シンポジウム「保元物語・平治物語の注釈から」
四類本『平治物語』注釈から見えてくるもの………谷口耕一
1. はじめに
注釈というものを細かくやってみますと、いい意味でも悪い意味でも、私たちがいかに今までの既定概念から影響を受けているかということを思い知らされます。悪い意味で言いますと、先行の研究から影響を受けて、成立年代など、知らず知らずのうちに思い込みに支配されているということがよく見えてくるんですよね。対象の本文を正確に読むためには、そういった思い込みを外していかなくてはならないのですが、その一つの方策というのが、やはりきちっとした注釈をつけていくという、そういうところにあるのだろうと思うんです。それで四類本『平治物語』の注釈を一からやり直してみた結果、ここでは、言葉というものと、時代の影響というものを考えてみることにしました。言葉の正確な意味をその文章のなかで、確定をしていくというのも注釈の非常に大事な点だと思うんですが、あとひとつ、『平治物語』の注釈をやりながら思ったのは、言葉というものには、それが好んで使われる時代というもの、いわば旬、言葉の旬というものがあるんだということですね。ひとつの言葉がとくに多用される時代というものがあって、その時代を明らかにしていくことによって、例えば『平治物語』の四類本というものの持っている性格とか世界というものが読みとれていくのではないか。そういうようなことを考えて今回は主に四類本が室町時代に成立したであろうことを示している言葉などをとりあげて、それを入口にして、できたら四類本の世界にまで広げていきたいと思っています。
2. 四類本『平治物語』が作られた時代
さて、文章の終わりに現われてくる間投助詞、終助詞という方もいらっしゃいますけれども、「なう」という、室町時代以降に使われた語の問題があります。上巻「光頼卿参内の事」の中で、武士達が光頼の「剛の人」ぶりを称讃する言葉のなかにこんな一節が出てきます。
いくさの大しやうにたのみたらんによもしそんせしなふ。
この文は、静嘉堂文庫蔵玄圃斎旧蔵本で引用したのですが、金刀比羅本は「戦の大将に頼たらんにしそんじなふ」とあります。このように、ここは諸本によって異同のある文なんですが、校合しますと、玄圃斎本の文が本来の文であることは間違いないと思います。この文末の「なう(なふ)」が問題なんですね。諸本によって異同はあるものの、この文末の「なふ」は私の確認した限り、すべての諸本で一致しています。この「なう」は室町時代以降に使われた語でありますので、その語を使用している四類本『平治物語』は明らかに室町時代以降の成立だということになります。
もうひとつ、「花の都」という言葉なんですが、中巻「待賢門の軍の事」に、重盛が、「花の都は平安城」と言っているんですね。この「花の都」という言葉は『国歌大観』で検索すると、『後拾遺集』に始まるらしく六首の使用例があり、『金葉集』にも比較的多くでてきます。ですから平安時代から使われた言葉であることは間違いありません。しかし、この「花の都」が多用されたのは、室町時代のことなんですね。徳江元正氏は、この「花の都」について、「室町ことば」のなかに入れていらっしゃいます(徳江元正氏「室町文藝のこころとことば」、『解釈と鑑賞』第56巻3号、1991年3月)。これは、謡曲とか、もう山ほど出てまいります。いわば室町時代がこの言葉の旬であったというわけです。ですからこれは、徳江元正氏の言われる通り、「室町ことば」だとしますと、四類本『平治物語』は室町時代の成立であり、室町時代に多用された語を留めているということになります。
3. 四類本『平治物語』を生んだ土壌
次に四類本のお伽草子への接近ということについてお話ししますが、四類本が室町時代に作られたとしますと、当然同じ時代には沢山の文芸があったんですね。早川さんも引かれていましたけど、お伽草子とか謡曲とか幸若舞曲とか、まあ説経浄瑠璃までいきますとちょっとグロテスク気味になってきて困るんですけど、それらの作品と同じ時代に四類本の『平治物語』が改作をされたということになるわけです。それで、そういうようなものがどこかに残っていないかと、ちょっと見てみましたら、四類本下巻「常葉六波羅に参る事」に、常葉の美人ぶりをたたえる、こういう表現がありました。
千人が中の一なれば、さこそはうつくしかりけめ。異国に聞えし李夫人・楊貴妃、我朝には小野小町・和泉式部も是にはすぎじとぞみえし。
これは非常に不思議な文章なんです。といいますのは、我が国の人物で美人である代表選手として、讃えられるのは小野小町と衣通姫なんです。お伽草子『さいき』、奈良絵本『かざしの姫』、お伽草子『三人法師』、お伽草子『小町草子』、幸若舞曲『伏見常盤』などに見られるように、美人の代表として挙げられ、そして小野小町と番えられるのは衣通姫なんですね。しかし四類本『平治物語』のように、美人の代表として小野小町と和泉式部とを番えるのは、ほかに類例を見ません。『ふくろふ』(有朋堂文庫『御伽草紙』所収)には、美人尽くしの一条が見え、そのなかには衣通姫(「ぞと織姫」と翻刻)、小野小町とならんで和泉式部の名も見えています。しかしこれは我が国の美女十人を列挙したものの中に現われるものであって、小野小町と和泉式部とを番えて美人の代表とするというものではありません。衣通姫を除外し、和泉式部を小野小町とつがえて美人の代表として取り上げるのは、異例中の異例なのですね。討論の場でくわしく申し上げますが、和泉式部と小野小町との唯一の接点は御伽草子『和泉式部』なんですね。この例もお伽草子と四類本平治物語との関係を垣間見させていると思っています。これもお伽草子の世界と四類本との近似性を示しているのではないかと思います。
4. 四類本『平治物語』の世界の一端
それから四類本の女性記事で、これはずっと私が気になっていた記事なんですが、中巻「義朝敗北の事」で東国落ちする義朝が郎等鎌田兵衛正清に指示して、自身の娘の首をとらせて、持ってこさせる場面があるんです。そして同じく下巻の「義朝内海下向の事」という章段には、夫を殺害された鎌田兵衛の妻が、夫の残した太刀で自害をして、夫の後を追う場面が描かれています。とくに後者は、戦時中には貞女の鑑といって非常にもてはやされた記事なんですが、これはちょっと、考えてみるとあやしい。なぜあやしいかといいますと、鎌田の妻が、夫の出陣中に、自分の家をほったらかしにして実家に戻っているなんていうことはまずありえないからですね。何の作品だったか思い出せないんですが、『今昔物語集』かなんかですかね、武士である夫が出陣をすると、妻が家政一切を切り盛りして守るという話が出てきた記憶があるんです。ですから、妻というのは夫が戦場に出かけた後は自分の家を差配をして守っていかないといけない。そういうのが武士の妻としての本分だろうと思うんです。鎌田正清の本拠は現在の静岡市ですから、それをほったらかしにして愛知県の実家に居合わせたというのは、これはあまりにもできすぎてますね。そして何よりも気になるのは、この時代の文章を読んでいまして、女性が刀で自害をするというのは皆無ですね。絶対にありえない。ましてや、幼い娘の首を刀で切り落とすなんていうこともありえない。これはこういう殺伐としたことが行われるような時代に書かれた文章に違いないと思うんです。そう思ってちょっと調べてみますと、お伽草子にはいくつか出てきます。『三人法師』に、強盜になった男が女性の身ぐるみをはごうとする場面があって、女性は「肌着を脱ぐくらいなら殺してくれ」ということを言う場面があるんですが、女性を刀で刺し殺す場面が出てきます。
それこそもとより好むところなればと申(し)、たゞ一刀に刺し殺し奉りて、……。
それから、写本『もろかど物語』、これもお伽草子の一種ですが、父を討たれたと信じた浄瑠璃御前と乳母の冷泉とが敵の中将に一太刀あびせようと計画する場面が出てきます。
れんぜい申やうは、「……おうなとてゆだんあらんずるところを、一かたなうらみ申、
かへすかたなにてぢがい申べし。さもきこしめし候はゞ、きみもやがて御じがいあるべし」と申をき、……。
「きみもやがて御じがいあるべし」とは、断定はできないんですが、刀で自害をしろということだろうと思うんですね。
それから、『高野物語』に、亡き妻の遺骸を掘り起こす場面があるんですが、その遺骸の描写です。
堀り起し見れば、疑ひなきわが妻なり。首には差縄をかけ、心前二刀通したる跡あり。
つまりこの亡くなった妻は、差縄で首を絞められたうえに、心臓をふた刀突き刺されて殺されたという描写なんですが、お伽草子の時代には、女性を刀で殺すなんていうことも、物語の世界ではありうるような、そういう時代だったと思うわけです。当然、一類本『平治物語』にはこんなことは全然書いてありませんし、あるわけがないんでして、保元・平治の乱当時の女性は、皆さん御存じのように自殺をする場合にはほぼ百パーセント、入水をしますね。重しとともに水の中に飛び込むわけです。ですから、刀で死ぬなんていうのは、ちょっとありえない。しかし、そのありえないことが、この四類本『平治物語』の世界の中ではありえるわけです。
それからもう一つ、四類本の特色なんですが、『国文学解釈と鑑賞』56巻3号に収められている座談会(「室町時代の文芸や絵画をもとに、「室町時代のこころ」と「室町時代のことば」について討論されたもの)の中でもしきりに強調されていることなんですけど、室町文芸の中では野次馬が登場するというんですね。四類本『平治物語』下巻「待賢門の軍の事」には「京童」(一類本では、「上下(都の身分の高い人も低い人も)」)が登場します。一類本に比べると、四類本は明らかに面白おかしく脚色されております。それから、中巻「六波羅合戦の事」で、斎藤別当実盛と後藤兵衛実基とが、取った首を在地の者共に預けておく場面ですね。ここでも「軍の見物」をする「在地の者共」が登場し、おもしろおかしく脚色されています。
それから、悪源太義平が処刑される場面(下巻「悪源太誅せらるる事」)では、「京中の上下河原に市をな」して、義平の最期を見届けます。頼朝が流される場面(下巻「頼朝遠流の事」)でも、頼朝の遠流を見ようと、「山法師、寺法師」が大津の浦に市をなす場面が描かれます。二場面とも一類本にはなく、集まった野次馬たちが結構重要なはたらきをしています。こういった室町時代に顕著に現われる野次馬の登場というのも、四類本の世界として、特徴的なことであり、お伽草子の世界に通じる世界だろうと思いますね。
5. おわりに
以上、四類本が室町時代に改作された姿をとどめていると見て、そのことばと世界の一端も述べてみました。あくまでもこれはその全体像の一端です。四類本『平治物語』は、歴史を正確に記述しようとしたものではなく、作中には数多くの虚構や脚色が存在します。しかし、それらに目くじらを立てることなく、お伽草子に見られるような活劇の世界を楽しむことが四類本を読む場合、大切ではないかと思います。
[参考]平治物語の諸本分類について
通説となっている永積安明氏による分類では、原初形態に近い本文を一類とし、流布本を十一類としており、四類本は成熟した構想力をもつ本と評価されてきた。
一類本系統の諸本(一巻以上はすべて一類本に属するものに限る)
①陽明文庫所藏本:三巻三冊のうち上・中巻
②学習院大学図書館所蔵本(九条家旧蔵):三巻三冊のうち中・下巻
③河野美術館所蔵本(高野辰之氏旧蔵):上・中巻二冊のうち中巻
④松平文庫蔵本:中・下巻二冊
⑤国文学研究資料館蔵本(宝玲文庫旧蔵):三巻三冊のうち上巻
以上の諸本は、三冊揃ったものでも他の系統の本文との取り合わせ本であり、完本はない。
四類本系統の諸本
ⅰ 蓬左文庫本系列
①蓬左文庫蔵本:三巻三冊
②静嘉堂文庫蔵本(和学講談所旧蔵):三巻三冊
③静嘉堂文庫蔵本(玄圃斎旧蔵):三巻三冊
ほか多数
ⅱ 金刀比羅本系列の諸本
①金刀比羅宮蔵本:三巻三冊
②内閣文庫蔵本:三巻三冊
③学習院図書館蔵本(二本):三巻三冊