ってくれていたのね。早く言ってよ~」とはならなかった。書き手の真の意図など、そもそもどうでもいいのである(し、文英清韓も本心を言っているかどうかなんてわからない。まさか、はい、呪いましたよ。バレたか~とは言わないだろう)。なお、文英清韓はこの一件後、南禅寺を追い出されている。
現在でも、横書きメディアで「縦読み」を仕込んだりすることや、ネームインポエムといって、短いフレーズをカードや色紙に描いて、結婚式などでプレゼントすることがある。たとえば、似顔絵などをも添えて「幸せに恵まれた 健康で楽しい家庭をお二人で築いてください」というようなものである。ここに「幸恵」さん、「康人」さんという新郎新婦の名前が実は使われているというやつだ。
——俺達二人の名前をぶった切りやがって、さては離婚すればいいと呪う気だな?と新婚夫婦が激怒したらどうしようか。
書いた本人の意向とその置き所
前回述べたように、そもそも書いた人の言葉、心づもり、意向こそが全て、なのであれば、可能なら直接聞いて、その口から語られる解説のみこそがただ一つの真実(=読み手は口を差し挟む余地はない)だとすべきことになる。上の例で言えば、文英清韓が、「祝意を込めて、隠し字で諱をちりばめました」と言えば、それが唯一絶対の「真実」となり、他者はそれ以上一切の議論不可ということになる。もちろん、そうはならなかったし、梵鐘銘文事件に限らず、そんなことはおおよそあり得ない。書き手が主張するのは自由だが、読み手は読み手で「勝手に」読むからである。
筆者の大学院生時代に一緒に勉強した仲間が、存命中の小説家の作品を研究していた。働きながら勉強していたから、大学外で、様々な人に己の研究を紹介する際、その作者本人に一切インタビューせず、作者自身の作品解説、あるいは講演会録なども読んだり聞いたりしないまま、作品のことばを研究するという手法、立場について、いつも驚かれると漏らしたことがあった。入試問題を巡る「作者」の例を挙げたが(前回)、文学研究、言語研究において、それは全く珍しいことではない(コラム第4回「カタカナでしゃべる」も参照)。
梵鐘の銘文——400年前、じわじわと「炎上」したのか、それとも実は火のないところに「放火」されたのか、あるいは確信犯的に仕込んだ火種が、まんまと燃えたのか——それこそ疑念は入り乱れるが、文章の書き手を置き去りに、「家康を呪詛した」とのレッテル貼りをされて、ついには大坂の陣にまで行きついたことを思えば、つくづく「書いたものを人に判断される」ということの重大さが、わかるだろう。気軽に、指先一つで、全世界に自分が書いたものを発信できてしまう今の世だからこそ、あらためて刻んでおきたいことではないだろうか。
ところで、SNSがない時代から、先人もみな、書き手と読み手のすれ違いについて、実は、ごく身近な例で、骨身に染みて知っていた。よく言うではないか——夜書いたラブレターは、朝、もう一度読んでから出せ、と。
著者紹介
尾山 慎(おやま しん)
奈良女子大学准教授。真言宗御室派寳珠院住職。
著作に『二合仮名の研究』(和泉書院、2019)、『上代日本語表記論の構想』(花鳥社、2021)、『日本語の文字と表記 学びとその方法』(花鳥社、2022)。