シーズン2 第24回 
「歴史」とは何なのか 
尾山 慎

本書内では語り尽くせなかった、あふれる話題の数々をここに紹介します。
コラム延長戦!「文字の窓 ことばの景色」。
そして、この連載シーズン1が待望の書籍化!
コラムタイトルと同じ『文字の窓 ことばの景色』として刊行しました。
書き下ろしもあります。詳細はこちら。

 

壁の向こうでは何が起きているか

 紙に文字で「パン」と書いてみる。もちろん、それは食べられない。耳で /paN/ と聞いても同じ。パンということばはパンを指してはいるが、パンそのものではないから食べられない——こんなことは誰でも分かっている。ところが「歴史」となると、私たちはときどき、ことばと、それが指しているものとの区別を忘れる。「歴史を振り返る」「歴史が動いた」などというとき、歴史 /レキシ/ とは過去に起こった出・来・事・そ・の・も・の・のように聞こえる。が、果たしてそうだろうか。
 いま、この瞬間に世界で起きていることの「すべて」を考えてみよう(想像してみよう)。私たちが実際に見聞きしているのは、せいぜい自分の五感が及ぶ範囲だけである。隣の部屋で何が起きているかさえ、壁に遮られれば分からない。まして、町の反対側、外国、地球の裏側、さらに宇宙のどこかで起きていることまで、同時に知ることはできない。いや、その必要もないといっていいだろう。
 スマートフォンを開けば、ずいぶん遠くまで見渡せるような気はする。しかし、そこに現れるのも、誰かが見て、撮り、選び、ことばを添えたものである。スマホを手にしたからといって私たちの視野が宇宙大に広がったわけではない。のぞき穴が少し増えただけだ。過去についても事情は同じである。いや、過ぎ去ったものは、もう一度その場へ行って見直すことができないことが大抵であるから、たぶん、さらに厄介である。ある時に起きたことは、一度きりの「出来事」として過ぎ去っていく。それについて残された文書、日記、写真、映像、証言、遺物などを手がかりに、あとからこ・と・ば・で・組・み・立・て・ら・れ・た・も・の・が歴史である。日常、私たちはそうして「書かれたこと」も、「出来事」も、いずれをも「歴史」と呼ぶのでややこしいから、ここではひとまず、起きたことを「出来事」、それを記述したものを「歴史」と分けておこう(したがって、厳密にいえば「歴史記述」とは重ねことばだとも言える)。

父の一年は、いくつあるか

 たとえば、父のある一年について、私が「歴史」を書くとする。私と父が一緒に食事をしたこと、出かけたこと、口論したことなどは、私も直接経験している。しかし、父が一人で病院へ行った日のことは、父に聞かなければ分からない。また、父が兄とだけ話したことは、父か兄に取材する必要がある。家族の誰も知らないところで父が何を見、何を考えたかとなると、本人が語らないかぎり、知りようがない。
 では、父自身が書けば、完全な「父の一年」になるだろうか。これも、「完全」とは言いがたい。本人にも、気づかなかったこと、忘れたこと、書きたくないことがある。つまり、やはり出来事は選抜されている。また記憶違いもあるだろう。そもそも人は、自分の行動の理由を、いつも正確に、そして全容を理解しているわけではない。これは「父」にかぎった話ではない。もちろん私も、あなたも、同じである。
 私が書いた父の一年、兄が書いた父の一年、父自身が書いた父の一年は、おそらく少しずつ違う。しかし、父が生きた一年が三種類あったわけでもない。あくまで「出来事」は一つであり、「歴史」(語り、あるいは語り方、出来事の抽出の仕方)が複数あるのである。日本史について、研究者によって叙述が異なり、教科書の説明が変わるのも、これと同じである。メディアでいえば新聞ごとに切り取り方、語り方が違うのもこれにあたる。いわば、必然とも言うべきありようだ。
 だからといって、どの歴史も同じ価値で、好きに書けばよいということではない。多くの史料を集め、それらを突き合わせ、確かなことと推測とを分け、反証に耐えるように記すのが本来である(もっとも、当人にとって都合のよい証言だけを拾った歴史もあるだろうが)。歴史叙述の本懐は、出来事そのものかどうかではなく、出来事にどこまで誠・実・に・肉・薄・し・、真・摯・に・言・語・化・し・て・い・る・か・にある。「歴史の真実」「真実の歴史」といった言い方はいかにも気を引くし、威勢がよいが、少し用心した方がよい。過ぎ去った出来事は一度きりの現実として存在したのであり、歴史はそれに近づこうとして、だれかのことばによって書かれたものだからである。

6か、9か

 地面に「6」とも「9」とも見える模様があり、その図を挟んで立つ二人が、「6だ」「いや9だ」と言い争っている。視点が違えば見え方が違う。むろん、この図の程度のことであれば、二人が場所を入れ替わってみるだけで、相手にそう見えた理由はすぐに分かる。地面の模様も、まだそこにある。つまり、実に単純で、「争う必要はなかった」と解決が見込める対立である。

生成 AI にて作成

 しかし、雨が降って模様が消えたらどうだろう。さらに年月がたち、言い争っていた二人も亡くなったらどうか。残っているのは、「6だった」という証言と、「9だった」という証言、そして、ひょっとすると誰かが遠くから撮った不鮮明な写真くらいである──写真があるのは、幸運かもしれないし、不運かもしれない。いずれにせよ、ここから元の出来事をことばで組み立て、語っていくのが、歴史なるものとして我々に提示されることになる。
 歴史家は、先人の論文を読み、文献を集め、写真や映像を探し、証言を聞き、さまざまな手がかりを突き合わせる。そうして出来事にできるだけ近づこうとする。けれども、完成した記述は、消えた模様そのものではない。史料をもとに再構成されたことばである。
 そして、大切なのは書かれたことだけではない。何・が・書・か・れ・な・か・っ・た・か・、残・ら・な・か・っ・た・か・もまた、考えなければならない。ミシェル・フーコー(フランス、1926–1984)が歴史を考えるときに注意を向けたのは、まさにその、現在へ向かって一直線に進歩してきた(つまり現在が最高到達点というみかた)という物語から、こ・ぼ・れ・落・ち・る・も・の・の・ほ・う・だった。

ケンブリッジ大学 火かき棒の一件

 歴史記述の難しさを、鮮やかに示す有名な出来事がある。1946年10月25日、ケンブリッジ大学の、哲学の討論会ともいうべきモラル・サイエンス・クラブで、哲学者カール・ポパー(1902–1994、オーストリア出身、イギリスに帰化)が講演し、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(1889–1951、オーストリア出身、イギリスに帰化)と激しく議論した。そこにはバートランド・ラッセル(1872–1970、イギリス)もいた。まさに錚そう々そうたる面々だ。議論の途中、興奮したヴィトゲンシュタインは立ち上がってなんと暖炉の火かき棒を手にしたという。さぁ、問題は、その先である。
 火かき棒は赤く焼けていたのか。ヴィトゲンシュタインは本当にそれを振り回したのか、ただ議論の小道具として持っただけなのか。さらには、その火かき棒でポパーを脅したのか。ポパー自身の回想によれば、ヴィトゲンシュタインが「道徳的規則の例を挙げてみろ」と迫ったので、ポパーは「招かれた講演者を火かき棒で脅さないこと」と切り返した。するとヴィトゲンシュタインは激怒し、火かき棒を投げ出して部屋を出ていったという。とんでもない応酬だが、実は、これも、いくつかある証言の一つにすぎない(ケンブリッジ大学による紹介)。
 そんなことを、その場で本当に言ったのか。ヴィトゲンシュタインはこの皮肉に怒って出ていったのか、あるいは、いつものように途中で退席しただけなのか(もともと、討論会をよく途中で出ていくことのある人だったらしい)。そもそも、ポパーがこの皮肉を口にしたのは、ヴィトゲンシュタインが出ていった後だった、という証言もある。そうなると、痛快な一言で相手を退散させたという話は、ずいぶん違ったものになる。また、ポパーがそういうふうに言った、という証言をしたのは、聴衆だったラッセルだという説もあるのだ。
 後年、当夜そこにいた約三十人のうち、九人の存命者から証言が集められたが、その内容は微妙に、そして肝心なところで食い違った。なんと、認識や言語を考える専門家たちが集まった部屋で起きたことなのに、その出来事についての記憶も、それを語ることばも揃わなかったのである。
 しかし、これは「人の記憶は当てにならない」「だから歴史など分からない」という話ではない。九人の証言が食い違うなら、その食い違い自体が重要な手がかりになる。誰がどこに座り、何に注意を向け、誰と親しかったか。「その人」はそのとき誰に、何に、注意が向いていたのか。ケンブリッジ大学での出来事は、私たちが、「常時すべて」を見たり認識できない、そしてそのうえでことばで回想して語ることのこと難しさを、明白に証している。
 何が確かめられ、何が推測にとどまり、何がなお分からないのかを示すことも、歴史を語る重要な一部なのである。

 

 


著者紹介

尾山 慎(おやま しん)
奈良女子大学教授。真言宗御室派寳珠院住職。
著作に『二合仮名の研究』(和泉書院、2019)、『上代日本語表記論の構想』(花鳥社、2021)、『日本語の文字と表記 学びとその方法』(花鳥社、2022)、『文字の窓 ことばの景色』(花鳥社、2026)。

次回更新は10月20日頃の予定です。

 

シーズン2 第23回 エモいとメロい(後編)