「軍記物語講座」完結を迎えて
松尾葦江「覚一本平家物語の本文異同小考」

2019年10月より刊行を開始した「軍記物語講座」全4巻のシリーズも、いよいよ第2巻『無常の鐘声 平家物語』の刊行(2020年7月)をもって完結します。シリーズ完結を記念して、最終配本のテーマ『平家物語』にまつわる、編者の松尾葦江氏による考察をここに掲載。同系統本文の異同のなかに、誤写や語り変えとして済ますことができない、修辞上の試行錯誤の可能性を見いだします。


覚一本平家物語の本文異同小考

松尾葦江 

 覚一本平家物語の巻九「老馬」は、寿永三年(1184)二月、一ノ谷で源平相対峙する合戦前夜を語る。その中に、次のような一節がある。引用は日本古典文学大系(底本は龍谷大学図書館蔵本)により、一部字体を改めた。

五日の暮がたに、源氏昆陽野をたッて、やうやう生田の森に責ちかづく。雀の松原・御影の松・昆陽野の方をみわたせば、源氏手々に陣をとッて、とを火をたく。ふけゆくままにながむれば、晴たる空の星の如し。平家もとを火たけやとて、生田森にもかたのごとくぞたいたりける。明行ままに見わたせば、山のはいづる月の如し。これやむかし沢辺の蛍と詠じ給ひけんも、今こそ思ひしられけれ。源氏はあそこに陣とッて馬やすめ、ここに陣とッて馬かひなどしけるほどにいそがず、平家の方には今やよするいまやよすると、やすい心もなかりけり。

 一ノ谷合戦の始まる直前の緊張感みなぎる夜景が、比喩や対句、七五調を交え、『伊勢物語』八十七段を引いて描かれる。じつはこの合戦では、平家軍の主力が討ち死にしたり捕虜になったりして、この後、壇ノ浦での滅亡へ突き進んでいく転機となる。源氏軍の高揚感と対照的に、平家軍を覆う不安感が、古典的な修辞法にくるんで表現されているのである。

 北村昌幸氏は、太平記を中心に、軍記物語の合戦描写に含まれる和歌的表現を取り上げ、歌枕が戦場になる場合の例として、覚一本のこの部分(底本は高野本)を考察した(「いくさの舞台と叙景歌表現」『中世文学』63、2018年6月)。そして平家物語の合戦叙述を、「目撃者の体験を取り込んでいる部分があるにせよ、大半は想像の産物であろう。その想像上の光景が言語化されるとき、誰もが想起できる何かに喩えられることがある」として、上掲の部分を引いている。近年、古態本とされている延慶本平家物語(巻九ー20)では、この部分は覚一本よりも簡略で、語句は多少異なるが、引用本文の下線部に当たる記述しか持っていない。対句も『伊勢物語』への連想もない。北村氏は延慶本古態説に基づき、延慶本のような記述を覚一本が改編したとし、覚一本平家物語伝本の間で、比喩が源平入れ代わっていることを指摘している。このことが少々気になるので、注目してみたい。

 なお長門切はこの部分が発見されていないので、源平盛衰記を見ると、分量的には延慶本と同様だが、両軍の篝火を見渡して、「晴タル天ノ星ノ如、沢辺ノ蛍ニ似タリケリ」と総括する。さらに後に鷲尾三郎が、鵯越から見える眼下の一ノ谷を義経一行に説明する部分に、「渚々ノ篝ノ火、海士ノ苫屋ノ藻塩火ヤ」という和歌的な言い回しがあるが、覚一本のような表現とは重ならない。八坂本と共に後述する。

 覚一検校が跋文で厳重に他出他見を戒めた覚一本であるが、転写され部分的に改編され、伝本間に語句レベルの異同があり、女性記事や秘事に出入りがあることは知られている。覚一本が中世を通じて、多くの諸本に取り込まれている状況を考慮すると、「覚一本的な」本文も含めれば、覚一の校訂後も本文はひろく流通しており、その流動は一定の制約を受けつつもやまなかったのかもしれない。日本古典文学大系『平家物語』の校異注記によれば、この箇所の異同は次のように分けられる。

① 源氏の火が、晴れたる天の星
  龍谷大学本・西教寺本・龍門文庫本(以上覚一本)。
  百二十句本・中院本(八坂系一類)・城方本(八坂系二類)、但し盛衰記と同様に、月の比喩はない。

② 平家の火が、晴れたる天の星
  髙良神社本・寂光院本・高野本(以上覚一本)。
  平松家本・鎌倉本(いわゆる覚一系周辺本文)。

 該当箇所を今度は高野本で引く(武蔵野書院『平家物語 覚一本 全』改訂版による)。

② 五日のくれがたに、源氏昆陽野をたッて、やうやう生田の森にせめちかづく。雀の松原・御影の杜・昆陽野の方をみわたせば、源氏手々に陣をとッて、遠火をたく。ふけゆくままにながむれば、山の端いづる月のごとし。平家も遠火たけやとて生田森にもかたのごとくぞたいたりける。あけゆくままにみわたせば、はれたる空のほしのごとし。これやむかし沢辺の蛍と詠じ給ひけんも、今こそ思ひしられけれ。源氏はあそこに陣とッて馬やすめ、ここに陣とッて馬かひなどしけるほどにいそがず、平家の方には今やよするいまやよすると、やすい心もなかりけり。

 前述の通り、延慶本の本文に近いのは①(四部合戦状本・長門本・南都本も同様)であるが、古態性の議論は一旦おいて、比喩の妥当性から考えてみよう。対句はこのようになっている。

① ふけゆく→晴れたる空の星=源氏  あけゆく→山の端出る月=平家
② ふけゆく→山の端出る月=源氏  あけゆく→晴れたる空の星=平家

 しかし、②の比喩には違和感がある。なぜなら曙の星は光が薄れ行くものとして詠まれるが、夜更けてから出る月はさして明るくない片月だからだ。暦の上からも、この夜の月は未だ細い、宵のうちに沈む月だった。平家と源氏を象徴するには、逆の方が相応しいのではないか。さらに「晴るる夜の空の星」や「蛍」の比喩は『伊勢物語』八十七段(『新古今集』1589にも。但し第三句は「川辺の蛍」)を踏まえた、この地にちなむものであり、点々と連なる光は星と蛍なら連想しやすいけれども、「山の端出る月」とは結びつけにくい。

 盛衰記と八坂系本文は比喩が星と月でなく、星と蛍になっており、「ふけゆくままに見わたせば」の語は後半にあって、「あけゆくままに」の対句はない。延慶本にも月がないことを考え合わせると、元来、この部分は対句になってはいなかったのではないだろうか。つまり初期の平家物語本文は、源氏軍の篝火の多さを星に喩え、名所歌にちなんで「晴るる夜の空の星」から「蛍」を連想し、開戦前夜が「更け行くままに」、時は刻々と過ぎてゆくと述べていたのであろう。その時間的経過を「山の端」から月が出ることで示し、「明け行くままに」、いよいよ開戦が近づく未明につなげようとした。その間、対句を整え、引歌を最後に回して整理した結果が覚一本本文ではないだろうか。②のようなかたちに違和感を持たずに改変したのは、「山の端出る」に進出の勢いを、「明け行くままに」消えて行く星に平家の衰運を読み取ったからかもしれない。

 そう仮定すると、覚一本の伝本間の異同にも、単なる誤写や語り変えとして済まされない、修辞上の試行錯誤が含まれているのではないかと考えたくなってくる。和歌的な表現は、目に見えない「時間」や感情・情緒を示すことができる。平家物語が覚一本成立に至るまで、さらに覚一本が定まってからも、そのような、見えないものを描き出す苦心の彫琢は続いていたのであろう。


松尾 葦江(まつお・あしえ)
1943(昭和18)年神奈川県生まれ。博士(文学)。
専門は日本中世文学、特に軍記物語。
主な著書:『平家物語論究』(明治書院、1985年)、『軍記物語論究』(若草書房、1996年)、『軍記物語原論』(笠間書院、2008年)、「長門切からわかること—平家物語成立論・諸本論の新展開—」(『國學院雑誌』第118巻第5号、2017年5月)、「『平家物語』の表現—叙事に泣くということ—」(『和歌文学研究』第118号、2019年6月)など。


「軍記物語講座」全4巻
第1巻『武者の世が始まる』 2020年1月刊 本体7,000円
第2巻『無常の鐘声―平家物語』 2020年7月刊 本体7,000円
第3巻『平和の世は来るか―太平記』 2019年10月刊 本体7,000円
第4巻『乱世を語りつぐ』 2020年5月刊 本体7,000円


軍記物語講座によせて
13. 木村尚志「後嵯峨院時代の和歌」
12. 浜畑圭吾「長門本『平家物語』研究小史—その成立をめぐって—」
11. 中村文「歌人としての平家一門」
10. 本井牧子「古状で読む義経・弁慶の生涯―判官物の古状型往来―」
9. 田中草大「真名本の範囲」
8. 木下華子「遁世者と乱世」
7. 堀川貴司「和漢混淆文をどう見るか」
6. 中村文「頼政の恋歌一首―『頼政集』五〇七番歌の背景 ―」
5. 藏中さやか「和歌を詠む赤松教康―嘉吉の乱関係軍記、寸描―」
4. 渡邉裕美子「みちのくの歌—白河関までの距離感—」
3. 石川透「軍記物語とその絵画化」
2. 長坂成行「『太平記』書写流伝関係未詳人物抄」
1. 村上學「国文学研究が肉体労働であったころ」