「軍記物語講座」によせて(9) 
田中草大「真名本の範囲」

軍記物語研究にまつわる文章の連載、第9回は、京都大学文学部講師の田中草大氏です。
「真名本」と呼ばれているが、実は違う? 軍記物語にも多く呼称される「真名本」のテクストを2種に整理し、性格を分析します。共通する特徴から「真名本」を再定義。


真名本の範囲

田中 草大 

1. 真名本の一般的理解と実際の文献との関係
 真名本とは何か。日本語学会編『日本語学大辞典』の説明を借りると、「同じ書名でほぼ同一の内容の本について、仮名だけ、もしくは仮名交じりで書かれた「仮名本」に対して、漢字だけを用いて書かれた本を相対的に言」ったものである[注1]。且つ、「『古事記』『日本書紀』のような、本来(変体)漢文体で書かれた本文を後世仮名書きに改めた場合に、これを「仮名本」と言うことはあっても、元のものを真名本と呼ぶことはしない」ともある[注2]。つまり「真名本」たる条件としては、

①対応する仮名本があること
②仮名本を書き改めるという順序で成立したもの

の2点が挙げられる。

 この2点を満たすものとしては、伊勢物語を真名書きした真字伊勢物語(寛永20=1643年刊)・旧本伊勢物語(明和6=1769年刊)、徒然草を真名書きした真字寂寞草(元禄2=1689年刊)などがよく知られている。これらを真名本Aと仮称しよう。真名本Aは典型的真名本と言うことができる。 

 一方、学界において真名本と呼ばれてはいるが上述の条件に合致しない文献がある。まさしく本コラムの主題である軍記物語に、これに相当するものが目立つのである。

 まず仮名書きの本と真名書きの本との両方が残っているものを見よう。平家物語には複数種の真名書き本が存するが、そのうち例えば平松家本は語り本を真名書きしたものとされ、先ほどの真名本Aに当たる。同じく四部合戦状本・源平闘諍録・熱田本も、元になった仮名書き(漢字仮名交じり)本が存したとすれば真名本Aに当たる。これらに対して、曽我物語の場合は真名書きの本が仮名書きの本より先行すると見られている。また藤原定家による歌論書である詠歌大概も真名書きのものと仮名書きのものとが存するが、これも真名書きが先行するとされる。これらは、「仮名書き→真名書き」という順序と合わず、上記の①は満たすが②は満たさない。これに加えて、そもそも真名書きの本しか知られていないにも関わらず真名本と呼ばれている文献もある。「古い諸本としては真名本しか存在していない」(石井[2010]88頁)とされる大塔物語・文正記などがこれに当たるようである[注3]。こうなると、もはや①も②も満たしていない。これらを、上記の真名本Aに対して真名本Bと呼ぼう。真名本Bは非典型的真名本と言うことができる。

 真名本Bは、仮名書きのテクストにもとづかずに直接真名書きにより作られている[注4]。本稿の冒頭部で示した定義に照らせば、これら真名本Bは「真名本」に該当しない。と言うことは真名本Bに属する諸文献を真名本と呼んでいるのは単に慣習によるものに過ぎず、学術的にはこれらは真名本と認めるべきではないということになるのだろうか。

 この疑問を別の角度から言い表せば、「真名本Aと真名本Bとに、(これらを一括して捉えるのが妥当であるような)共通する性質は認められないのか」となる。そして稿者は、両者にはそのような性質が認められる、と考える。その性質とは「テクストとしての非独立性」である。このことについて次節で説明する。

[注1]  山本[2018]。
[注2]
 これと同様の言説は池上[1948]・山田[1957]などにも認められる。
[注3]
 大塔物語については町田[1932]が「難解であつた為め、仮名交りに書き直したものも伝へられた、がそれは皆原本によつて多少の抜き差しをした迄のものであつて異本と称すべき底のものではない」(1頁)とする。
[注4] 真名本Bと思われていた文献に対して、依拠した仮名書きテクストがあとで発見されて実は真名本Aであると発覚する、ということは勿論ありうる。


2. 非独立性テクストとして包括される真名本(1
 テクストとしての非独立性とはどういうことか、真名本A・真名本Bそれぞれの例を挙げながら説明していく。

 まず真名本Aについて。ある本から引いた一文を挙げるので、試しに読んでみて頂きたい。

(1)先生于斯世者所欲希故社夥矣

 答え合わせをしよう。これは真字寂寞草から引いたもので、その元となった徒然草の対応部は次のようになっている(第1段。真字寂寞草の傍訓による)。

(1’)イデヤコノヨニムマレテハネガハシカルベキコトコソヲホカンメレ

 いかがでしたか。徒然草の元のテクストを知らなくてはまず読めないと言って良いだろう。これに比べると、同じく真名本Aでも次の旧本伊勢物語の例(第1段)は真仮名(いわゆる万葉仮名)主体で書かれているためそう読みにくくはない。

(2)哿須賀乃郷仁知与志之而猟仁往計里
(2’)カスガノサトニシルヨシシテカリニイニケリ

 しかし完全な真仮名表記ではなく訓字(郷・知・而・猟・往)を交えているため、迷わず読み分けるためには伊勢物語の原テクストを参照する必要があるだろう。なお上掲の真字寂寞草・旧本伊勢物語とも、元の刊本には片仮名で総ルビが施されている。

 つまり、真名本Aにおいては、原テクストとの対照を経なくては文字列から言語情報を充分に引き出せない/引き出しがたいということが指摘できる。これが上で「テクストとしての非独立性」と呼んだものである。

 続いて真名本Bについて。こちらもある本から引いた一文を挙げるので、同じく試しに読んでみて頂きたい。

(3)願頼朝思令遂本意被祈念

 先ほどの真字寂寞草の例と同様、極めて読み取りにくいものである。これは真名本曽我物語(妙本寺本)から引いたものであるが[注5]、実は実際の写本では右図のようにヲコト点と仮名による訓点が施されている。この訓点を頼りに読むと、「(3’)願わくは頼朝が思う本意を遂げ令〈し〉めたまえ とぞ祈念せ被〈ら〉れける」という日本語文を再構することができる。逆に言えば、真名書き本文だけでは読解しがたい、すなわちテクストとしての独立性が低いということになる。こうした書きぶりは真名本曽我物語に限らず、大塔物語や文正記など、真名本Bに広く見られるものである。但し真名本Bに固有というわけではなく、真名本平家物語や真名本方丈記等、真名本Aにも例はある(次節および注10で後述)。

 なお、真名本のテクストが常にこのように読み取りにくいわけではない。例えば熱田本平家物語の冒頭部分を見ると、次のようになっている。

(4)祇園精舎鐘声有諸行无常響沙羅双樹花色顕盛者必衰理

 ここから「祇園精舎の鐘の声」云々という日本語文を再構するのは、(仮に我々が平家物語の原テクストを知らなかったとしても)容易と言えよう(なお熱田本の当該部には助詞等を示す訓点も付いている)。しかしこれは、原テクストがたまたま整った訓読調で漢文式に変換しやすかったことによるものであって、日本語文を、その語形を基本的に保持するという形で真名書きするというのは、根本的に無理のあることなのであり、その無理を通そうとすると、上掲例のように原テクストの参照を前提とするか真仮名や訓点の補助を借りることになるのである[注6]

[注5] 巻1、26ウ。『真名本曽我物語』(勉誠社、1974年)56頁。但し角川源義編『妙本寺本曽我物語』(角川書店、1969年)に従い、誤点と思われる点は省略している。
[注6]
 表記体の変換と原テクストとの関係については、拙稿「仮名文から変体漢文への「変換」の過程」(田中[2019]所収)を参照されたい。


3. 非独立性テクストとして包括される真名本(2
 前節から、真名本Aと真名本Bは「(真名書きするには無理があるのに)あえて真名主体で書記した本」であるという点で共通しており、ここに両者を一括して捉える根拠を見出すことができる。

 ここで変体漢文と真名本Bの関係について見ておきたい。はじめから真名書きされた文献をも真名本と呼ぶのであれば、それは変体漢文と何が異なるのであろうか。両者を分かつのは、まさに上述の「独立性」の有無である。普通の変体漢文(という言い方はいささか奇妙な印象を与えるかも知れないが)は、そのテクストそのものから充分に言語情報を引き出すことができる。だからこそ日記や文書といった日常的文章の表記体として一般化できたのである[注7]。いっぽう真名本は、上述の通り原テクストの参照や訓点等の補助がなくては、充分に言語情報を引き出すことができない。

 では、変体漢文と真名本Bとでなぜそのような違いが生じるのであろうか。想起した日本語文を漢文式に文字化するというところまでは、両者同じであると考えられる。異なるのはその次の行程である。日本語文を漢文式に書くとなると、自ずと様々な点で制約が生じる[注8]。一般的な変体漢文においては、それらの制約に応じて、元々想起していた日本語文から「漢文らしく」言葉を整えることになる。例えば「いにけり」→「往了」のように。ところがここで、”元々想起していた日本語文を保持する”形で、言い換えれば上記の制約に抗う形で、文章を書こうとすると、保持のための装置が必要となる。それが上述の例に見られた真仮名や訓点である。先ほどの例で言えば「いにけり」→「往計里」等のようになる。

 このように、元々想起していたテクストを保持する形で書かれている、というふうに真名本Bを捉えれば、実はこれは真名本Aと根本的な相違はないと見ることができる。保持すべき文章が既に書かれたテクストとして存在するか(=真名本A)、想起されてはいるが書かれたテクストという形では存在していないか(=真名本B)の違いでしかない。

 以上を踏まえて改めて「真名本」を定義すると次のようになる。

真名本:所与の日本語文章(書かれたテクストとして存在している必要はない)をなるべく保持する形で、且つ漢字主体で書かれたもの

 「なるべく保持する」というところが肝要で、ここに拘泥せず漢文化されたものは真名本ではなく「漢訳」等と呼ばれるべきであろう[注9]

 なお、真名本の方法として、真仮名や当て字を活用するもの(=例1・2)と訓点補助付きの漢文式によるもの(=例3・4)との二類がある理由についてであるが、これは原テクストの文体に起因するものと捉えられる。すなわち、原テクストが訓読調の強い文体であれば、これを漢文式に置き換えることは(ある程度までは)容易ないし可能であるのでそれをベースにして、それがかなわないところを訓点で補助するという形をとるのが便利である。一方、原テクストがいわゆる和文調の文体であるものについては、そもそも漢文式に置き換えることに根本的な無理があるので、はじめからこれは用いず、当て字を含む訓字表記と真仮名によって真名書き化する方法をとることになる。真名本Aに真仮名活用式が多いのは原テクストに和文調のものが多いためで[注10]、真名本Bに訓点付きの漢文式が多いのは原テクストに訓読調のものが多いためである、と理解できる。

[注7] 「変体漢文は読んで意味が分かれば良かったのであって読み手に『言語情報』を引き出すことを求めるものではなかった」という考え方に対する稿者の意見については、拙稿「変体漢文はヨメるか」(田中[2019]序論第1章第8節)を参照されたい。
[注8]
 制約のパターンについては拙稿「変体漢文における、表記体に起因する言語的特徴の整理」(田中[2019]所収)を参照されたい。
[注9]
 例えば徒然草の「漢訳」例について、川平[2010]など参照。
[注10] 訓読調である平家物語や方丈記は例外となるが、事実これらは真仮名活用式でなく訓点付き漢文式で真名書き化されている。


4. まとめ
 現在真名本と呼ばれている文献は、従来のように「仮名主体で書かれた文献を漢字主体に書き改めたもの」として捉えると、これに合致するもの(真名本A)と合致しないもの(真名本B)とがある。合致しないものは真名本と呼ぶべきではないという主張も可能ではあるが、両者には「テクストとしての非独立性」という特徴が共通して認められ、一括して捉える根拠はある。両者を一括して捉えるのが良いという見方からは、真名本は「所与の日本語文章(書かれたテクストとして存在している必要はない)をなるべく保持する形で、且つ漢字主体で書かれたもの」と定義するのが適切である。真名本の方法としては、真仮名活用式と訓点付き漢文式との二類があるが、これは原テクストの文体が和文的か訓読文的かにより、それぞれにとって便利な方法として採用されたものと考えられる。

 

*紙幅の都合で割愛した部分を「真名本の範囲 補遺」として下記に公開しているので、併せてご参照頂けますと幸いです。
  https://bit.ly/2YNH2CH

文献
池上禎造[1948]「真名本の背後」『国語・国文』17-4。『漢語研究の構想』(岩波書店、1984年)再録。
石井由紀夫[2010]「後期軍記と真名本」『国文学 解釈と鑑賞』75-12
川平敏文[2010]「江戸のコンポジション:徒然草の漢訳」『文彩』6
田中草大[2019]『平安時代における変体漢文の研究』勉誠出版
町田禮助[1932]「解題」信濃郷土研究会編『異本対照大塔物語』信濃郷土研究会
山田俊雄[1957]「真名本の意義」『国語と国文学』34-10
山本真吾[2018]「真名本」日本語学会編『日本語学大辞典』東京堂出版


田中 草大(たなか・そうた)
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。
京都大学文学部講師。
著書・論文に、『平安時代における変体漢文の研究』(勉誠出版、2019年)、「『尾張国解文』現存テクストの成立についての試論」(『国語国文』87-12、2018年)、「『吾妻鏡』の語彙」(安部清哉編『中世の語彙:武士と和漢混淆の時代(シリーズ“日本語の語彙”3)』、朝倉書店、2020年)など。


松尾葦江編「軍記物語講座」全4巻

  第1巻『武者の世が始まる』 2020年1月刊 本体7,000円

  第2巻『無常の鐘声―平家物語』 2020年 5月刊予定

  第3巻『平和の世は来るか―太平記』 2019年10月刊 本体7,000円

  第4巻『乱世を語りつぐ』 2020年 3月刊予定


軍記物語講座によせて
  8. 木下華子「遁世者と乱世」
  7. 堀川貴司「和漢混淆文をどう見るか」
  6. 中村文「頼政の恋歌一首―『頼政集』五〇七番歌の背景 ―」
  5. 藏中さやか「和歌を詠む赤松教康―嘉吉の乱関係軍記、寸描―」
  4. 渡邉裕美子「みちのくの歌—白河関までの距離感—」
  3. 石川透「軍記物語とその絵画化」
  2. 長坂成行「『太平記』書写流伝関係未詳人物抄」
  1. 村上學「国文学研究が肉体労働であったころ」